博士学位授与式 式辞 (2008年3月24日)

尾池 和夫

尾池総長今日、新たに、589名の京都大学博士が生まれました。まことにおめでとうございます。ご列席の、副学長、各研究科長、学舎長、教職員とともに、課程博士526名、論文博士63名のみなさんに、また、参列されたご家族に、こころからお慶び申し上げます。

京都大学の博士は、京都帝国大学の時代に旧制博士学位9651名があり、これらを総計すると京都大学から授与された博士学位は3万5902名になりました。

京都大学には、京都大学博士学位論文論題検索システムがあって、京都大学あるいは京都帝國大學から博士の学位を授与された論題が検索できるようになっています。今年1月23日の学位授与式で収録件数は約35,000件になりました。例えばキーワードを「源氏物語」と入れて検索すると4件、「中間子」で検索すると42件、「チンパンジー」では39件を見つけ出します。また、「伊谷純一郎」で検索すると、「野生ニホンザルのコミュニケーションに関する研究」という論文が、1962年2月13日に登録されていることがわかります。

皆さんの今日の博士学位の論文も、世界の人たちの共有財産として国会図書館と京都大学に保存されることになります。もちろん皆さん自身でも、学位論文になった研究の成果を、これからは研究者として、人びとに伝える努力をしていかなければなりません。学問を志した皆さんの努力がみごとに報われて得られた博士学位には、たいへん深い意味があります。皆さんはこの学位によって、研究者として認められると同時に、それぞれの道の専門家として、世界に通用する資格を得たのです。このことをしっかりと自覚して、今後の活動に活かしていただきたいと思います。

京都大学では、今年の4月1日に、「野生動物研究センター」という新しい研究組織を創設します。私が伊谷純一郎さんの「ゴリラとピグミーの森」という本に出会ったのは、すでに地震学の道に入った直後でしたが、それでも地球を研究する私にとって影響の大きな一冊の本でした。その本を、文藝春秋の「一冊の本が人生を変える」という特集に紹介した山極寿一さんに、先日屋久島のことを現地で教えてもらう機会がありました。山極さんは「サルと歩いた屋久島」という本に「屋久島へやってきて、私ははじめて人間を無視して暮らしているサルたちを見たのだった」と書いています。山極さんがヤクシマザルの研究を始めたのは1970年のころでした 。

今年の博士学位論文の審査報告を読んで、やはり京都大学の学問の伝統の中にいると感じるたくさんの論文がありました。その中から、いくつかを選んでくわしく読んでみました。それらの報告をここに引用させていただきます。

理学研究科生物科学専攻の加賀谷 美幸(かがや みゆき)さんの学位論文題目は、「真猿類における胸郭の三次元骨格形態の分析」です。真猿類はサル目のうち、高等な猿類の総称です。学位審査の主査は、中務 真人(なかつかさ まさと)准教授です。

現生ヒト上科においては、前肢の運動域が広いこと、直立姿勢に適応的な筋や骨格特徴を数多くもつことが知られており、こうした特徴の獲得過程を明らかにすることが、ヒト上科の進化を解明する重要な鍵となるそうです。一方、類人猿同様に前肢ぶら下がり行動を比較的よく行う新世界ザルのクモザル属では、胸郭形態が現生ヒト上科のものと類似しているという指摘が従来からあったのですが、加賀屋さんの論文の結果はこれを否定して、類人猿の胸郭の骨格の特徴が、霊長類の中で独特なものであることを示しました。現生のヒト上科における胸郭の特徴がセットとして進化したものではなく、段階を踏みながら個別に現れたことを強く示唆するもので、今後、現生類人猿に特徴的とされていた体幹部の特徴の再検討を促すきっかけになることが予想されると評価されました。

 
理学研究科生物科学専攻の松浦 直毅(まつうら なおき)さんの学位論文題目は、「ガボン南部バボンゴ・ピグミーの社会変容と民族関係に関する人類学的研究」です。主査は山極 壽一(やまぎわ じゅいち)教授です。

アフリカの狩猟採集民は、平等主義的な社会関係を保ち、近年にいたるまで父系で結ばれた家族からなる小集団で移動生活を送り、近隣の農耕民と密接な関係を保ちつつも、農耕民との間には社会的な格差があると報告されてきました。申請者は、ガボン共和国でバボンゴと呼ばれるピグミー系の狩猟採集民のもとで調査を行い、彼らがすでに農耕に大きく依存した定住生活を送っており、近隣の農耕民と対等な社会関係を築いていることを発見しました。そこで、こうした変化が起こったプロセスを分析し、対等な社会関係が生じた理由について生態人類学的な検討を行いました。これまで聞き込みやアンケートによって調べられていた狩猟採集民と農耕民の社会関係を直接観察によって定量化し、その対等な関係を行動様式から生態人類学的に分析することに成功した論文として高く評価されました。

理学研究科生物科学専攻の木場 礼子(こば れいこ)さんの学位論文題目は、「ニホンザルにおける視覚性弁別課題を用いた性の認知の実験的研究」です。主査は、正高 信男(まさたか のぶお)教授です 。

