尾池 和夫
今日、京都大学博士の学位を得られました160名の方々、おめでとうございます。課程博士130名、論文博士30名の皆さんが、今日学位を授与されました。ご列席の副学長、各研究科長とともに、心からおよろこび申し上げます。京都大学の111年の歴史の中で、博士学位はこれで36122名となりました。
京都大学は、創立以来111年の歴史の中で多くの研究成果をあげ、知を創造し、知を蓄積してきました。教育と研究と社会貢献を大学の目的として、それらを効率よく行うためにさまざまの工夫をしながら予算の不足を知恵で補いつつ、京都大学は人類の福祉に貢献してきたという誇りを持っています。本日、学位を得られた皆さんの論文もまた京都大学の研究教育を進展させた貴重な業績であります。皆さんの学位論文は、世界の人たちの共有財産として、国会図書館に保存され、京都大学にも保存されることになります。ご自身でもその研究成果を積極的に多くの人に伝える努力をしてくださるようお願いします。研究成果は多くの人に知ってもらってこそ、その価値があることになるのです。
京都大学は、総合大学としてたいへん幅の広い分野に世界一と言える研究成果を持つ大学ですが、とりわけ伝統的にフィールドワークを一つの特徴として、世界の大学に成果を伝える仕事をしてきました。その結果、世界の各地に教育と研究と社会貢献の拠点を持っているという特徴があります。現在京都大学には10学部、19の大学院研究科など、13の研究所と16の研究センターなどがあります。研究所や研究センターの中には化学研究所のように1926年の設立以来の長い歴史を持つ研究所もあれば、こころの未来研究センターや野生動物研究センターのように最近設置されたものもあります。
フィールドワークを行っている研究センターの例として、フィールド科学教育研究センターの国内の附属施設と、2008年4月に発足した野生動物研究センターの附属施設を見てみましょう。これらの施設にはいつも研究者たちがいて、それぞれの分野で次の世代の研究者を育てるための実習を行い、新しい研究成果をあげるために観察と記録を粘り強く続けている光景が見られます。そこには世界から、また日本の各地からやってきた学生や研究者たちがいて、実質的に共同利用している光景が見られます。その分野の世界の交流の拠点となっている施設がたくさんあり、京都大学はそのような点で国際的な教育研究の拠点であるということができます。
フィールド科学研究センターには、附属施設として、芦生研究林(大正10年4月開設)、北海道研究林標茶区(昭和24年4月開設)、北海道研究林白糠区(昭和25年6月開設)、和歌山研究林(大正15年1月開設)、上賀茂試験地(大正15年9月開設)、徳山試験地(昭和17年3月開設)、北白川試験地(大正13年5月開設)、紀伊大島実験所(昭和42年6月開設)、舞鶴水産実験所(昭和47年5月開設)、瀬戸臨海実験所(大正11年7月開設)がありますが、さらにさまざまの機関や個人との協力のもとに、例えば気仙沼で、由良川で、古座川流域で、丹後の海で、あるいは横波三里でというように、全国の至る所に教育研究の拠点があって、教員や学生たちがさまざまの人びととともに研究活動を行っています。
野生動物研究センターの附属施設には、幸島観察所(昭和44年6月開設)、屋久島観察所(昭和58年4月開設)、チンパンジー・サンクチュアリ・宇土(平成19年8月開設)などがあります。私もこれらの3ヶ所を見学しましたが、そこには猿と鹿と人と、あるいはチンパンジーと学生との共存による研究のフィールドが見事に構成されており、そのフィールドをまた観察し記録するという貴重な体験をすることができました。
このように京都大学の教育研究施設は北海道から九州まで広く分布しています。北海道では根釧原野の中央にある広大な研究林で厳冬の実習を行っています。東北には牡蠣のことを学ぶ気仙沼の拠点があり、飛騨の山には理学研究科附属天文台があります。柴田 一成教授らのグループは、この天文台の太陽磁場活動望遠鏡(SMART)を用いて、太陽系で最大の爆発現象である太陽フレアに伴う3連続衝撃波を初めて発見し、その成果が2008年9月1日発行のアストロフィジカル・ジャーナル・レター誌に掲載されました。京都大学の研究のフィールドは宇宙にまで拡がっていると言うことができます。
