局長ノート(2004年2月16日)

局長ノート(2004年2月16日)

本間 政雄

私のオフ・タイム

2004年2月、国立大学の法人化、非公務員化の大波がいよいよ間近に迫ってきた。それだけでなく、この10年ほどの間に京都大学も、様々な大きな変化の波に洗われるようになってきた。教育、研究の現場で急速に国際化や情報化が進み、研究や医療も高度で複雑な設備が次々と導入されるようになっている。さらに、情報公開や医療訴訟、大学評価、知財管理、技術移転、高速回線を使った海外の大学との遠隔教育などこれまでの国立大学にはない新しい仕事が降りかかって来る一方、21世紀COEに代表されるような新たな研究費が沢山配分されるようになっている。大学業務の現場でこうした変化に否応なしに対応を迫られている職員のストレス、プレッシャーはとても大きいと思う。大部分の職員とりわけ30代後半から40代以上の職員は、京都大学の職員になったときには、将来こんな仕事をする羽目になるとは夢にも思わなかったのではないだろうか?

このような変化は世界的な傾向であり、何も京都大学に限ったことではない。ニュー・ヨークでもオックスフォードでもシンガポールでも同じような変化が起き、こうした変化に必至に追いつこうとしている。変化への迅速な対応に失敗した大学は、世界的な競争の中で否応なく落後して行かざるをえないのである。電子図書館の構築、情報セキュリティの確保、学内で起きる、あるいは学外から提起される様々なトラブル(入試ミス、医療訴訟、セクハラやアカハラの訴えなど)への適切な対応、地元企業や自治体との良好な関係の構築、危機管理、適時的確な大学情報の発信など常に先手先手で対策を講じておかねばならない。こうしたことは教育研究を専らとする教員に任せておくことなく、事務職員が教員の意見と専門知識の支援を得ながら全体を見渡しつつ、手を打っておく必要がある。

このように大学を取り巻く環境は、一瞬も気を抜くことができない状況になりつつあるが、しかし人間は緊張とプレッシャーの連続に耐え続けていくことはできないし、そうすべきでもない。人間、仕事のことばかり考えるようになると、ろくな事にはならないし、いい仕事をすることもできなくなる。

こんな訳で、今回の事務局長ノートでは少し目先を変えて、私のオフ・タイムと題して、本間流息抜き術を紹介して読者の参考に供したい。

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1. お洒落

個性を競うフランスで5年以上も過ごしたせいか、生き方でも服装でも自分流を通してきた。特に着るものは自己表現の手段の一つとして気を使っている。朝から仕事の後のアフターファイブまでその日の日程、会う人に合わせて洋服、シャツ、ネクタイ、靴、鞄まで組み合わせを出勤前に考える。着るもの一つでその日の気分が全く変わるのは驚くほどである。当然自分が身につけるものは自分であつらえる。その日の気分で思い切り明るい色のスーツに黄色や赤といった原色のネクタイをつけることもあるし、オーソドックスなダーク・スーツだが濃紺のポケット・チーフでアクセントをつけることもある。週末や平日でも仕事の後出かけるときは、皮のブルゾンにブーツというときもあるし、細身のジーンズにノー・スリーブのTシャツ、サングラスという日もある。堅い、古いというイメージの染みついた文部省の役人、年寄りじみた偉い人という事務局長のイメージをまず服装から壊していかないと、相手が大学の先生でも民間企業の人でも率直な話しになかなか入っていけないような気がする。

2. ライブ・ミュージック

高校、大学と5年間ロック・バンドでドラムをたたいていた。そのせいか、生の音楽を聴くのが何よりも好きだ。まずクラシック音楽。東京では年に40回は音楽会場に足を運んでいた。オペラも好き、室内楽もいい。そもそも英国に留学したのも、ヨーロッパで本場のクラシックを聴きたかったからだ。ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスというロンドン市中の大学院を選んだのも、コベント・ガーデンのオペラ・ハウスが近かったから。チャイコフスキー・コンクールで優勝した諏訪内晶子さんの幼いときからの支援者であった私の友人が、自分の家で彼女を招いてホーム・リサイタルをするといえば飛んでいくし、親しい友人のスキー・インストラクターの杉山進先生が地元奥志賀の「森の音楽堂」で木管7重奏団の演奏会があるといえばスキーを担いで駆けつける。ポピュラー・バンドのライブももちろん好きだ。

