工学研究科社会基盤工学専攻教授。専門は土木工学で、土木構造物の安定性について数値計算を行う。構造計算は理論の世界だが、青函トンネル、東北新幹線、大阪市や京都市の地下鉄建設など、実際のプロジェクトにも関わった。そんな田村教授のもうひとつの顔が、“国際交流センター長”だ。同センターは、もとは留学生センターと呼ばれ、留学生の受け入れや、京都大学から海外へ留学する学生のサポートを行ってきたところで、2005年に全学的な機構である国際交流推進機構発足に伴い改組、現在の名称になった。従来から行ってきた留学に関するサポートの一層の充実を目指す。同センターや留学生課の活動は活発化してきており、ホームページを通じた情報発信にもとても熱心だ。教授自身も、これらが主催するイベントに積極的に参加する。一見、結びつきの無いこの2つの顔だが、田村教授の素顔とは?!
「“土木”は空気のようなもの」
田村教授は、1967年京都大学工学部土木工学科へ入学。なぜ土木へ?ありきたりな質問に「兄が電気工学だったから、そこ以外で、機械か土木かな、と思っていた。で、手先が器用じゃなかったから土木に(笑)」と茶目っ気たっぷりに答える。しかし、すぐに真顔で、自分のやったことが社会につながるのが面白い、と付け加えた。田村教授の専門は応用力学で、本来は「紙と鉛筆だけでする仕事」。それはあくまで理論の世界だ。しかし、教授は、理論をいかに現実に応用するかに醍醐味があるという。例えば、青函トンネル建設のプロジェクトでは、海底トンネルには240mの水圧がかかる。トンネルの強度について、地盤と地下水、地下水と構造物の相互作用を理論から考えるといった具合だ。
“土木”は“建築”と対比され、また混同されやすい。“建築”では、ひとつの建物に対して、ひとりの建築家が存在する。“建築家”には芸術的な響きさえあり、田村教授曰く、「かっこいい、ちょっと憧れる」ものらしい。一方、“土木”工事は、“建築”の「個人」に対して、「団体」の仕事だ。個人の名前は残らない。だが、団体ゆえチームワークが大切で、プロジェクトに関わる仲間同士の絆は強い。また、トンネルや橋などは生活の基盤であり、無くてはならないものである。「目立たないけれど、社会に貢献している」、田村教授はそんなところに情熱を感じるという。
「講義をすることが大好き」
田村教授は1回生の全学共通教育科目で数学の授業を持っている。講師のなり手が少ないらしいが、教授はこの授業が大好きだ。学部の学生さんはフレッシュで、教える側も刺激を受ける。いかに興味をもってもらうか、工夫するのが教育者としての使命だという。教育の話題になると、話にも熱がこもってくる。講義をすることが大好きで、講義を仕事と思っていない。
教授の研究者としての本質は、数学と物理を使って自然現象をモデル化することだ。
先生のホームページには10円玉を使った実験が掲載されている。数を自然現象を力学モデルに転換するのが、数学だけでは味わえない面白さだそうだ。田村教授は、人や自然、社会と接することをとても大切に思っている。
「線形代数で良い先生は?」-「田村教授」。「土木の先生が数学教えてんの?」-「すごくわかりやすいよ」。学生が運営する掲示板にはこんな会話が書き込まれていた。先生の熱意はちゃんと伝わっている。
「留学生センター長、そして国際交流センター長に」
2003年、前センター長の鈴木 健二郎 先生(現名誉教授)から突然、「今から研究室に行く」と言われた。「先生に来られると、だいたいろくなことがない(笑)」案の定、「留学生センター長に推薦しといたから、連絡があったら断るな」ということだった。正直、なぜ自分が?という気持ちだった。個人的には“ドメスティックな人間”で、海外の事情に精通しているわけでもない。もっとふさわしい人があるだろうと思った。
しかし、それから2年、留学生センターが改組し、国際交流センターになったあとも引き続きセンター長に。留学生との見学旅行や、留学生ラウンジ「きずな」のイベントに積極的に参加する。センター長の仕事はどうか、との質問に「おもしろ、楽しい」と答えは明快だった。
