「WINDOW 構想※」に掲げられた「野生的で賢い学生を育成する」「異文化を理解し国際的に活躍できる人材を育成する」という目標を実現するため、2016年度に開始した新しい体験型海外渡航支援制度「おもろチャレンジ」。
従来の海外留学とは異なり、学生が自ら渡航先や活動内容を計画する点が特徴で、主体的に海外で学ぼうとする意欲を後押しすることを目的としています。世界各地で「おもろチャレンジ」に挑戦した学生たちが、そこで何を感じ、何を学んだのか。
2016年度に参加した3名の学生と、山極壽一総長、更に本取組を支援してくださった、京大卒業生財界トップによる総長支援団体「鼎会(かなえかい)」の山西健一郎会長(三菱電機株式会社取締役会長)による座談会を開催しました。(司会: 国際教育交流課課長 馬渕 光正)
http://www.kyoto-u.ac.jp/window/
- この座談会は、PDFでもご覧いただけます。
「京都大学・体験型海外渡航支援制度「おもろチャレンジ」座談会-グローバルに活躍するための素質とは 「夢を語れる力」-
「おもろチャレンジ」が目指すもの、産業界からの期待
山極: 「おもろチャレンジ」は、既成のコースを選ぶ従来の留学とは異なり、ゼロから自分で計画を立て、自らの責任において海外を体験するプログラムです。私が学生の頃は、小田実の旅行記『何でも見てやろう』がバイブルで、世界を貧乏旅行するのに憧れていましたが、なかなか果たせなかったという後悔があります。今、京大生に限らず若者が内向き志向だと言われる中で、世界に飛び出して本当にやりたいことに体一つでチャレンジし、オンリーワンの経験をしてほしい。その思いが山西会長を始めとした鼎会の方々のご支援で実現し、大変感謝しています。
山西: 企業の立場から見ても、非常に良い取組だと思います。三菱電機には、「変化は進歩」という言葉があります。変化や挑戦なしに進歩は生まれないため、若い時に果敢にチャレンジして自分を進化させてほしいですね。
更に学生が自ら計画・実行するのがこのプログラムの特色ですが、実際に現場に行くとその通りにいかないことも多々あるでしょう。その場合は確実に計画が間違っているのですが、それは経験しないと分かりません。そういう意味でも、学生のうちに計画を立てて実行し、うまくいかない経験をすることは人生にとって大きなプラスになると思います。
三者三様の「おもろチャレンジ」、その応募動機とは
河野: 私は「京大生フラダンサーになる」という目標を掲げ、ハワイに3週間滞在しました。7歳から始めたフラに魅せられて、将来はフラダンサーになろうと本気で思っていた時期もあったんです。迷った挙句に大学進学を選んでフラスクールを離れ、法学の勉強に励む中で、企業法務に携わりたいという新たな目標も生まれました。しかしフラダンサーへの思いも断ち切ることができず、両方の夢をかなえたいという思いが強くなっていきました。
一方では、人生を振り返った時に、大きな失敗もせずレールに乗ってきたような気がしていて。そんな矢先に「おもろチャレンジ」の募集を見て、自分の殻を破り、一度諦めた夢に近づくチャンスだと思い応募しました。
中土井: 小さい頃から植物が好きで、ラフレシアとウツボカズラに代表される熱帯植物の本来の姿を観察するためにマレーシアに行きました。実は、小中高の間はほとんど勉強していなかったんです。浪人して初めて本気で取り組んだのですが、理学部に入ってみると、専門分野に関する知識量に周囲と圧倒的な差があって。現地でフィールドワークができる「おもろチャレンジ」は、その差を少しでも埋める良い機会だと思いました。
一般的な留学は成績などの基準がありますが、「おもろチャレンジ」の選考では情熱と計画力にウェイトが置かれていて、「情熱ならある!」と思ったのも理由の一つです。海外旅行の経験がなかったため、英語が通じて比較的安全なマレーシアを選びました。
