本間 政雄
新国立大学協会の設立について
3月1日、東京で国立大学協会の臨時総会が開かれ、4月1日を期して社団法人国立大学協会として新たなスタートを切ることを承認した。振り返れば、2002年5月に松尾稔名古屋大学総長を委員長とする「国立大学協会の在り方検討特別委員会」が発足して、同年10月に「国立大学の新しい連合組織について」と題する報告書を出し、これを受けて11月に「新国立大学協会(仮称)設立準備委員会」が発足して1年以上にわたって法人化後の国立大学の連携・協力組織のあり方を精力的に行ってきたのであった。この準備委員会は、当初佐々木東大総長、同氏が国大協会長に就任したのを受けてその後一橋大学の石学長が委員長を努め、学長、副学長、専門委員として事務局長、専門分野の教員が数名づつメンバーとして入った。私も、専門委員として当初から審議に参画したので、新国大協の発足に向けた思いを書き留めておきたい。
準備委の第1回会合は12月11日に開かれたが、この席では「法人化により種々の業務の共同処理が求められる面と組織の肥大化はそれなりの財政負担を伴う面とがある。また、各大学の自主性・自律性を考えると新連合組織に権限が集中することも問題である。徐々に事業を広げていくことが適当ではないか」とする意見が大勢であった。これは、松尾委員会の報告書の結論にも沿った考えで、「小さく生んで大きく育てよう」というものである。どの大学も国大協に納める会費が増えるのは困るし、これまでの国大協が果たしてきた役割を考えると新しい組織になったからといって組織を支える人材が急に充実するはずもないから新組織にそれほど期待もできない、という漠然とした意識があったから、こういう意見が大勢を占めるのもある意味では当然であった。
当時国大協の会長は京大長尾総長であったが、このような状況に強い危機意識をお持ちであった。特に一部の有力国立大学から、「国大協はサロンのようなもの、延々と議論ばかり続けていて実行力、指導力に欠けている。法人化後は自主、自立の世界に入るのだから国大協は不要」という議論がもれ聞こえてきていたからである。
私は、法人化された後、国立大学の過半を占める中小規模の国立大学は自主、自立といってもこれを支える事務局は小規模で弱体であり、自主性・自律性・自己責任原則に支えられた効率的・効果的かつ社会的説明責任を果たしうるような大学運営は単独では難しいであろう、たとえ一部でも国立大学が法人化後に経営的に破綻する、あるいはそこまで行かなくても社会から批判を浴びるような失態を起こせば、社会や納税者の批判はひとりその大学にとどまらず国立大学全体、法人化のスキームそのものにも向わざるを得ず、国立大学全体にとってダメージになるであろうと考えていた。国大協のような連合組織が、個々の国立大学の自主性を尊重しつつも、ある意味では文部科学省に代わって助言や情報提供を行い、国立大学を取り巻くさまざまな問題について協議・意見交換の場を提供し、国立大学を構成するトップ・マネジメント、シニア・マネジメントの専門能力・知識向上の機会を用意し、場合によっては政府や広く社会に向って国立大学の意見・見解を強力かつ明確な形で発信していく必要があるという強い確信を持っていたのである。こんなわけで、準備委に参画することが決まった当初から、新組織の拡充を提案し、京大として新組織を物心両面から支える用意があることを表明するつもりであった。
第1回の委員会で、議論の大勢がとりあえず新組織を発足させ徐々に事業を拡大という「軟着陸」路線に向って収斂しそうな状況で、私は「最初から、現在の国大協の2億という予算の範囲内でできることから始めていこうというような考え方はおかしい。法人化後の世界を展望して、まず新組織が何をしなくてはならないか、何が求められているかをきちんと議論したうえで、そのために必要な予算や事業、これに必要な組織、事務体制を考えるべきだ。国立大学の過半数が学部規模3以下の、色々な意味で基盤の脆弱な弱小大学であることにかんがみれば、連合組織が情報提供や規模のメリットを生かせる研修事業の実施などさまざまな形で支援するべきだ。連合組織がそういう役割をきちんと果たせるよう、他の大学は知らず、少なくとも京大は応分の財政負担をする用意があるし、現在も手弁当で事務職員1名を派遣しているが新組織には2名でも3名でも派遣する用意がある」と強く訴えた。