われわれヒトは、視覚的に、見知らぬ人でも、たとえそれが写真であっても、すばやく、かつ正確に性別を判断することができます。この研究では、ニホンザルを対象に、他の個体の性をどのように識別しているかを検証することを目的に実験が行われました。ヒト以外の霊長類を対象に、同種の他の個体の性別を視覚的に弁別できることを実験的に初めて明らかにした試みが高く評価されました。

 

会場の様子理学研究科生物科学専攻のTHAUNG HTIKE(タウン タイ)さんの学位論文題目は、「ミャンマー中部における新第三紀のイノシシとカバの古生物学的解析」です。主査は、髙井 正成(たかい まさなる)教授です。

東南アジアのミャンマー国中部の新第三紀の陸成層からは、哺乳類化石が豊富に産出することが19世紀末から知られています。この論文は、これらの哺乳類化石のうち、偶蹄類の仲間であるイノシシ科suidaeとカバ科Hippopotamidaeの新標本を記載し、その形態的変異と進化史について古生物学的に検討したものです。ミャンマーにおける新第三紀の陸棲哺乳類動物相に関して、近隣地域との比較を基に、古生物学的に解析した重要な研究であり、鮮新世以降の同地域の環境変動(乾燥化、草原化)についても考察を加えており、今後の同国の古生物学の発展の先駆けとなる研究であります。

理学研究科生物科学専攻のRIZALDI(リザルディ)さんの学位論文題目は、「ニホンザルの順位獲得および連続攻撃時における行動の調節」です。主査は、渡邊 邦夫(わたなべ くにお)教授です 。

ニホンザル放飼群において、2002年、2003年、2005年生のコザルを対象に、攻撃行動の発達に関する研究を行ったものです。このような社会関係の分析のためには、長期にわたる、辛抱強い集中した観察が必要なだけでなく、多数の要因が絡む複雑な社会関係に目配りした、周到な調査計画が不可欠です。また分析に当たっても、幅広い社会関係の変異に目を向けながら、一つ一つ解きほぐしていく慎重さと根気が求められます。そのような要件を見事に克服してこの論文が完成しました 。

 
会場の様子これらの他にも、京都大学らしい分野の多くの論文がありました 。

文学研究科歴史文化学専攻の村上 由美子(むらかみ ゆみこ)さんの学位論文題目は、「古代の木材利用に関する考古学的研究-木製品の製作と使用からの読み解き-」です。主査は上原 真人(うえはら まひと)教授です 。

「木の文化」論の歴史的検証は必ずしも十分ではなく、出土木製品の考古学的検討は1990年代半ば以降、ようやく各地で着手され、以後、急速な発展をみました。出土木製品の研究は、各地域ごとの生態環境のなかで「木の利用」の実態を解明する段階に至りつつあり、村上さんの研究はその最先端に立っていると評価されています。

人間・環境学研究科共生文明学専攻の内藤 真帆(ないとう まほ)さんの学位論文題目は、「ツツバ語の記述的研究」です。主査は、三谷 惠子(みたに けいこ)教授です。

ツツバ語とは、南太平洋のヴァヌアツ共和国の島の一つであるツツバ島の現地語であり、内藤さんは2001年から2006年の間に通算20ヶ月にわたって行った現地調査に基づき、音声・音韻、形態、統語の各側面からこの言語を詳細に記述しました。この論文ではじめてツツバ語の全貌が明らかにされました。

同じ専攻の Tina Vesselinova Peneva(ティナ ベセリノヴァ ペネワ)さんの学位論文題目は、「現代日本における食肉文化と「和牛」という「創られた伝統」:近江牛の生産と消費についての研究」です。主査は、田中 雅一(たなか まさかず)教授です。この論文は、和牛が高価な食材となった歴史的、社会的要因を明らかにすると同時に、それがもつ意味を現代日本社会の文脈において明らかにしようとしているだけでなく、肉食に関わる人々の周縁的位置に注目し、現代日本社会が抱える差別問題、具体的には在日韓国・朝鮮人差別と被差別部落民差別を取り上げて論じています 。

同じく共生文明学専攻の山元 宣宏(やまもと のぶひろ)さんの学位論文題目は、「秦漢時代の書体の諸相」です。主査は、阿辻 哲次(あつじ てつじ)教授です。

本学位申請論文は漢字の書体に関する名称のうち「篆書」と「隷書」をとりあげ、それが命名されたことの理由と、その背景に存在する歴史的事実について、近年の出土資料から得られた知見から伝統的な文献を解釈することで考察したものです。漢字の書体をめぐる文字学史研究では、従来ほとんどスポットをあてられてこなかった分野に鋭い考察を展開したものと評価されました。

このように紹介すると果てしなく続くのですが、これらの論文をネットで読むことができるように皆さんの協力を求めることになります。それによって、人類の共有する知的財産になります。皆さんもさまざまの分野の論文を読んでみてほしいと思います。異なる分野の研究成果が、幅広く京都大学に蓄積され、それらがまた融合して新しい研究の芽を出します。今日博士学位を取得された皆さんも、積極的に異なる分野の人と接して、大きく発展する機会を見つけて下さい。皆さんのさらなる活躍が、人類の福祉に貢献することを祈りつつ、博士学位のお祝いのことばといたします 。

新しい京都大学博士の皆さん、まことにおめでとうございます。