和田: 私はイタリアに1ヶ月滞在し、「Albergo Diffuso(アルベルゴ・ディフーゾ)」という過疎地におけるホテル形態について調査しました。これは直訳で「分散したホテル」を意味し、空き家を宿泊施設として再生利用するとともに、集落全体で一つのホテルとして運営する地域経営の仕組みです。
専攻の建築と関連するテーマであり、また将来的に国際機関で働くことを視野に入れているため、異文化の中で調査・研究を行う苦労を体験してみたいという思いもありました。日本でも長らく過疎化が問題になっていますが、近い将来、現在発展途上国と呼ばれている国でもこの問題が顕在化してくると思っています。その解決策を探ることは、今後途上国を含む世界各国で活動する上で必ず役立つはずだと思いました。
いざ単身で海外へ、現地での得がたい経験の数々
河野: 実は、最初に待っていたのは挫折だったんです。計画段階ではハワイでフラを習うつもりでしたが、流派があってどこでも気軽に習えるわけではないんですね。地元で師事していた先生の人脈をたどり打診したところ、「学生が短期間で片手間に習えるものではない」と断られてしまって。いきなり扉が閉ざされ、目の前が真っ暗になりました。
でも、そこでフラを受動的に習おうとしていただけだった自分の浅はかさに気づかされたんです。フラを一つの文化として捉え、「フラの伝統や存在意義」「フラダンサーとは何か」という根本の部分を探ろうと目的を切り替えて現地へ向かいました。フラダンサーや現地で活躍する日本人に片っ端からアポをとって話を聞いたり、ステージや国際大会を見学したり、フラを育んだ文化や自然そのものを感じようとさまざまな場所を訪れたり。とにかく足を運び、アクションを起こし続けた濃厚な3週間でした。
最終的には、そんな地道な行動と熱意が実り、ワイキキビーチの老舗ホテルのビーチステージで踊る機会を頂いたんです。現地のフラダンサーとしてステージに立ち、お客さんの笑顔を目の当たりにすることができたのはこの上ない喜びで、ついに夢がかなったと思いました。
中土井: 私が現地でしたことは2つあります。一つはラフレシアを探したこと、もう一つはキナバル山に登り植物観察を行ったことです。ラフレシアについては、当初一人で森に入って探したものの苦戦したため、仲良くなった現地の方に運転を頼み、車で回って運良く見つけることができました。2個咲いていたのですが、それは珍しいらしくマレーシア人も興奮していましたね。
滞在中に2回登ったキナバル山は、高度4000mの東南アジアで一番高い山。登りながら植物の写真を撮り高度をメモするなど観察を続け、念願のウツボカズラも発見することができました。また、山のふもとには京都大学の「キナバル山公園拠点」があり、農学研究科の北山兼弘教授が滞在されていました。そこで教授や院生の方とご飯を食べたり、研究活動に同行させてもらったりしたことも貴重な経験になりました。
和田: 「アルベルゴ・ディフーゾ」は、集落内の複数の空き家を改修し、受付、客室、レストランなどの機能を割り当て、エリア全体でホテルとして運営する仕組みです。宿泊客は一時的な住民として滞在し、田舎の伝統的な生活を体験することができます。集落の側からすると、地域全体に経済効果をもたらすほか、自分たちの集落が持つ伝統的な価値を見直すきっかけにもなっています。1976年に北イタリアで起こった地震の復興のために生まれたこの仕組みは、一つの宿泊形態として法的にも確立され、現在イタリア全土に100以上存在しています。
今回訪れたのは、トスカーナ地方にある人口1000人以下の集落。ホテルオーナーへのインタビューや建物の実測調査を通して、開業に至るプロセスや運営規模・コスト、集落に与えた影響などを調べました。帰国後も研究は続けていて、昨年の11月にはアルベルゴ・ディフーゾ協会の会長と日本でお会いする機会に恵まれました。その縁で、今年の夏に協会のインターンとして再度イタリアへ行くことになり、前年の調査内容をさらに深掘りしたいと考えています。
