令和元年度大学院学位授与者への祝辞(2020年3月23日)

本日、京都大学から修士の学位を授与される2,277名の皆さん、修士(専門職)の学位を授与される157名の皆さん、法務博士(専門職)の学位を授与される136名の皆さん、博士の学位を授与される588名の皆さん、誠におめでとうございます。

学位を授与される皆さんの中には、457名の留学生が含まれています。累計すると、京都大学が授与した修士号は83,555、修士号(専門職)は2,011、法務博士号(専門職)は2,390、博士号は35,976となります。教職員一同、皆さんの学位取得を心よりお祝い申し上げます。

京都大学が授与する修士号や博士号には、博士(文学)のように、それぞれの学問分野が付記されており、合計23種類もあります。また、8年前からリーディング大学院プログラムが始まり、これを履修し修了された皆さんの学位記には、それが付記されています。これだけ多様な学問分野で皆さんが日夜切磋琢磨して能力を磨き、その高みへと上られたことを、私は心から誇りに思い、うれしく思います。本日の学位授与は皆さんのこれまでの努力の到達点であり、これからの人生の出発点でもあります。今日授けられた学位が、これから人生の道を切り開いていく上で大きな助けとなることを期待しています。

皆さんはこれから地球や社会をめぐるあらゆる問題と直接向かい合うことになります。今、世界はインターネットでつながっており、GAFAを代表とするプラットフォーマーの下に情報が集約され、世界が一元化しようとしています。このままでは、世界は均質になり、地域的な個性や多様性が失われていく危険があります。それを防ぐためには、デジタル情報としては捉えられないあらゆる知を総動員して、地球、社会、人間を含む生命の在り方を考えていかねばなりません。

私たちは人新世(Anthropocene)、すなわち人類が地球の生態系に決定的な影響を及ぼす地質時代にいると言われています。この地質時代のスタートラインをどこに引くかについては諸説ありますが、産業革命以降、人口の急増、大都市化、大量の工業生産物、人と物の急速な移動によって、二酸化炭素の増加、温暖化、海洋の酸性化、熱帯雨林の減少といった地球の環境の重大な変化が起こっていることは明らかです。とりわけ第二次世界大戦以後は、これまで地球上に存在しなかったプラスチックの大量生産・大量消費、核開発が生み出した放射性物質が新しい地層を特徴づけるマーカーとなっています。

すでに1962年刊行のレイチェル・カーソンによる著作『沈黙の春』によって化学物質の危険性や、1972年発表のローマクラブの「成長の限界」によって地球の有限性が指摘されていましたが、21世紀になってからは、「惑星限界」あるいは「地球の限界」とも翻訳されているプラネタリー・バウンダリーという考え方も登場しています。2006年には国連で金融業界に対し、投資分析と意志決定のプロセスにESG(Environment, Social and Governance)の課題を組み込むことが提案され、2015年にはSDGs(Sustainable Development Goals)と、産業革命前からの世界の平均気温上昇を「2度」以下に抑えるパリ協定が締結されました。日本政府もESG投資を呼び掛けていますが、国際組織「世界持続可能投資連合」GSIAによると、2018年の世界のESG投資額は約3400兆円となり2年間で34%も増加しているようです。世界の企業はESGに基づく経営戦略を考慮するようになり、SDGsの目標達成を大きな指標にするようになったのです。

今、日本が直面しているのは人口の縮小と少子高齢化です。2050年には日本の人口は1億人を切り、高齢化率は40%に迫ると予想されています。合計特殊出生率(一人の女性が生涯に産む子供の数)は1.4で、このまま伸び悩めば人口縮小に拍車がかかります。さらに、人口の都市集中によって地方の過疎化が進み、共同体の維持が困難となる「限界集落」が急増しています。2040年までに自治体の約半数が消滅するという試算さえあります。働き手となる若い世代が減れば、これまでの年金制度が立ち行かなくなり、地域行政や産業振興に多くの支障が生じます。この人口縮小と少子高齢化の問題は、日本が世界で最初に直面していますが、日本に続き韓国、中国、インドなどアジア諸国や欧州の国々が直面することが予想され、日本が世界に先駆けて解決すべき課題となっています。

