今やあらゆるところで目にする京都大学のエンブレム。デザインは、言わずと知れた京都大学のシンボル、クスノキがモチーフとなっています。
今回は、このエンブレム誕生の歴史について紹介します。
現在のエンブレム
京都大学のエンブレムの原型は、1950(昭和25)年頃、本学庶務課に在籍していた職員 小川録郎氏により考案され、以来「事務局シール」として事務局および部局における印刷物、レターヘッド等に使用されていました。
エンブレムの変遷の一例:左から(1)「OUTLINE OF KYOTO UNIVERSITY 1950」(2)「THE GENERAL BULLETIN KYOTO UNIVERSITY 1956-1957」(3)「KYOTO UNIVERSITY BULLETIN 1968-1969」(※いずれも京都大学大学文書館収蔵)
上記資料のエンブレム拡大図(左から(1)(2)(3))
その後、国際交流の進展に伴い、大学としてのエンブレムの必要性が高まり、工学部建築学科 川崎清 教授および京都芸術短期大学ビジュアルデザイン学科 久谷政樹教授により、意匠についての専門的な検討が加えられ、1990(平成2)年11月16日の評議会において、本学のエンブレムとすることが了承されました。以降、そのエンブレムは、本学が発行する様々な広報物等に京都大学の象徴として広く用いられてきましたが、印刷技術や広報媒体の変化に伴いデジタルデータの制定が必要となりました。
現在のエンブレムは、大学広報委員会の要請により、学術情報メディアセンター 奥村昭夫客員教授(デザイナー)、コンテンツ作成室(元木環助教)、全学共通科目「グラフィックデザイン」受講学生有志によって、デジタルデータ化と同時に利用状況・環境を考慮して再検討されたもので、2009(平成21)年10月20日の部局長会議にて、本学の名義やロゴタイプ、スクールカラーなどとともに制定されました。
そして現在、エンブレムは京都大学の顔として、様々なところで認知度を高めています。
古くは「葵」のマークも存在していたが・・・
また、古くは、「葵」のマークも存在していたことをご存知でしょうか? 襟章として広く用いられていた時代もあったそうです。
葵のマークの歴史については、1949(昭和24)年に京都大学のバッジ作成のため、当時の同学会が公募し採用された法学部学生の図案が用いられたことが、学園新聞(同年4月11日付 第117号 ※現在の京都大学新聞の前身)に報じられています。
当時の掲載記事(学園新聞 第117号)
葵のマークがこの図案の原型となった由縁については、当時、戦争で中断されていた葵祭が復活の気運高まる時期であり、京都のイメージとしてぴったりであることなどから考案するに至ったという、作成者本人からの聞き取り調査を書き留めた資料(1984(昭和59)年2月15日 庶務部庶務課作成)も残っています。
その後しばらくはこのバッジが広く学生に愛用され、当時の卒業生によると、この葵のマークが京都大学のシンボルマークだと思われていた時期もあったそうです。当時を知る卒業生の方の中には、こちらのほうがなじみ深く感じられる人もいるかもしれません。
京都大学のエンブレムの歴史については、百周年時計台記念館1階 歴史展示室でもその資料の一部を展示しています。さらに詳しく知りたい方は、ぜひ足を運んでみてください。(※2013年3月31日(日曜日)までは企画展開催のため展示はしていません。4月2日(火曜日)から展示再開予定です)