今回の経験から学んだこと、身についた力
フラは観せるものではなく、シェアするもの 「日本で言うと“お味噌汁”のようなもの」
河野: フラの文化と向き合い、さまざまな方のお話を聞いて、フラダンサーの定義は一つではないと感じました。お金をもらい、職業としてステージに立つ人はもちろんフラダンサーです。しかし、多くのクム(フラの先生)に会い、フラダンサーに何が大切かと聞くと「シェアすること」だと言うんですね。フラを愛し、敬意を持ち、共に踊る人や観ている人とシェアできる人だと。そういう意味では、私もフラダンサーだと言えると思っています。
山極: フラを踊ること、それ自体が一つのコミュニケーションなんですね。シェアをして、何か変わったことはありますか。
河野: フラそのものに対する意識が大きく変わりました。神様にメッセージを捧げるツールであるという本来の性質からも、「観せる」ものではなく、みんなで一つの空間を共有するためのフラなんです。それを身をもって感じた時に、とにかくステージに立ちたい、踊りたいと考えていた渡航前の私は自分本位だったなと思います。
山西: なるほど、共有するというハワイならではの文化ということですね。では、日本の文化でフラに近いものは何だと思いますか。
河野: 「お味噌汁」ですね。行く前は、着物や茶道のような伝統文化に近いものだと思っていましたが、想像以上にフラは日常に根付いていました。当たり前にあって、愛され、尊敬されていて、人々のアイデンティティになっている。そういう意味で、「お味噌汁」かなと思います。
山極: 食べ物なのが意外ですね。今回、ハワイの方々が外から来た河野さんを受け入れてくれたのは、何が決め手になったと思いますか。
河野: そうですね……現地の方々の期待もあったのかなと思います。京大の制度を利用して、こういう目的で来ていると企画書をつくってアプローチしていたので、向こうもフラを伝えたいという気持ちで受け入れてくれたのではないでしょうか。
山極: 見知らぬ人に、自分の時間を割いて受け入れてもらうには何が必要か。そうしたことを学ぶのも、「おもろチャレンジ」の意義の一つだと思います。河野さんの場合は、最初に挫折をして、このままじゃ終われないという覚悟があって、気づかないうちにひしひしと伝わるものがあったのでしょう。きっと逆の立場になったら良く分かると思います。
研究と人生に活きる、普遍的な経験 「ウツボカズラの消化液はやや酸っぱい」
中土井: 正直、今後、私がラフレシアやウツボカズラの研究に携わるかと言えばそうではないかもしれませんが、もっと大きな意味でこれからにつながる普遍的な経験ができたと感じています。一つは、生まれて初めて一人で海外へ行って、異文化に触れて他者とコミュニケーションしたこと。少し自信もついて、帰国後もマダガスカルに行きました。
二つ目は、現地で研究者として働く方と出会えたこと。研究者の仕事や姿勢を目の当たりにして、漠然と抱いていたイメージがより具体的になりました。三つ目は、座学で学んだ内容が現実とリンクしたこと。ある本に「ウツボカズラの消化液はやや酸っぱい」と書かれていたのですが、舐めてみたらその通りで、新たな学問の楽しさと出会えたように思いました。
山西: そもそも植物を好きになったきっかけは何だったんですか。
中土井: 小さい頃から毎年家族旅行で西表島を訪れていて、マングローブ林で遊んでいるうちに興味を持つようになりました。
山極: 研究者にとって一番重要なのは、「研究は一人でできるものではない」ということです。例えば、フィールドワークの場合、現地の人の協力が不可欠であり、彼らに信用してもらわないと目的は達成できません。さまざまな課題や苦労がありますが、それを面白いと思ってやり抜かないといけない。それが研究者のリテラシーです。そうしたことを、おぼろげながら体験してきたのではないでしょうか。ガイドの人とはどういう会話をしましたか?