このような教育研究の拠点は諸外国にもたくさんあります。その拠点を中心に多くの研究者たちがフィールドワークを実行して論文を書きます。また、諸国から来た留学生が自分の国を研究のフィールドとして、その地域との協力によって研究成果をあげる場合もあります。それらが貴重な研究資料となって、さらに研究が大きく発展することもあります。
今日の学位論文の中にもそのような地域のことを分析して得た成果がたくさん見られました。そのいくつかを紹介してみます。
経済学研究科経済システム分析専攻のSTHABANDITH INSISIENMAY(サタバンディット インシシェンマイ)さんの学位論文題目は、「ラオスにおける新しい経済計画用計量経済モデルの開発」です。主査は、大西 広(おおにし ひろし)教授です。
アジアの社会主義の国はすべて途上国で、市場経済化という条件が加わっているという状況があります。この論文が対象とするラオスは、市場経済化への移行が遅れただけではなく、「途上国」としての経済水準や経済構造の遅れがあり、さらにはマクロ統計の整備の遅れがあるそうです。そのような状況をどのように経済計画用のマクロ計量経済モデルで表現するかが、この論文の課題でした。
同じく経済学研究科経済システム分析専攻のウマルジャン アイサンさんの学位論文題目は、「新疆ウイグル自治区における農村工業化の実態と発展条件」です。これも主査は、大西 広(おおにし ひろし)教授です。
この論文は、新疆ウイグル自治区における農村工業化の実態と発展条件を経済学の枠組みの中で明らかにしていくことを試みたものです。チベット自治区ラサでの暴動を機に中国における少数民族問題が注目を集めていますが、そのような事件の前から、長く研究を進めてきた結果が集約されています。
経済学研究科現代経済学専攻の劉 春發(リュウ シュンハツ)さんの学位論文題目は、「市場化に伴う中国林業経営の持続可能性についての経済分析」です。主査は、山本 裕美(やまもと ひろみ)教授です。
この論文は、新中国建国から現在までの中国の林業政策の発展と改革を理論的実証的に分析したもので、1985年からの中国経済の市場経済化の下における現代中国の林業経営組織体制の改革と発展を論じたものです。
同じく経済学研究科現代経済学専攻の張 冬雪(チョウ トウセツ)さんの学位論文題目は、「中国農業におけるガバナンス・メカニズムの転機」です。これも主査は、山本 裕美(やまもと ひろみ)教授です。
この論文では、中国の農業発展過程が、制度・組織の面からWilliamson(1996)のガバナンス理論とSchultz(1958)の農業組織理論を援用して定性的に分析されており、土地改革、合作社、人民公社、家庭聯産請負責任制、農業産業化の諸段階におけるガバナンスの転換過程が、合理的に分析できていることが評価されました。
地球環境学舎環境マネジメント専攻の宮口 貴彰(みやぐち たかあき)さんの学位論文題目は、「企業とコミュニティのインターフェースを通じた気候変動の影響の軽減-インドとインドネシアの事例をもとに-」です。主査は、ショウ ラジブ准教授です。
この論文は、昨今の全世界、特にアジア地域において顕著に見られる気候変動の影響の削減に向けて、私企業がコミュニティを焦点にした活動を通し、その持ち得る影響・役割について、インドおよびインドネシアの事例を基に分析したものです。
同じく、地球環境学舎環境マネジメント専攻のAkhilesh Kumar Surjan(アキレッシュ クマール スルジャン)さんの学位論文題目は、「インド都市部におけるコミュニティ主体の環境改善を通じた気象災害への対応力に関する研究」です。これも主査は、ショウ ラジブ准教授です。
この論文は、コミュニティレベルでの都市環境改善を通じて、都市リスクと気候変動のリスクの関わりをコミュニティの人々が認識することに着目し、持続可能なリスク軽減プロセスを分析したもので、都市社会が自然災害のリスクに対して管理する際の重要な改善点を証明しました。対象地域はインド沿岸都市であり、洪水災害の脆弱性と管理に焦点を当てて分析が行われました。
