新しい年を迎えて (2007年1月4日)

尾池 和夫

尾池総長

皆さま、明けましておめでとうございます。

今年は、干支で言うと丁亥(ひのとい)です。丁(ひのと)は十干の4番目で火の弟の意味です。陰陽五行で「火」の「陰」であり、昨年の丙(ひのえ)のような燃えさかる火ではなく、ほのかな火を象徴しています。亥は、亥は、陰陽五行で「水」の性の「陰」に当たり、「亥」の字は「とざす」という意味で、生命力が種子の中に閉ざされた様子を表します。ちなみに、日本では亥に当てる動物は猪ですが、中国では「猪」は「豚」のことです。

漢字のことを考えてみたいと思います。漢字は東アジアの多くの国に浸透し、地域の共通の文化の礎となっています。猪を表す文字は、たいへん古くから存在するそうです。紀元前12世紀頃の甲骨文にもあるそうです。甲骨文字の一つを書いてみますと、「  」のように書きます。猪を示す文字は、頭を示す横棒の下に背骨を示す縦線があり、その横に足を表す斜めの線を入れます。切磋琢磨の琢という字の旁がその文字の形で、豕(いのこ)あるいは「ぶたにょう」という文字であります。  いのこも同じ「いのこ」ですが、最初の字のように、腹に矢が入っているのもあります。斜めの線を一本交わるように入れて矢に射抜かれた猪を表します。石川啄木の「たく」は、斜めに一本線が入っている字で、標準のフォントにありませんが、その文字の由来には長い歴史があるので、どうしても必要な文字です。その文字が基本字であり、啄は交換略字であります。冢という字はフォントがあるので、これを参照して簡単に作ることはできますが、外字を作るとあとに影響を残します。この挨拶をホームページに載せるときにはどのようにするのでしょうか。

猪はヨーロッパにも登場します。古代ローマ都市のポンペイの遺跡を調査している浅香 正先生からの年賀状には、ポンペイの遺跡のモザイクがプリントされていました。フォルムからサルノ門へ通じる大通りに「猪の家」があり、その床面に番犬に追われる猪が白黒のモザイクで描かれているそうです。

今年1月1日、ヨーロッパでは、ブルガリアとルーマニアがヨーロッパ連合に加盟し、また、スロベニアがユーロを導入しました。EUの発展は着実に進む中で、2010年の完了を目指して、ボローニャ宣言に基づく改革の動きが進んでいます。今年5月にはロンドンで次に会議が開かれる予定です。

また、猪に戻って、猪の肉は、昔獣肉を食べなかった時代でも、山鯨と言ったり薬喰と言ったりして、実際にはよく食べられていました。今年は一段と美味しいかもしれません。

理事

正月の休みには、普段と異なる文化が登場します。食べ物にもそれがあって、私の楽しみでもあります。新しい年を祝う食べ物を用意して、個人がそれぞれに用意した料理をウェブサイトに載せてあるのが、新しい時代の情報伝達の意味を教えていると思います。

例えば喰積にあるチョロギは、草石蚕という字を書き、中国では日常の食卓に見られますが、日本では正月にしかお目にかかれません。鰊蕎麦や棒鱈などのように、京都ならでは年越しの食べ物もあります。今年京都大学の学生として、あるいは教職員として、初めて京都に滞在し、その長い歴史を持つ食文化に触れた方もあるとおもいます。また、外国の珍しい正月風景に出会った方もあることでしょう。正月の休みは、地域の文化のさまざまの姿を具体的に受け継いでいく、あるいは世界に伝えていく、大切な数日であると思います。

京都大学はご承知のように、1897年に創立されましたので、今年は創立から110年ということになります。京都大学百年史では、前史として舎密局(1869年)から第三高等学校へという歴史をあげていますので、それを含めて数えると、148年ということになり、いよいよ再来年は創立150年と言えるかもしれません。

また、このように歴史を読むことにはご反対もあることと存じます。第三高等学校の折田先生の像が、二本松のあった由緒あるキャンパスに建てられるのも、歴史の重みであると思います。昨年いただいたご意見の中には、ヨーロッパの長い歴史の大学に比べて若いことに引け目を感じるので創立の1897年をロゴに書くのは止めてほしいというものがありました。歴史の事実に引け目を感じることは不要で、これは間違っていますが、内容の豊かな歴史を築く努力を怠ってはいけないということを思わせる機会になりました。