東京では六本木の「アビー・ロード」でパロッツのビートルズのコピーを聞くのが目下の楽しみである。パロッツの奏でる歌はビートルズよりもビートルズらしい。お気に入りは、ビートルズ初期の「ロール・オーバー・ベートーベン」や「イフ・アイ・フェル」など。「シー・ラブズ・ユー」や「ツイスト・アンド・シャウト」も大好きだ。カラオケでもビートルズの「レディ・マドンナ」や「オール・マイ・ラビング」などを歌うことも多い。カラオケといえば、演歌は無縁、「選曲お願いします」とリクエストされれば「千曲(!)は無理」と言いながら、5曲や10曲はすぐに入力してしまう。目下の愛唱曲は、ダ・パンプの「イフ」、福山雅治の「遠くへ」、島谷ひとみの「ペルセウス」、デイ・アフター・トモローの「スターリー・ヘブンズ」。安室奈美恵の「チェイス・ザ・ダンス」などは何度歌っても飽きない曲だ。よく「無理して若い曲を歌っているんでしょう?」と聞かれるが、それは違う。年代的にはもちろん加山雄三や演歌の世代だが、感覚的には今の歌が合う。テンポ、メロディ、詩どれをとっても最近の歌の方がいい。昔の歌は一言で言うとワン・パターン。すぐ飽きる。特に演歌に歌いこまれた感情もたいてい「日陰の恋」みたいなものばかりで、詩も「北の酒場、かもめと岬、男の涙、一人飲む酒、あなたの帰りを待つ私・・」といったものばかり。ウエットでねちっこくてしみったれているような気がする。

ところで六本木にサルサが踊れるバーがあったが、今はどうなっているだろう。キューバのビールにくるくる回って踊るサルサ・ダンス、客の大半は南米ブラジル、ペルーなどの日系人かクラブやユーロ・ビートに飽きた30代の大人が多い。踊りが得意の私もサルサだけは難しいが、いつかマスターしてサルサの輪に加わってみたい。サンバもトライしてみたい踊りの一つだ。かつて住んでいた東京三田の夏祭り「三田カーニバル」でいつもブラジルからサンバ・チームを呼んでいたが、あのわくわくするようなリズムが何とも言えずいい。

3. スポーツ

私が1歳半の頃、父親を交通事故で失った我が家はずっと赤貧の中、就職するまで遊び系のスポーツとはほとんど縁がなかった。高校生の時サッカー部に入ったが3ヶ月で退部、社会人になって初めてスキー靴を履き、留学した英国で初めてテニス・ラケットを握った。ゴルフを始めたのは40才になってから、文部省で生涯スポーツ課長になって周囲から勧められ無理矢理始めさせられた。最初は環境破壊のプチ・ブル・スポーツと馬鹿にしていたが、いつの間にか自分と自然と対峙するこのゲームの虜になっている。

さて、フランスで仕事をしていたとき、前からあこがれていたヨット・スクールに参加するため南仏ラングドック地方のリゾート地に行った。風の力を頼りに進むヨットの魅力にたちまちとりつかれた。今は家内の里の沖縄に出かけたときくらいしかヨットを楽しむ機会はないが、風と青い空と海しかない空間で風を切って進む楽しさは一度味わってみないと分からない。

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そんなこんなで目下、週末に4-6時間テニス・コートを走り回り、年に30回はゴルフ場に足を運んでいる。テニスは頭を使うのが楽しいし、ゴルフは四季の自然を肌に感じながらできるのがいい。東京ではゴルフ場に行くまで2時間は当たり前、費用も2-3万円と今から思うと気違いじみていたが、京都では市内から1時間以内で平日ならお昼がついて7千円、週末でも1万円あればラウンドできる。たまに友人に誘われて神戸、六甲の昔からのゴルフ場にも足を伸ばすことがあるが、変化があっていい。六甲ゴルフ・クラブに行くときは芦屋の駅で友人に車で拾ってもらうが、お洒落な町にすてきな人たちが歩いていてゴルフ場に行く前からいい気分になる。ゴルフはプレー自体が楽しいことはもちろんだが、行く前も期待に胸が高鳴って楽しいし、ラウンドが終われば終わったで、一緒に回った友人とプレーについてあれこれ話すのがこれまた楽しい。私のように小説を読むのが好きなものにとっては、ゴルフをテーマにした小説を読む楽しみもある。ゴルフは1回プレーするたびに3倍も4倍も楽しめるのである。

