NADは、細胞の生命活動に必要なエネルギー源であり、その量的変動が老化やがん化に最も影響を与えるメタボライトの一つです。NADの産生には、細胞核と細胞質に存在するサルベージ経路とデノボ経路が関与しますが、その産生の多くは細胞質でのサルベージ経路に依存していると考えられていました。
今回、井倉毅 生命科学研究科准教授、古谷寛治 同講師、井倉正枝 同研究員、松田知成 工学研究科准教授らの研究グループは、放射線によるゲノム損傷ストレスに対してH2AXのアセチル化が、細胞核内のデノボNAD合成酵素をDNA損傷領域に誘導することにより、NAD産生が、細胞質でのサルベージ経路依存から細胞核内のデノボ経路依存に変遷することを見出しました。この変遷を阻害すると細胞老化の異常加速とコロニー形成能が増大します。この結果は、H2AXのアセチル化を介したNAD産生の経路と場の変遷、すなわち「空間的NAD代謝エピゲノム制御」が、新たなゲノムストレス応答となることを示唆しています。将来、この研究成果が、がんや細胞老化研究に大きな貢献をもたらすことが期待できます。
本研究成果は、2022年10月24日に、国際学術誌「Molecular and Cellular Biology」にオンライン掲載されました。
研究者のコメント
「サイエンスにコンフリクトはつきものです。真理の追求がサイエンスの本質とはいえ、歴史を顧みれば明らかなように、真理が通説になるとは限りません。2007年にヒストンH2AXが、ゲノム損傷ストレス下でアセチル化に依存してシグナル因子のように振る舞うことを示し、これまでのヒストンの概念を変える、ヒストンタンパク質の新たな役割を提唱しましたが、ゲノムストレス応答の分野で決して通説にはなりませんでした。2016年に続編として、TIP60によるH2AXのアセチル化を介したPARP-1との連携がシグナル因子としてのH2AXの動的振る舞いを制御することを明らかにし、今回の論文は、さらにその続編です。他人の立てた仮説に寄り添うのではなく、時間をかけながらも自ら打ち立てたモデルをさらに更新し、真理を追求し続けることこそサイエンスだと信じています。シグナル因子としてのヒストンH2AXの動的な振る舞いが、がん抑制に関わることが見えてきたことで、動的生命像に視点を置いた研究が、社会的貢献度の高い研究に発展していくことを願います。」(井倉毅)
【DOI】
https://doi.org/10.1128/mcb.00379-22
【書誌事項】
Masae Ikura, Kanji Furuya, Tomonari Matsuda, Tsuyoshi Ikura (2022). Impact of Nuclear De Novo NAD⁺ Synthesis via Histone Dynamics on DNA Repair during Cellular Senescence To Prevent Tumorigenesis. Molecular and Cellular Biology, 42(11):e00379-22.