山中伸弥 iPS細胞研究所長が、世界で初めてマウスからiPS細胞を作製してから2016年で10年が過ぎた。この間、再生医療や創薬の分野での応用研究は急速に進み、日本では再生医療の審査を迅速化する法律が制定されるなど実用化に向けた環境も整備されつつある。これによりさまざまな病気、特に難病に苦しむ患者たちの心に明るい希望の芽を与えていることは確かだ。
しかし一方で山中所長は、世界的な競争も厳しくなり、iPS細胞は日本発の技術であり世界をリードしてきたが、それに安閑としていてはいけないと警告する。今回は山中所長に、自らの経験を振り返りつつ、これから求められる研究者の資質や研究環境について話を伺った。
好奇心と「目の前の真実」を大切に
-1993年、ポスドクとして渡ったアメリカ・グラッドストーン研究所では、当初は動脈硬化の研究に携わった。
大学院を卒業した後、アメリカでノックアウトマウス(一部の遺伝子を働かなくさせたマウス)の作成に必要となる特殊な技術が学べるところに行きたいと思っていたところ、幸いグラッドストーン研究所が受け入れてくれました。グラッドストーン研究所では、動脈硬化を抑える役割があると考えられていた遺伝子の研究をしており、僕はそれを調べるためにその遺伝子を過剰に働かせるネズミを作りました。そうしたらネズミが健康になるはずだったんですが、逆に肝臓がパンパンに腫れてしまって、お腹を開けたら肝臓のガンになっていました。だからその遺伝子というのは良い遺伝子どころか、ガン遺伝子だということがわかりました。
-研究対象を動脈硬化からガンに切り替える。
全く予想外の結果で、なんでガンができるんだろうということにすごく興味を持ちました。幸いボスが、科学者として真実を追究することをすごく大事にされる方で、僕に自由にやっていいと言ってくださいました。そこから3年ぐらいの滞在中、ずっとガンの研究をしていました。そのなかで新しい遺伝子を見つけたのですが、きっとガンの発生に関与している遺伝子だろうと思っていました。その頃日本に帰ってきて研究を続けていくと、ガン以上にES細胞という万能細胞にとってその遺伝子が非常に大切だということがわかりました。また予想外の結果でしたが、なぜ大切なんだろう、もっと深く知りたいと思って、自然とES細胞の研究を始めました。最初はあくまでもノックアウトマウスを作るためのツールとしてのES細胞を扱っていましたが、自分が見つけた遺伝子がES細胞の万能性に非常に大切だということがわかってからは、ツールではなく研究対象になりました。
-研究者にとって、予想外の結果が出るということは、ある意味自分が立てていた仮説が外れること
その研究はあきらめて、別の遺伝子の研究を始めるということもあると思います。僕の場合は、目の前で起こっている現象、特に結果が予想を外れた時こそすごく興味を持って、どうしてもそれを調べたくなって、そっちに行ってしまうタイプ、目の前の結果を大切にするといいますか、それに心を奪われるタイプだと思います。どちらがいいかはわからないんですが。
-「独創的なアイデアというのは、まず実験に取り組んで、その結果を色のない目で見られるかどうかが大切だ」
自分の仮説や教科書に書いてあることにとらわれない、目の前の結果が真実だという態度だと思います。意外な結果が出ても、結果は間違いなく真実ですので。ただそれが本当かどうかというのは、何度も繰り返したりする必要はありますけれども。一番信じるべきものは人から聞いたこととか教えてもらったことではなくて、自分が観察したことが一番大切にするべきことですから。
競争だけではなく、連携する力が研究者には必要
-研究者を取りまく環境は、技術的なことも含め、10年前に比べても大きく変化している。研究者に求められる資質に変化はあるのだろうか。
10年前、さらにその前というのは、研究者ひとりひとりは、言ってみれば職人のような感覚だったと思います。ですから何かある特殊な実験技術を身につけて、それを武器にするという研究者が多かったように思います。でも今はいろいろな技術が自動化されたりしていて、ある技術を持っているだけですごく有利になるということはあまりないと思います。それよりも新しい技術を持ったいろいろなグループと、共同研究などで大きなグループを作って役割分担しながら、自分の仮説なりをいち早く証明していく、そういう能力が必要とされています。昔はけっこう個人プレーとか非常に小さなグループでどんどん研究が進みましたが、今は違う大学、違う国の人といち早く協力する、そういう能力のある人の方がいい成果をどんどん出していると思います。
-今は研究者同士の連携に加え、研究者を支えるスタッフとのチームプレーも重視されつつある。
ひとりの研究者を10人ぐらいの研究支援者が支えています。秘書の方も必要ですし、いろいろな難しい実験を専門的にやってくれる技術員という仕事も非常に大切です。出てきた成果の特許をしっかり獲得する必要がありますから、そういう知的財産の専門家も必要ですし、企業と連携する際には契約の専門家も必要です。あと英語で論文を出す時、研究者が自分で全部チェックするというのは大変な仕事なので、校正をちゃんとしてくれる人とか、難しい研究の図を専門的に描いてくれるイラストレーターの人とか、そういういろいろな職業、才能の人が助けないと、どんなにいい成果であっても、なかなか発表に時間がかかってしまいます。今は競争が激しいですから、そういう支援者の方たちの役割が、昔に比べるとはるかに大切になっています。
iPS細胞の未来像
-iPS細胞研究の今後
iPS細胞の医療応用は、大きく分けると再生医療と薬の開発のふたつがあります。今この研究所でも、約30のグループが再生医療と薬の開発を行っていて、一部すでに実用化目前のものもあり、製薬企業等と連携を強めています。それに加えて、iPS細胞という新しいツールを用いることによって、今まではできなかったような新しい研究や新しい治療法、そしてもう僕たちでは思いつかないような新しいアイデアを、20代、30代の研究者にチャレンジしていってもらいたいと思っています。
