本間 政雄
2004年 夏・甲子園・夏祭り
暑い夏が終わろうとしている。いつの間にかあれほどうるさく鳴いていたせみの声も聞かなくなり、夜になると時折涼しい風が開け放した家の窓を通り抜けていく。今年の夏も、全国高校野球選手権大会栃木県大会から始まった。昨年の夏、栃木県の野球名門校のひとつ葛生高校に進学し、親元を離れて野球部の寮で暮らしながら甲子園を目指した長男の応援に行ったのが、初戦の7月13日。葛生はその前の年の秋の大会でベスト4、シード校として無名の那須清峰高校と対戦した。楽勝、コールド勝ちを予想して出かけた試合はなんと延長15回の末、4対3でさよなら負け。前評判では最も甲子園に近いチームといわれ、60人の部員の中から背番号8番、センターのレギュラーを取ってがんばっていた彼の夏も、3時間半に及ぶ熱戦の末あっけなく終わったのだった。今年の葛生は、練習試合でも連戦連敗、大方が1、2回戦での敗退を予想した。
それがふたを開けてみると、最弱チームのはずが連戦連勝、準決勝では足利工大付属を8対7の逆転で破って、ついに県大会決勝に進出してしまった。惜しくも宇都宮南高校に負け、甲子園を後1歩のところで逃しはしたが、1戦ごとに強くなっていく印象であった。準決勝も決勝も車を飛ばして応援に行った。今年も甲子園球場にも出かけていった。葛生が練習試合をしたことのある東東京代表の修徳高校と千葉経済大付属の試合だった。栃木の球場にも甲子園にも真っ青な空と歓声と生き生きとプレーする球児たちの変わらぬ姿があった。
恒例の祇園祭は、宵々山と宵山の夜、鉾町と言われる中京の古い町家に飾られる屏風や甲冑や美しく飾られた生け花などを見て歩いた。山鉾巡行も強い太陽の光に肌を焼かれながら、去年と同じ御池通り河原町の市役所前で大廻しを見た。8月15日の五山送り火は、木屋町にあるお気に入りのイタリアン・レストランの東山、比叡山を望むテラス席から眺めた。8月の終わり、嵐山で鵜飼いを見物、そして今日8月31日は台風襲来のため1日遅れの15夜。季節の移ろいは駆け足だ。週末のテニスとゴルフで、顔も手足も真っ黒になってしまった。
夏の終わりの役員懇談会・・6時間!
8月30日、3週間ぶりの役員(懇談)会は、議題が約30。1時半に始まった会議が終わったのは7時40分、実に6時間を越える長丁場の会議となった。吉田南キャンパスへのコンビニ誘致計画に始まり、概算要求の結果、事務職員の勤務評定の方式の変更、学位授与・大学評価機構の動き、情報環境機構や国際イノベーション機構など新しい組織の検討結果、インターネットを使った講義の提供、京都文化会議の概要、財務委員会の報告、京大ファンドの検討状況、電子ジャーナルに関するシンポジウム、9月7日に予定されている部局長会議の議題の確認などなど、種々雑多な議題が議論の俎上に上った。時に激論あり、時に沈思黙考あり、和気あいあいの中にも真剣な議論が続く。関係の部課長が入れ替わり立ち代り説明に立つ。原監事の他、企画部長、広報課長も陪席する。尾池総長のユーモアと機知溢れる会議進行により、自由闊達な雰囲気が生まれる。真剣勝負だが、誰もが京大を少しでも良くしよう、良くしたいという気持ちがあるので、意見の違いはあっても最後には何らかの合意が生まれてくる。
会議の後、原監事と京大を宇治地区事務部長を最後にこの春退職した学生支援機構の大平さんをまじえて台風の雨風の中、行きつけの中京区のフレンチ・ビストロで遅めの夕ご飯を取りながら事務組織改革について熱く議論を交わした。大平さんは、原監事が神戸商船大学で学生部長をしていたころの学生課長で旧知の間柄、私は総務担当理事として原監事と連携して事務の合理化、効率化を進める立場ということでこの日の3人一緒の食事になったのである。
国大協とマネジメント研修
8月最後の今日31日は、国大協の中島企画部長と電話で今後の学長、役員、部局長、幹部事務職員などトップ、ミドル・マネジメントを対象とした研修事業のあり方、大学単位、ブロック単位で行うべき事務職員対象の実務研修事業のあり方について長時間にわたり相談した。自主的、自立的な大学運営を理想に掲げても、学長以下、役員や部課長も法人化が前提としている民間的手法を取り入れた戦略的、効率的かつ社会的説明責任を果たしうる大学運営のための経験も基礎的知識も不足している現状では、国大協が中心となってトップから一般の教職員に至るまできちんとした研修を受け、自己啓発を行わなくてはならない、というのが私の持論だ。国大協の研修企画小委員会の委員長として、何とかこの趣旨を生かした研修事業を立ち上げたいという気持ちから、国大協事務局の奮起を促した。
8月26日午前、文部科学省に御手洗次官を訪ね、法人化後の京大をはじめとする国立大学の状況、国大協における研修事業の検討状況などについて報告した。次官は私の2年先輩であるが、文部科学審議官のころから法人化後の大学のあり方に強い関心をもっていて、しばしば長時間にわたって私の口から地方大学も含めて国立大学側の考え、文部科学省に対する注文などを熱心に聞いていただいた。今回も、研修事業を中心に課題を申し上げたところ、法人化の1年目こそ改革に道をつける上で最も重要であり、「激変緩和措置」とか「とりあえず従来の制度を継続して、2,3年目から本格的に検討しよう」などということでは改革のモメンタムが失われる、やるべきことは初年度にこそ果敢に挑戦しなくてはならないという意見で一致し、本当に心強く思った。いろいろな考えの人たちがいるが、法人化の成否は、それをさまざまな場で大学改革を支える人たちの資質を高めることができるかどうかにかかっているという思いでがんばりたいと思う。
「国立大学法人化と大学改革」執筆
昨年秋から、法人化を契機にいかに大学を変えていくかという問題意識で本を書こうと思い準備をしてきた。年内に、年度内には終えよう、ゴールデン・ウイーク中には完成しよう・・と自らに締め切りを課しながらとうとうこの夏まで引きずってしまった。しかし、何とか仕事の合間に時間を作って6万3千字の原稿を書き終えた。出版社は、私が専門教育課長時代の1993年から毎月書き続けている「国際派官僚のひとりごと」を掲載している「学校法人」を出版しているところに決まっている。抽象論ではない、現場の人たちに参考になるような内容を目指して書いた。少しでも早く読者の手元に届くよう、出版社との打ち合わせを急ぎたい。
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