ちなみに、今年は東京大学が創立130周年、東北大学が創立100周年を迎えます。また、早稲田大学は創立125周年を祝われます。

熊本城の写真

大学に直接関係はありませんが、日本の歴史の中では、400年前頃に大きな変革があり、彦根城、熊本城のように今年築城400年を迎える節目でもあります。

昨年の1年間、すぐに思い出すいくつもの出来事がありました。

3月16日、京都大学附置研究所・センター主催シンポジウムを東京・品川インターシティホールで開催しました。「京都からの提言-21世紀の日本を考える(第1回)」という総合テーマのもと、満員の聴衆を迎えて朝から夕方までのシンポジウムは大成功でした。

3月20日には、第1回「京都大学総長賞」授賞式を行いました。学業、課外活動、各種社会活動などで、京都大学の名誉を高めた学生と学生団体を表彰するために創設された賞です。

3月27日には、「素粒子の世界を拓く-湯川 秀樹・朝永 振一郎生誕百年記念-」展示会の開会式・内覧会を開催しました。2006年3月31日に朝永 振一郎博士の、2007年1月23日には湯川 秀樹博士の、それぞれ生誕百年にあたります。それを記念して、今年もさらに行事を続けます。

4月3日には、地域研究統合情報センター、大学院経営管理研究部・教育部、大学院公共政策連携研究部・教育部の看板を掲げました。4月27日には、北京の清華大学科技園内に京都大学リエゾンオフィスを開設しました。

Ball卿と伊藤博士

9月14日には、第1回のガウス賞が、伊藤清博士に伝達されました。

10月9日、京都大学女性研究者支援センター設立記念シンポジウムを開催し、100人を超える学内外の研究者、市民が参加しました。子育てをしながら、あるいは介護をしながら研究を続けた、あるいは研究の中断を乗り越えた経験を持つ方の話を聞くことが、この支援センターを運営していくために必要だと思っています。また、男性の支援も考えていかなければならないと、私は思っています。

11月3日には、念願の京都大学同窓会設立総会が開催されました。さまざまの同窓会がありますが、自由度の高いゆるやかな連合体を目指して、今後の運営を考えていきたいと思っています。

11月25日には、バンコクで第8回京都大学国際シンポジウムを開催しました。今回は、本学の基本理念である「地球社会の調和ある共存への貢献」を目指し、学際共同の第一歩をしるそうとするものでした。

昨年は、いろいろ興味を持つきっかけを与えてくれることのあった年でした。その中には京都大学の研究に関連の深いこともたくさんあります。

まず超新星です。「明月記」に「寛弘3年4月2日癸酉(みずのととり)(西暦1006年5月1日にあたる)夜以降、騎官(古代中国の星座名)中有大客星」とあり、超新星の出現の日を記した文献として世界的に知られています。「おおかみ座」の方向です。この1000年後の姿をとらえた画像を、昨年は見ることができました。藤原定家の日記「明月記」に記された、「大客星」は、人類の記録上では最も明るく輝いたとされる超新星であり、「SN1006」という名を持っています。その出現から、昨年5月1日で1000年を迎えるのに合わせて、2005年7月に打ち上げられたエックス線天文衛星「すざく」で、京都大理学研究科の小山 勝二教授らのグループがとらえた、SN1006の最新画像が公開されました。12月に行われた京都での国際会議では、SN1006の特別セッションも設けられました。

小山先生によると、噴出したガスは宇宙空間を広がり続け、1000年後の超新星の姿を高精度のエックス線画像でとらえることができるそうです。電離した酸素原子が出すエックス線の画像から、200万度の超高温プラズマが、直径6光年を超える巨大な火の玉に成長した姿を画像で見ているのだそうです。

私の分野の関係では、西暦年で末尾に6とつく年の巨大地震がいくつかあります。1976年には、20世紀で世界最大の震災をもたらし、24万2千人の死者を出した唐山地震がありました。1983年に私たちが鳥取で開催した東アジア地震学国際会議をきっかけに生まれたアジア地震学会の第1回が唐山市で 1986年に開かれました。その第6回大会が昨年バンコクであり、私も基調講演に招待されて参加しました。1946年12月21日には南海地震がありました。昨年12月20日、田辺市と京都大学の交流協定の締結を記念して、私も次の南海地震に備えるための講演をしてきました。1906年4月18日にはサンフランシスコ大地震がありました。昨年4月、APRUとAEARUの第2回合同シンポジウムが現地で開催されました。第1回を京都大学で開いて、たいへん人気のあるシンポジウムの連続開催が決まっています。

その他にも参考までに一部を言いますと、1556年には世界史上最大の震災といわれ、死者83万人が記録されている今の西安の東、中国陝西省華県の大地震がありました。その同じ世紀の末、1596年には京都で伏見の天守閣が倒壊して多数の死者が記録されました。

 