-患者数の少ない難病治療をあえて行う。
何百種類という難病があって、ひとつの難病の患者数は少ないんです。日本全体でも数名しかいない、という難病もあります。そういった病気に対しては、製薬会社は、利益につながらないので、なかなか本格的な薬の開発がしにくいという事情がある。患者さんは、病気も大変ですが、研究さえしてもらえないという疎外感でも苦しんでおられます。iPS細胞をツールとして使えば、そういう方から血液の細胞を少しいただくだけで、脳の難病だったら脳の細胞を大量に作り出すことができますので、何とか製薬会社ではできない創薬を、大学を中心に行っていきたい。いくつかの難病については薬の候補も見つかってきていますので、今後もどんどん進めていきたいと思っています。
一方で課題があります。資金です。私たちは国からも支援していただいていますが、それとは別に iPS細胞研究基金 というものを作って、一般の方からの寄付をいただいています。そういった資金を難病の研究や、研究支援者の方々の雇用に役立てようと頑張っています。
日本にも寄付の文化を根づかせたい
-研究所を挙げてマラソン大会に出場し寄付を募る
iPS細胞研究基金は5年ぐらい前から活動していますが、なかなか日本では寄付の文化が一般的ではありません。講演等の時に寄付のお願いもしますが、講演は大きな会場でも1,000名程度しかおられません。もっと効率よく周知できないかと思っていたところ、その頃始まったクラウドファンディングというインターネットの仕組みを利用して、マラソンを頑張って走ることによって寄付を呼びかける方法があるということを知り、2012年3月11日に開かれた第1回京都マラソンから始めました。私だけではなくていろいろな研究者や教員、研究支援者の方も一丸となって基金の呼びかけを行っています。
沿道で10万人以上の方が見てくださっていますし、メディア等にも取り上げられますから、やはりマラソンの効果は非常に大きいですね。寄付文化がだんだん日本でも広がれば、それはiPS細胞研究にとっても非常にありがたいし、ほかのいろいろな事業の発展にもつながっていくんじゃないかと思います。この活動を始めて、日本でも寄付をしたいと思っているが、どうしたらいいかわからないという人が多いので、そういう人たちに、こういう研究があるので応援してくださいという声を届けることが、とても大切だということを学びました。
日本の地位を向上させる。そして京都大学も…
-iPS細胞にとどまらず学術研究において、日本全体が頑張る。
私は毎月アメリカに行っていますので、海外から日本を見る機会が多くあります。その中で、やはり今、経済面はもちろんのこと、科学の面でも、世界の中での日本の地位が徐々に下がっていると実感します。これまでアジアの中で日本は、科学の面では圧倒的にトップを走っている時代がずっとありましたが、今は危うくなってきています。この数年は日本からノーベル賞受賞者が毎年複数出て一見いいのですが、全部過去の業績がノーベル賞につながっているわけで、現在の状況は反映していません。ですからこれで安心していては絶対ダメで、10年後、20年後も今の状況が続かないと大変なことになります。10年後ぐらいには日本からほとんどノーベル賞受賞者が出ない、ということになってしまうかもしれません。
日本の国力を高めるためにも、日本人が知的財産をしっかり獲得していくことは本当に大切です。たとえば中東の、これまではオイルマネーで非常に潤っていた国も、知的財産、科学技術にどんどん投資していこうという動きが起こっています。
それは、国際連携をしっかりやるなかで、非常に大切なプレイヤーとして日本人が光り輝くということが大切だと思います。ヒトのゲノム解読の時も、最終的には日本の貢献はずいぶん少なくなってしまいましたので、やはりこれから科学技術の分野で貢献度を高めていかないと、どんどん置いてきぼりになっていってしまうんじゃないか、という危惧を持っています。
-現状の中で京都大学は、これからどうしていくべきか。
日本の中で京都大学は、科学技術を支える大学として、今後もトップを走り続ける必要があります。そのために、京都大学のたくさんの優秀な先生たちが今まで以上に横のつながりを大切にし、いろいろ違う専門分野の人がいつもフランクに話し合えるような環境を大学として整備して、そこをコアにいろいろな国の人とも交流をしていく。これからはチームとしてやっていかないと、なかなか今までどおりにはいかないのでは、という懸念を持っています。京都大学が変わるのは、今だと思っています。
-ノーベル賞を受賞した時、「賞状やメダルをもう見ることはない」と語った山中所長。患者のため、研究のために自分は何をなすべきか、現状に安住することなく考え続ける姿勢は、一貫している。iPS細胞をめぐるさらなる成果が、待ち遠しい。
Profile
山中伸弥 iPS細胞研究所長は1962年生まれ、東大阪市出身。1987年に神戸大学医学部を卒業後、臨床研修医を経て1993年に大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了(大阪市立大学博士(医学))。その後、米国グラッドストーン研究所博士研究員、奈良先端科学技術大学院大学教授、京都大学再生医科学研究所教授などを歴任し、2010年から現職。2006年にマウスの皮膚細胞から、2007年にはヒトの皮膚細胞から人工多能性幹(iPS)細胞の作製に成功し、新しい研究領域を拓く。
これらの功績により、2010年に文化功労者として顕彰されたことに続き、2012年には文化勲章を受章。2012年にノーベル生理学・医学賞受賞。
(インタビューは2016年1月6日に行いました。)