4. 読書の楽しみ

私は1年に50冊から60冊の小説を読む。最近は古典が多い。新幹線の中で、ベッドに入る前に、旅先で・・と読書は時と場所を選ばない。英語とフランス語ができるので、外国語で読むことも少なくない。フランスから帰ったばかりの頃、仕事は忙しく、幼い3人の子供たちの育児で忙しいので、本を読むのは行き帰りの地下鉄の中に限られた。渋谷の一つ先の池尻大橋の駅から文部省のある虎ノ門駅まで約18分、この時間を利用してアレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」全5巻約2千ページをフランス語で読んだ。実に3年間かかったが達成感は大きかった。

目下読んでいるのは、吉川英治の「新平家物語」、森鴎外選集、司馬遼太郎の「街道を往く」、芥川龍之介などの古典と現代作家を手当たり次第。ところで、本は滅多なことでは買わず、公共図書館から借りて読む。若い頃は数千冊の本を部屋の壁に作りつけの書棚に飾って喜んでいたが、子供ができて本を置くスペースがなくなったのと、同じ本を二度読むことがほとんどないという単純な事実に気がついたため、本を買うのを辞め、ため込んだ本はみんな捨てた。たまに本を買っても読み次第、人にあげることにしている。京都でも早速岡崎の府立図書館と高野の近くの左京図書館のカードを作ったが、週末家族の待つ東京に戻っていることが多く、あまり利用していない。専ら赤坂図書館が私の書斎、書庫である。

5. 旅先の話

英国に留学したのは、文学や音楽を通じてあこがれていたヨーロッパの町を旅して歩きたかったからである。リュックを担いでスペインの名もない村や、ドイツの城やオペラ・ハウスを巡ってみたかった。必至になって留学の試験の勉強をしたのもひとえにそのためであった。

ロンドンに留学して英国国内はもとより、冬休み、春休みを利用してベルギーやスイス、南仏、スペインなどを回ったが、夏休みには2ヶ月半かけて北はノルウエー、南はイタリア・ナポリ、東はベルリンまで家内と一緒に貧乏旅行をした。ユース・ホステルや駅舎、時には建設中の別荘の中で無断宿泊をしたりしてヨーロッパ中を見て回った。日本人、外国人色々な人との出会いがあった。

英国の語学学校で知り合ったヨーロッパの友人の家を訪ね、インスブルック、トリノ、ルツエルンなどで泊めてもらい、その土地を案内してもらった。家内がドイツ・ボンのユース・ホステルで倒れ、10日間入院するということもあったが、土地の人たちの善意に助けられ、2ヶ月半の旅を終えた。時々あの頃のアルバムを見ると真っ黒に日焼けした自分が笑っている。パリの凱旋門の上、ワーテルローの巨大な石碑の前、ローマ・コロッセオの野外オペラの会場で、モンブランをのぞむエギーユ・ディ・ミディのロープウエイ駅で・・場所は様々だが未知との出会いを楽しんでいる自分がいる。見知らぬ町を歩くのも楽しい。

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名古屋で生まれ育ち、東京では府中、武蔵小金井、用賀、池尻、柏、目黒、三田そして今の南青山と官舎を転々とし、海外勤務も3度(ロンドンとパリ)となれば、お気に入りの町は数え切れないほどあるが、どんな町でも古い由緒のある街並みに惹かれる。古本屋があり、風呂屋があり、昔からやっているような小間物屋があるような町がいい。

東京では麻布十番がそんな町の典型だったが、地下鉄が新たに2本も通るようになり、すぐ近くに六本木ヒルズなどができてから街のたたずまいは急激に変わりつつあるのが残念だ。今住む京都では、中京のあたりがいい。町屋を利用した小粋なフランス料理屋や古い石造り、レンガ造りの建物の地下にあるバーなどが老舗の扇子屋や味噌の問屋などに混じって建っているのがミスマッチでおもしろい。

まだまだ「グルメ」、「勉強会」、「こども」・・など私のオフ・タイムは尽きないが、今回はこのあたりで。