会場の様子さて2007年ですが、昨年12月24日の閣議決定を経て、平成19年度の概算要求に関する内示があり、また、続いて平成18年度の施設整備に関する補正予算による整備事業実施予定の通知がありました。もともとずいぶん調整していただいた絞り込んだ要求を出しており、京都大学が計画する教育と研究と医療に必要な予算は、概算要求がすべて通ったとしても、決して十分といえないのではありますが、ご関係の皆さまのご努力によりまして、国の支出状況のたいへん厳しい中、多くの要求項目が実現したことをうれしく思っております。

新しい要求では、医学研究科の修士課程、人間健康科学系専攻の学生定員39名、薬学研究科の独立専攻、医薬創成情報科学専攻の学生定員、修士14名、博士 7名が認められ、さらに医学部保健学科の学年進行分の教員相当8名が認められました。

特別教育研究経費では、新規分5件、継続分18件が、また設備の新規分1件が認められました。

新しく始まるものは、子供の生命性と有能性を育てる教育・研究推進事業、次世代医療技術・創薬・臨床開発プロジェクト、幹細胞の臨床応用を目指す基盤研究に係る調査研究、クォーク・ハドロン科学の理論研究の新たな展開を目指す国際共同研究プログラム、こころに関する総合的研究の推進、DASHシステム、医師不足分野等教育指導推進経費であります。この中で、こころに関する総合的研究の新規事業にともなって、京都大学こころの未来研究センターを新設する予定です。また姿を変えて登場したものに、再チャレンジ支援経費というのもあります。全体を合計して96百万円の増となりました。

施設整備事業では、平成18年度補正予算として、犬山の総合研究棟改修、湯川記念館改修など8件、平成19年度分として、桂団地の福利・保健管理棟施設など4件が認められました。施設整備費が大幅に減少している厳しい状況の中で、これもご関係の皆さんのご努力で、たいへん多くの計画を認めていただいたものであります。

京都大学は総合大学として、その自由の学風の伝統を最大限に活かして世界に貢献してまいります。その根底を支える学術の中心を大切にして今年もしっかりと落ちついた仕事をして行かなければなりません。今、国立大学法人の第1期中期計画の半ばにあって、暫定評価をどのように実施するかという議論が行われています。日本の議会や政府には、大学を評価する文化がまだ十分に育っているとは思われません。たとえ評価がどのようた形で行われるとしても、京都大学の基本理念そのものが国の評価の対象となることは容認できません。京都大学でなければできないこと、かつ京都大学が守って行かなければならないことがあります。それらを示すキーワードの多くが、今、世界にもっとも必要なものに対応していると思います。それは例えば哲学であり、こころの未来であり、地球社会の調和ある共存であります。中でも哲学ということばは、日本で生まれ中国でも使われていることばです。これらのことばを、しっかりとした中味のあるものとして大切にしていかなければならないと思っています。

昨年までに、京都大学の事務組織の改革が形の上で整えられたと思います。教育研究推進本部と経営企画本部とがあり、グループ長がいて日常業務を行っているという形がすでにあります。今年はその形が実質的に機能を発揮するよう定着させなければなりません。そのための具体的な取り組みとして、グループ長のそれぞれの方々がどういうことを目標としているか、課長さんたちが目標をどのように表現して周囲に伝えているか、今年はそれを私自身の目で確認してまいりたいと思っています。

 
事務改革については、本間前理事を中心に精力的に道筋をつけていただき、引き継いで木谷理事を中心に実質的な改革を実行し定着させていく仕事をしていただいています。木谷理事が言っておられるように、事務改革の目指すところは、職員の全員が京都大学の将来のために自主的に何が必要かを考え、自主的に戦略的かつ創造的に仕事に取り組んでいく風土を確立することです。要するに今年の合い言葉は、「自主目標の自主管理」であります。この事務改革の出発点は、私が総長に就任する直前のレクチャーのときであります。あまりにも改革すべき点の多さに愕然としたときの気持ちは、今でもありありと覚えています。

私の目標は今年も、学生のための京都大学を磨いていくこと、世界の人に京都大学を知ってもらうこと、地域に貢献すること、地球を大切にすることであります。平和を大切にしつつ、役員も職員も皆が働く京都大学であってほしいと思っています。

京都大学出版会が出した「量子の世界」の「はじめに」に、小山 勝二先生が書いておられますが、「日本に京都大学があってよかった」と皆さんにおっしゃっていただけるようになることを目指す、それを今年の仕事の目標にしようではありませんか。

どうか、今年も何よりも健康に気を配って、充実した仕事をしつつ、また余暇も楽しむようこころがけていただきたいと思います。

(1月4日の二つの挨拶からまとめました。)