高田昌彦 ヒト行動進化研究センター特任教授(研究当時)は、平林敏行 量子科学技術研究開発機構主幹研究員、南本敬史 同次長らとの共同研究により、見た物についての記憶を保持する脳ネットワークを霊長類で特定し、その作動原理を明らかにすることに、世界で初めて成功しました。
今から30年ほど前に、見た物の形や色についての高度な視覚情報を処理する側頭皮質前方部という場所が、物を見てそれを覚えておく「視覚記憶」を担うことがわかりました。しかし実際に視覚記憶を担うのは側頭皮質前方部だけではなく、それを含む脳ネットワークであり、その全貌と作動メカニズムは長い間、未解明でした。
量子科学技術研究開発機構はこれまで、脳の特定領域の活動を自在にオン・オフする化学遺伝学という技術を世界に先駆けて霊長類で実現し、さらにその技術の飛躍的な精度向上でも世界をリードしてきました。本研究ではこの独自技術を応用して、視覚記憶に関わる脳ネットワークと作動メカニズムを、ヒトに近い脳の構造と機能を持つサルで初めて明らかにすることに成功しました。
本研究では、まず物を見てそれを覚えておく課題中のサルの脳活動を広く計測し、見た物を「覚えている」間に活動する脳領域として、予想された側頭皮質前方部に加えて、より高次な、これまでは情動や価値に基づく意思決定などに関わるとされてきた眼窩前頭皮質という領域が含まれることを突き止めました。そしてこの眼窩前頭皮質の活動を化学遺伝学で止めると、長く覚えておくことだけができなくなり、かつその時に側頭皮質前方部における個々の神経細胞では、物を「見ている」時の活動は保たれ、記憶に重要な「覚えている」時の活動だけが弱まることを発見しました。これらの結果から、側頭皮質前方部と眼窩前頭皮質は見たものを覚えておくためのネットワークを形成し、物を「見ている」時は視覚入力によって側頭皮質前方部がボトムアップに活動する一方、見た物を「覚えている」時は、眼窩前頭皮質から側頭皮質前方部へのトップダウン入力によって記憶が保持される、という視覚記憶のネットワークメカニズムが、初めて明らかになりました。
本研究によって視覚記憶のメカニズム理解が進むだけでなく、霊長類で初めて特定した視覚記憶ネットワークをヒトで人工的に活性化することで、認知症で障害された視覚記憶を回復させるといった臨床応用が期待されます。
本研究成果は、2024年7月10日に、国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。
【DOI】
https://doi.org/10.1038/s41467-024-49570-w
【KURENAIアクセスURL】
http://hdl.handle.net/2433/289789
【書誌情報】
Toshiyuki Hirabayashi, Yuji Nagai, Yuki Hori, Yukiko Hori, Kei Oyama, Koki Mimura, Naohisa Miyakawa, Haruhiko Iwaoki, Ken-ichi Inoue, Tetsuya Suhara, Masahiko Takada, Makoto Higuchi, Takafumi Minamimoto (2024). Multiscale chemogenetic dissection of fronto-temporal top-down regulation for object memory in primates. Nature Communications, 15, 1, 5369.
朝日新聞(7月19日 10面)、産経新聞(9月17日 18面)に掲載されました。