「違う文化を知ることは母国を知るチャンス」
田村教授自身も1987年にアメリカ・コロラド大学に10ヶ月間留学した経験がある。アメリカという国の凄さもあったが、日本から離れて過ごすインパクトが大きかったという。京都大学に来ている留学生も、あの頃の自分と同じように不安を抱えているのではないか、孤独ではないか?たとえ10ヶ月でも海外での生活を体験したことは、今に生きている。また、京都は、四季折々の自然が美しく、伝統的なお祭りもたくさんあって、日本の文化を知るには絶好の土地でもある。京都生まれで京都を愛する田村教授は、留学生の皆さんに是非日本の良い所を感じてもらいたいそうだ。
一方、京都大学の学生には、早い時期に文化の差を経験してほしいと考える。「例えばアメリカに住めば、アメリカ人が日本をどう見ているのかがわかる。日本を別の角度から見ることができて、別の発見がある」と田村教授は言う。学部の間にせめて1ヶ月間でも外国での生活を経験して、大学院で1~2年、留学して欲しいと考える。
「否応なしに海外との接触が多くなる」
現状では、海外からの京都大学への留学生約1,200人に対して、京都大学から海外へ留学する学生は約200人に留まる。京都大学の学生数は学部で約 13,000人。卒業までに全学生の3分の1が海外留学を経験するスタンフォード大学と比較すると、かなりの差である。海外留学の必要性を主張するのはなぜか? 「グローバル化が進み、これから日本は、否応なしに海外と接触する機会が多くなっていく。必然性がある。」と田村教授は言う。
2004年度からは留学生センター(現国際交流センター)と留学生課が協力して、京大生に海外留学に興味を持ってもらおうと、「留学フェア」を開催している。イギリス、フランス、中国、韓国などの関係団体が相談ブースを設けて留学についての疑問に答えたり、留学経験者の話を聞いたりすることができるイベントだ。初年度は約900名、2005年度は約500名の参加者を得た。そのほか2005年には「京大International Week ~留学のススメ~」なども開催した。
京大生があまり海外留学しないのは、留学したために留年しなければならない場合もあるのが理由のひとつだ。留学先の大学で取得した単位を卒業単位として認める単位互換の制度を促進するなど、「障害をひとつひとつ取り除いていく必要がある」という。2005年度には国際交流科目を作り、京大生が上海で2週間、研修を行った。(国際交流科目「中国の社会・経済・文化」の中国臨地研修 )「今は年間、たったの40人で、教員がついて行っている。本当は学生さん達だけで行ってもらうようにしたい。将来的には全学生の3分の1には経験してもらいたい。そのためには、危機管理など体制をしっかりしていかないとね。」教授の夢は大きい。
取材日:2005/12/7
Profile
田村 武 先生の専攻は、数学と物理を使って自然現象をモデル化する応用力学。これは“紙と鉛筆の世界”ですが、これらは、青函トンネルなど、現実のプロジェクトに結びつきます。机上の空論ならぬ、現実世界への転換-そこに醍醐味があるそうです。1948年 京都市生まれ。71年に京都大学工学部を卒業後、73年、同学大学院工学研究科を修了して京都大学工学部助手となりました。80年、京都大学工学博士を取得、同年、京都大学工学部講師、84年に同助教授を経て、96年に同大学大学院工学研究科教授に就任しました。線形代数(共立出版、1994年)、連続体力学入門(朝倉書店,2000年)、構造力学-仮想仕事の原理を通して-(朝倉書店、2003年)などの著書があります。また、2003年に留学生センター長に就任、05年から留学生センターから改組された京都大学国際交流センターのセンター長を務め、海外からの留学生の受け入れや、京都大学の学生の海外留学のサポートに、積極的に取り組んでいます。