中土井: 友達みたいな感じで、普通の日常会話です。昨日何食べたというようなたわいもない話をしていました。
山極: 現地の人との会話で、間の悪さをどうつないでいくかということも一つの技術です。相手に警戒されすぎてもいけないし、反対に、仲良くなりすぎると相手に利用されたり、過度な期待をかけられたりしてしまいます。お互いに心地良い距離をどう保つかが、海外では非常に重要なんです。
言葉が通じなくても、信頼関係を築ける 「素敵な人は素敵な人に巡り合う」
和田: 研究室で国内の過疎地を訪れることが多いのですが、空き家を活用したいという構想を持っている方も多いため、大学院在学中には「アルベルゴ・ディフーゾ」の研究成果を日本にも還元したいと思っています。
また、研究とは異なる部分で、現地では言語とコミュニケーションに関する印象的な経験をしました。一つは、10日間滞在した農家の男性オーナーとの出会いです。向こうは英語が話せないイタリア人、こちらはイタリア語が話せない日本人。言葉が通じない中で持てる限りの礼節を尽くし、相手の行動や身振りを見ながら、お互いの意思をくみ取る日々でした。すると一緒に過ごすうちに信頼関係が芽生え、短期間で語学力が目覚ましく上達しました。それまでは、日本語以外の話者に対して「言葉が話せないと関係が築けない」と思っていましたが、逆なんだと。先に信頼関係を築けば、言語はいくらでも上達していく。帰国後は、人間関係が非常に豊かになったように思いました。
もう一つは、田舎の集落に行く途中で、交通手段が途絶え立ち往生したことがありました。すると英語が話せるイタリア人女性が声をかけてくださり、事情を説明すると周囲の人に掛け合ってくださって、最終的にホテルを紹介してもらい、晩御飯もご馳走になりました。別れ際に「素敵な人に出会えて良かった」とお礼を言うと、「素敵な人は素敵な人に巡り合うのよ」と言われて。その言葉がずっと心に残っていて、誠実に生きていきたいと改めて思うようになりました。
山西: 非常に良い経験をされましたね。最近は日本人同士でもコミュニケーションができていないと感じることが多々あります。自分の言いたいことだけ主張したり、相手の話にまともに応じなかったり。コミュニケーションで一番大事なのは「聞くこと」ですが、それを軽んじている人が多いように思います。しかし、言葉が通じなくても真摯に向き合えばきちんと通じる。日本人同士もそれを肝に銘じるべきだと思います。
山極: 言葉が通じないにもかかわらず信頼関係を築けたのは、山西会長がおっしゃったように、必死で聞こうとしたからでしょう。その本気の聞く姿勢が伝わったため、相手に手を差し伸べようという気にさせたのだと思います。
言語の習得については私もアフリカで同じような体験をしたことがあり、2週間ほどでスワヒリ語をマスターしました。言語は喋る時に身体化するため、身体のリズムが合ってくると自然と喋れるようになるものです。ただ注意しておきたいのは、言葉が通じるようになると、逆に信頼関係が崩れるケースがあること。伝わるとなると、相手も様々なことを言ってきます。不快な思いもするかもしれませんが、その時に信頼関係を保てるかが次の課題になると思います。
異質な環境下で、自分の身を守る経験も必要
山極: 3人とも危険な目には遭いませんでしたか。
河野: トラブルという意味では、行きの飛行機が天候の関係で欠航になってしまって。海外の航空会社なのでホテルの手配をしてくれず、同じ便に乗るはずだった女性と助け合って乗り切りました。さらに翌日の振り替え便がサンフランシスコ経由だったので、直行便にしてほしいと必死で訴えましたね。
山極: 海外ではそういう時、黙っているとどんどん状況が悪くなりますよね。しっかり主張していかないと望む状況は得られない。
中土井: 私は山の中のホテルに向かう途中、予約サイトが目的のホテルの住所と違う住所を載せていたらしく道を間違ったことがありました。夜で、大雨だったためドライバーも苛立っていたのですが、途中で降ろされたら危ないと思い、丁寧に交渉し続けてなんとかたどり着けました。
和田: 危険という危険は無かったのですが、イタリアでは飲酒運転禁止が法律化されたのが最近らしく、認識が緩い部分があって驚きましたね。
山極: 大きな危険に遭わなかったのは何よりです。海外では、自分の身は自分で守らなければなりません。あらかじめ予想して対処しても、必ず想定外のことが起こります。危険もありますが、そこに身構えながらあえて飛び込み、自分を守る経験も必要だと思います。
京大で得たもの、社会で働くということ
若い人には「失敗すること、否定されること、恥をかくこと」 を経験して欲しい