また、同じ地球環境学舎環境マネジメント専攻のAnshu Sharma(アンシュー シャルマ)さんの学位論文題目は、「コミュニティ主体の防災における遠隔教育の効果的な内容と方法」です。主査は、小林 正美(こばやし まさみ)教授です。
この研究は、コミュニティを主体にした防災マネジメントを対象に、現場実務の実態を分析して、現地の実務家を教育するために相応しい内容と方法論を持った枠組みを作ることを目的にしたものです。
同じく地球環境学舎環境マネジメント専攻のManu Gupta(マヌー グプタ)さんの学位論文題目は、「コミュニティ主体の防災マネジメント:外部支援型プロジェクトによる地域の対処能力の向上」です。これも主査は、小林 正美(こばやし まさみ)教授です。
この論文は、持続的な、コミュニティ主体の防災マネジメントの鍵は、コミュニティが持っている地域の文化と環境に根ざした伝統的な対処方法を評価し、それを強くして復元力を高めることにあると述べています。外部支援組織の役割は、コミュニティが、まわりの自然環境を理解し、自然に適合できる力を強めることと、自然の理解や自然への適合を阻むあらゆる障害を取り除くための、技術的な解決策を見つけ出せる環境をつくることにあると、その役割を明示しました。
地球環境学舎地球環境学専攻の勝村 文子(かつむら あやこ)(旧姓 松本)さん、の学位論文題目は、「アートプロジェクトによる地域づくりに関する研究」です。主査は、小林 愼太郎(こばやし しんたろう)教授です。
芸術を用いた地域づくりに関して、その効果と可能性について事例研究を通じて考究したものです。芸術を用いた地域づくりは、近年、事例数の増加や社会からの注目にもかかわらず、評価が難しいという点から事業継続の根拠となる効果について科学的な検証が行われていないそうです。この論文は、住民を対象とした質的調査と量的な統計分析を組み合わせることにより、芸術を用いた地域づくりの効果とその要因について様々な角度から明らかにして、アートプロジェクトによる地域づくりについて、実証的かつ科学的に論じたものです。
棚瀬 慈郎(たなせ じろう)さんの学位論文題目は、「インドヒマラヤのチベット系諸社会における婚姻と家運営-ラホール、スピティ、ラダック、ザンスカールの比較とその変化」です。主査は、人間・環境学研究科の田中 雅一(たなか まさかず)教授です。
この論文は、インドヒマラヤ西部に分布するチベット系諸社会についての比較研究を試みたもので、対象となっている地域は、インド共和国のヒマーチャル・プラデーシュ州ラホール渓谷、同州スピティ渓谷、ジャンムー・カシミール州ラダック地方、同州ザンスカール地方です。それらの社会における家運営のあり方と、婚姻戦略に関する研究を行い、それらがインド共和国という近代国家の枠組みの中で、いかなる変化をこうむってきたかを比較・考察しました。
1963年に京都大学理学部地球物理学科を卒業して、私は防災研究所の助手になりました。そして防災研究所に新しくできた鳥取微小地震観測所の創設の仕事をしました。それは西村英一先生の考えで、小さい地震のデータから今までに知られていない地下の情報を得ようという世界で初めての計画であり、その時から連続して得られて地震計のデータの分析から深発地震発生の仕組みを研究して、私は1972年に京都大学理学博士という学位を授与されました。その論文のもとになった観測所を維持するために、多くの職員、学生の努力があって、教員の努力が生きるという協力体制が機能し、京都から離れた土地での仕事を家族が支え、また地元の方たちが惜しみなく援助の手をさしのべて下さいました。
皆さんの学位論文の完成までにも、そのように多くの人々の支援がきっとあったことと思います。そのような背景にも思いを馳せながら、皆さんは今、苦労の道筋を思い出していることでしょう。
これから皆さんは、京都大学博士として、さらなる研鑽を積み、世界の平和と人類の福祉に貢献し、地球社会の調和ある共存に貢献する人材として、世界で研究活動を続け、また後進の指導をしながら、活躍することになるでしょう。そのためには何よりも心身の健康に気をつけて暮らしてほしいと思います。
本日の博士学位授与、あらためて、まことにおめでとうございます。
ありがとうございました。