しかし、「法人化後は弱肉強食の世界。大きな組織を作って、経営について助言したりするなどおかしい。それぞれの大学が、経営能力を発揮して、限られた資源を有効に活用していくことこそ法人化の趣旨、狙いではないか。」という反発もあった。結局、新組織検討のために設置する4つの部会「事業、組織、財政、法規」でよく議論してもらおう、ということで第1回の会議は幕となった。
私は、事業、組織を検討する第1・2合同部会を中心にすべての部会のほとんどの会合に出席し、国立大学の存在意義を具体的に示す広報活動の重要性、それを支える調査研究事業、事務系職員の統一採用試験、トップ・マネジメントなどを対象とした研修事業、財務・人事・法務・広報など法人化後とくに重要となる分野での情報交換の場の設定などの必要性を主張した。こういう具体的な根拠を挙げての主張は次第に部会メンバーの理解を得るところになり、新組織の活動を財政面から支える予算規模は、必要な事業を積み上げた上で総額をこれまでの2倍の約4億円とすることに決まった。各大学の分担金の算定方式も、大学の規模にかかわらず一律課金の部分を増額した上で学部数、予算規模とに連動する方式にした。新組織から裨益する割合が高いと考えられる小規模大学の負担を相対的に増やす一方で、大規模総合大学の負担金増額幅を抑え、全体として2倍の規模を確保したのである。
この結果、広報、研修、調査研究という新協会の事業の3本柱を相当規模で実施できる見込みが立った。新生国立大学協会は、会員校が分担金を負担して支えるという形だけでなく、他にも国大協の研修会場を無料で貸し出すとか研修講師や会場整理要員を派遣するという形、事務局職員を大学の給料もちで出向させるという形もある。もちろん、国大協が組織する企画、広報、大学経営、入試、国際交流、研修実施などさまざまな委員会に教職員を参画させるという協力は当然である。ちなみに、私が新国大協創設準備委員会で表明した大学からの職員派遣は、予想以上の大学からぜひ手弁当で職員を派遣したい、という申し出があり、国大協側はうれしい悲鳴を上げているときく。私が予想したとおり、今後国大協に情報が集まるようになること、職員を手弁当で出向させても十分元が取れるほど有益な経験ができることを各大学が理解したのである。
今ひとつ、国立大学向けの損害保険制度の開発について付言しておきたい。周知の通り、法人化後各国立大学は地震などの自然災害による場合を除き(この場合は従来どおり文部科学省の災害復旧費の対象となる)、火災や事故などによって有形・無形の財産や職員の生命、身体などが損害をこうむった場合、あるいは損害を与えた場合自らの責任で補償を行ったり、損害を引き受けなければならなくなる。このため、どの大学でも万一の場合に備えて損害保険に加入することを検討したが、大学の財産と一口に言っても図書館が持つ国宝・重文の資料から建築年代の異なる各種建築物、原子炉、演習林、精密測定機器、診療器械までさまざまであり、財産保険をかける前提となる、それぞれの資産価値を確定するだけでも膨大な事務作業が必要になる。保険会社の設定する保険料も高額になることが予想されていた。
そこで出てきたのが、国立大学の特性を考慮した新型総合保険の開発というアイデアである。これは、複数の大手損害保険会社から提案があったものであるが、国大協も新国大協設立準備委員会の税制委員会も損害保険については素人であり、保険会社側の説明も十分理解が進まなかった。この結果、昨年6月の段階で時期尚早、構想未熟と言う判断を私も加わっていったん出してしまった。しかし、損保会社側は、私のところに熱心に総合保険のメリットすなわち事務作業が大幅に軽減できることと保険料の大幅削減になる可能性が高いことを具体的に説明に来られ、私も説明を聞いて十分納得がいったので他の委員、とりわけ実際に準備作業を担当することになる一橋大学の鎌田局長や国大協諸橋局長に相談し、最終的に再度実現に向けて検討してもらうことになった。
紙幅の都合もあるので詳細は省くが、結果的にはこの時のドラスティックな判断変更が、最良の結果を導いたことになる。設立準備委員会の一員としてこの面で貢献できたことは私の小さなプライドであり、自負でもある。
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