山極: 折角の機会なので、山西会長のお話もお伺いしたいと思います。学生時代に学んで、社会に出てから役立ったことは何でしょうか。
山西: 大学では、化学工学と機械工学の2つを専攻しました。学生時代、会社員時代を通して、異種の知、つまり異なる分野の知識を学ぶことが非常に好きだったんですね。スペシャリストではなく、どちらかと言えばゼネラリスト。それがいろんな場面でプラスになっています。
また、当時の先生から「本質を理解すること」の重要性を教わったことも大きな財産です。今でも、時間がかかっても上辺だけでなく本質を見ること、本当に理解することを心掛けています。
さらにこれは学生時代に限った話ではありませんが、若い時に体験しておいた方が良いと思うのは、失敗すること、否定されること、そして恥をかくことです。これを若いうちに経験しておくと怖いものが無くなるため、ぜひ皆さんも恐れずに挑戦してほしいと思います。
山極: これから社会に出ていく学生たちのために、大学生としての評価と、社会人としての評価で異なる点をお聞きしたいのですが。
山西: 大学における評価は、大体の場合、試験や論文で専門性を測るものでしょう。ただし企業において、専門性は一番ではありません。一番は、情熱や闘争心。二番が倫理観で、専門性はその次ですね。最後は、上の立場になった時に求められる力ですが、不条理を理解するかどうか。世の中に不条理なことは山ほどありますが、それはそれとして理解して、どう対応していくかが重要になっていきます。
二番に挙げた倫理観とは、正直さや潔さ、決断力、評価の公平性、コミュニケーション力などを指します。リーダーシップの面でも重要で、倫理観のある人でないと人は付いていきません。上が強引に引っ張るだけの組織は、皆がついてこず、トップが代わると事業の継続性が無くなってしまう事が多く、組織としては脆いと思います。
山極: 産業界で、京大生はどのように見られているのでしょうか。
山西: 自分も京大生だったのでなかなか客観的に見られない部分がありますが、他の人から言われるのは、優等生タイプではない人が多いということです。反骨精神がある、ユニークな人材が多い。だから産業界からの評価は高いですよ。
山極: 最後に、大切にされている座右の銘などはあるでしょうか。
山西: 「天命を信じて人事を尽くす」という言葉です。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉が一般的ですが、逆の方が、最後まで自分で前向きにやれるという印象になるためです。
国際的に活躍し次世代を担っていく人材に求められる力とは
山極: 国際的に活躍できる人材に必要な資質には、大きく三つあると考えています。一つ目は、「自己のアイデンティティを持っている人」。自分が何者かを相手に説明できなければ、信用してもらうことはできません。「見たいものがある」ということも、自己証明になります。「ラフレシアを見たい」「ゴリラを見たい」と言うと、現地の人と共通の目的ができますよね。さらに言えば、「夢を語れる人」であることがもう一つの要件。自分の夢に相手を引き込んで、感動してもらわないと対話は生まれません。ただし夢を語り続けていくためには、自分自身も進化し続け、ビジョンを広げていく必要があります。
三つ目は、「危機管理能力」です。海外における危機管理とは、相手に自分がどう見えているかを常に見定めること。正解にたどり着かなくてもいいですが、少なくとも間違えてはいけない。海外では、見定めを間違えば、命を落とすことになりかねませんから。異文化のフィルターを通して相手を理解し、危機管理も含めた直観力を磨くことが重要なのです。
「自己のアイデンティティを持つこと」「人を感動させる夢を持つこと」「危機管理ができること」。座学だけでは身につかないこうした力を、このグローバルな時代に京大生に学んでほしいと考えています。「おもろチャレンジ」を通して、3人は知らず知らずのうちにこれらの力を習得してきたのではないでしょうか。今日の話を聞けて大変良かったと思っています。
山西: 企業の観点から言うと、海外でビジネスを展開する際に必要なのは、グローバルスタンダードを理解することです。しかし、それ以上に重要なのは、それぞれの国のローカルテイスト、固有の文化を理解すること。日本はあくまで約200カ国の中の一つであり、日本の常識は世界では通用しないですから。
「おもろチャレンジ」を通してこの二つを身につけてもらえれば、きっと活躍の場は広がるでしょう。ぜひこれからも頑張って挑戦していただきたいと思います。
(撮影場所: 東京都千代田区 学士会館)