令和7年度学部入学式 来賓祝辞

令和7年度学部入学式 来賓祝辞(小室舞 KOMPAS JAPAN株式会社 一級建築士事務所代表)

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小室舞 KOMPAS JAPAN株式会社 一級建築士事務所代表

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。受験勉強、本当におつかれさまでした。私が京都大学を卒業して、ちょうど20年経ちましたが、まさか再び入学式に立つ日が来るとは、夢にも思いませんでした。正直、自分の入学式の記憶は薄れていますが、こうして皆さんの新たな門出をお祝いできることを、大変光栄に思います。

 今私は、建築設計の仕事をしていますが、実は幼い頃から建築家を目指していたわけではありません。高校時代は部活三昧、理系でデザイン好きだからと、なんとなく自分に合いそうと選んだのが、建築学科でした。建築設計の面白さに目覚めたのは、京都大学での設計課題です。同級生たちと夜な夜な製図室にこもり、図面を描いて模型を作り、設計を考えるのが楽しくて、他の授業そっちのけで没頭しました。そして、建築の勉強を言い訳に、時間を見つけてはとにかく旅行。学期中は設計に集中し、課題が終われば海外へ。振り返れば、学生時代に熱中したことが、そのまま今の自分につながっています。

 私自身、まだ何かを成し遂げたわけでもなく、偉そうに語れる立場でもありません。それでも、これまでの経験や、大切にしていることを皆さんと共有することで、少しでもこれからの大学生活のヒントになれば幸いです。

 まず一つ目は、「体験を楽しむ」ということです。

 現代は、ネットを開けば世界中の映像や情報が溢れ、あたかもその場に行ったかのような感覚が、簡単に味わえる時代です。しかし、流れてくる情報は、あくまで誰かが伝えたいことの一部にすぎず、真実であるとも限りません。それでわかった気になるのではなく、本当に知りたいことは、自ら能動的に掴みにいく姿勢が必要です。

 建築の世界でも、メディア映えを重視した建築が増えていますが、実際に足を運んでみると、期待はずれに感じることも少なくありません。建築の面白さは、単なる見た目だけでなく、場所性や機能性、空間体験などが複雑に融合した、そこにしかないフィジカルな存在であることです。空間のつながり、光や素材の質感、人々の使い方など、実際に体験してみないと、本当の魅力はわかりません。また、周辺環境との関係や経年変化、裏側のつくりに至るまで、長きに渡り優れた建築ほど、表面的な情報では見えないところまで、緻密に計画されています。写真では伝わりきらない、体験するとより魅力的な建築を設計したいと思うほど、自らその場を体験し、そこから学ぶことが重要です。

 どんな分野においても、価値を創り出すためには、まずは自ら体験することが欠かせません。自分の五感で直接体験して初めて、他者の感じ方も理解することができます。体験を通して感性が刺激されると、頭で理解する以上に多くの情報を吸収し、その瞬間には気づけなかったことが、後になって理解できることもあります。ホンモノに触れて、リアルな体験をすることで、伝聞に惑わされない、自分の軸となる価値観や判断力が磨かれていきます。

 私が海外での留学や就職に至ったのも、現地で実際に体験することの、圧倒的な面白さに触れたからでした。未知の環境や文化に思い切って飛び込んでみることで、山ほどの新しい発見や偶然に出会います。先入観を越える体験は、想像以上に視野を広げ、感性を豊かにしてくれます。皆さんも、自分の好奇心に耳を傾け、是非自ら行動し、身をもって体験してください。体験には、知識や情報では補えない価値があります。

 そして二つ目は、「違いを楽しむ」ということです。

 私が大学院で京都を離れて東京を選んだのは、違う環境への興味からでした。同じ建築教育でも大学ごとに大きく違うことに驚き、新たな視点に刺激を受けて、その勢いでスイスにも留学しました。そこで更に、建築の思考や評価が、いかにその背景や価値観に大きく左右されるのかを実感しました。評価軸の違いに困惑しつつも向き合う中で、次第に、違いは優劣をつけるものではなく、多様な解釈や選択肢であると気付きました。それぞれの良さや課題を見出し、自分なりのバランス感覚で組み合わせて、取り込めばいいのです。多様な価値観を理解すると、より選択肢の幅が拡がると思うと、違いを知ることが楽しくなります。

 バーゼルの設計事務所に就職した際も、周囲との違いに戸惑い、劣等感を感じることもありました。しかし、学生時代に培った手を動かして考える姿勢が、思いがけず評価され、自分の強みとして活かすことができました。できないことに引け目を感じるよりは、できることを強みにかえればいい。足りない部分は周りの力を借り、逆に自分の強みで貢献する。それでいいのです。多国籍で多様な個性が集まる中では、互いに補い合うことで、チームとしての力が生まれます。周りの個性を受け入れることは、同時に自分が受け入れられることでもあると気付きました。

 そして、香港のMというアジア最大の美術館の設計を担当した際は、多くの専門家と協働し、多角的な意見や価値観を、一つのデザインにまとめる経験をしました。建築家は構造・設備設計などのデザインチームを率いると同時に、新しい美術館を創設するチームの一員でもあります。来場者だけでなく、キュレーター・修復家・施設管理者など、美術館にはさまざまな立場のユーザー視点が存在します。それぞれの要望に耳を傾け、時には相反する意見を調整し、デザインとしての最適解を模索していきました。違う視点や意見を知ることで、発想が豊かになり、他者への想像力が育まれます。まだ見ぬ未来での使われ方を想像しながら、その積み重ねを設計に織り込むことが、より良い建築へとつながると実感しました。

 そして、違いでもうひとつ大切なのは、違和感です。今私は主に日本で活動していますが、日本ならではの素晴らしさを感じる一方で、なぜこうなのか?と疑問に思うこともよくあります。日本の建築の評価や流行にも、共感できないことも少なくありません。しかし、たとえ自分の価値観が少数派であろうと、むやみに周りに流されず、自分の感覚からくる違和感は大切です。皆がそうだからという常識は、疑ってみるくらいで丁度よく、違和感は新しい発想や改善のきっかけになると思います。違いを知ることは、違いに気付くことにもつながります。皆さんも、これから多くの違いに触れ、視野を拡げてみてください。違いを恐れず、その豊かさを楽しめると、一気に世界が拡がります。

 そして三つ目は、「成り行きを楽しむ」ということです。

 前職でさまざまな国際的なプロジェクトに携わる中、思いがけず責任者となったのが、あの香港のM+プロジェクトでした。そこから香港異動を打診されて移住し、最終的には香港と日本の二拠点で独立したのですが、このような展開は正直全く予想していませんでした。振り返ってみると、これまでの転機や機会のほとんどは、事前に計画していたものではなく、そのときの成り行きに背中を押され、その時々で最善と思える選択を重ねた結果です。成り行きには、乗ってみる。やらずに後悔するよりは、やってみる。たとえ予定していなくとも、目の前に現れた機会に挑戦してみると、新しい道が開けます。

 もちろん、挑戦には失敗がつきものです。海外では特に、思い通りにいかないことも多く、ほろ苦い思い出も数知れません。しかし、そんな泥臭い経験が自分の判断力や適応力を鍛え、多少のことには動じなくもなりました。失敗や難局を、学び・成長の機会として楽しめるかは、自分次第です。思い切って挑戦したのであれば、失敗しても恥ずかしがる必要はなく、将来の笑い話のネタが増えたと思えばいいのです。心配しないでください、ここは京都大学です。仲間たちも先生方も、盛大に美味しい笑いにしてくれるでしょう。全力で挑むことで、成功も失敗も、より面白くなります。

 そして、失敗も含めて成り行きを楽しむために大切なのは、熱中できるものに主体的に向き合うことです。勉強も語学も経験も、他人にやらされていると感じているうちは、その意味を見失いがちです。それらは目的ではなく手段に過ぎず、目的のための手段は一つではありません。目的を見据え、自分に合った方法を選び、工夫しながら取り組むことが重要です。自分で考えて信じて行動したことなら、どんな結果であってもその全てが自分の糧になります。

 この先、何が起こるのか、社会がどう変わるのか、誰にもわかりません。興味や考えが変わることもあるでしょう。それでも、少し自立できるくらいの力をつけて、目の前の波を乗りこなしていけば、それがおのずと自らの道となるはずです。昔からの夢に一直線に進むのも素晴らしいですが、目の前のことに必死に向き合っていれば成り行きでどこかにたどり着く、というのも悪くありません。先が見えないことを恐れずに、柔軟に構えてみましょう。皆さんがこれから予期せぬ出来事に出会っても、前向きに楽しんでみてください。成り行きを乗りこなせれば、偶然も必然に変わっていきます。

 そして最後にお伝えしたいのは、これらの経験がつながって、やがて新たな道を拓いてくれるということです。体験を通した知見や感性、違いを知る柔軟な思考、成り行きに応じる勇気。その時点ではその意味がわからなくとも、一生懸命取り組んだことや身をもって吸収したことは、必ず自分の中に蓄積され、いつかどこかでつながります。それはきっと、ロッククライミングで手掛け足掛けとなる突起のように、一見バラバラと散らばったものが、思わぬところでルートをつくり、その先へと導いてくれるようなものです。そして、自分らしさみたいなものは、きっとそんな経験の積み重ねからにじみ出てくるのだと思います。

 私自身、独立してしばらく経ち、これまでの経験がいろいろな形でつながる機会が増えました。美術館・高層ビル・都市計画といった、個人で独立したら縁のないような海外の大規模プロジェクトの経験が、意外と日本の小さな案件にも役立ち、さまざまな土地での建築・環境・文化の体験は、今も自分の頼もしい引き出しとなっています。何がどうつながったのか、こうして母校から祝辞を依頼されるなんていう、サプライズまで起こりました。

 さらに、実は今週開幕の大阪・関西万博で、ご縁あって2つの施設を設計したのですが、これも経験のつながりが活きています。「フューチャーライフヴィレッジ」という展示施設は、若手建築家向けのコンペで選定されたもので、おそらく他の人とは一味違う経験や思考による提案の独自性も、評価の一因になったかと思います。もう一つの万博サウナ「太陽のつぼみ」というプロジェクトは、独立直後に実現できず終わったプロジェクトの関係者から、思いがけない形でお声がけをいただき、設計することになりました。どちらも、現地で体験する価値のある建築を実現できたかと思うので、是非皆さんも訪れてみてください。

 これから5年後10年後、私自身、どうなっているかは正直全くわかりません。それでも、焦らず目の前のことに真摯に取り組んでいれば、たぶん何とかなると思っています。これから大学生活を始める皆さんも、まずは、ここでしかできない、今しかできない貴重な経験を思い切り楽しんでください。そして、何年経ってもお互いの武勇伝や失敗を笑いあえるような、素晴らしい仲間と出会ってください。

 本日は、心よりおめでとうございます。