その難題を情報通信技術(ICT)で解決しようというのが、日本政府が掲げるSociety5.0、すなわち超スマート社会です。たとえば、ビッグデータをもとに人工知能(AI)を使って画像診断をする医療技術が急速な発展を遂げています。病院が近くになくても遠距離診断で治療法を確定し、薬を処方する。人手の足りない部分を通信技術やロボティクスによって補い、スマート農業やスマート漁業を創出する。的確な需要判断や気象予測をもとに、多様なエネルギー源によって安定的に電力を供給する。さらには、どこでも手軽に情報を入手でき、家庭やオフィスで多くの作業を遠隔操作できるスマートシティが構想されています。こうした技術は、気候変化や地殻変動を予測し、災害を未然に防止することにも役立ちます。これまでに集積された膨大なデータを基に、噴火、地震、台風、豪雨、豪雪、竜巻、津波などに関する確率の高い予想を立てることが可能になります。また、災害用のロボットは人間の限界を超えるような作業が必要となる環境で大いに能力を発揮するでしょう。また、本学の防災研究所が開発中のスマートフォンを利用した災害用のアプリケーションは、人々に災害の現況を正しく伝え、的確かつ迅速に避難できるように誘導することが期待されています。これらの技術や情報を国際的に共有することで、日本は世界の人々の安全に大きく寄与することができるでしょう。

今年から総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)の下で公募が始まったムーンショット計画は、月面着陸を夢見て作られたアポロ計画にちなんで名付けられました。野心的な目標を掲げ、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発を推進する新しい研究開発制度です。目標として掲げられたのは6課題で、いずれも2050年までに実現することを目指します。(1)調和のとれたエンパワーメントにより人が身体、脳、空間、時間の制約から解放される社会、(2)健康社会に向けた超早期疾患予測・予防、(3)AIとロボットの共進化による自ら学習・行動し人と共生するロボット、(4)地球環境再生に向けた持続可能な資源循環、(5)未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業、(6)経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータ。これらは互いに関係し、重複する課題で、将来の人間の福祉に大きく貢献するとともに、地球環境の劣化を防ぐことが主たる狙いとなっています。これらの科学技術は「身軽で負荷のかからない、幸福な暮らし」の実現を目指しています。

昨年、ノーベル化学賞を受賞された本学出身の吉野彰先生が開発されたリチウムイオン電池は、30年前に実用化されて以来、私たちが日常的に使う電子機器に欠かせない部品となりました。軽くてエネルギー効率が高く、充電と放電のサイクルを幾度となく繰り返せるので、携帯電話やノートパソコン、デジタルカメラから電動バイク、ハイブリッド車に至るまで、バッテリーとして縦横無尽の機能を発揮しています。さらに、風力や太陽光といった再生可能エネルギーとリチウムイオン電池を組み合わせることで、電力網を安定化させることもできます。地球環境にやさしい持続可能なクリーンエネルギーにおいて、信頼のおける最重要部品となることが期待されているのです。

環境保全に貢献して持続可能な地球社会を目指すためには、こういった「小さきものの力を拡大する」ような、イノベーションを起こさねばなりません。私が京都大学の学生だった1970年代には「スモール・イズ・ビューティフル」という言葉が流行りましたが、それを唱えたのは、経済学者のエルンスト・フリードリヒ・シューマッハーです。ドイツに生まれ、イギリスで石炭公社にも勤務したシューマッハーは、石炭や石油の過剰消費からエネルギー危機を予測し、第一次石油危機をいち早く予言していました。石油ショックは日本社会を直撃し、「狂乱物価」という言葉が生まれ、人々が生活物資の買いだめに右往左往したことを私はよく覚えています。ガソリンスタンドが日曜日休業をはじめ、駅や繁華街の照明が暗くなり、テレビの深夜放送まで短縮され、世間が暗いムードに包まれました。この時代に、日本の高度成長期は終焉を迎えたとされています。それまで無限と見なされていたエネルギーに対する信頼が揺らぎ、経済成長を前提とした社会の発展に暗雲が立ち込めたのです。シューマッハーは、当時石炭や石油にとって代わろうとしていた原子力の利用にも警鐘を鳴らし、大量消費を幸福度の指標とすることに疑問を投げかけていました。経済顧問として招かれたビルマで、仏教徒の生き方に感銘を受けて仏教経済学を構想し、科学万能主義を改めて自由主義経済下での完全雇用を提唱しています。それは今、ますます経済格差が拡大し、これからAI やロボットによって失業が急増すると予想される現代社会において、顧みるに値する考えではないかと思います。

これから私たちは科学技術だけでなく、人間や社会の在り方をしっかりと見つめ、自然と文化の調和がとれた世界を構築していかねばなりません。これまでのように資源や物質ではなく、知識や思想を共有し集約することで様々な社会的課題を解決し、新たな価値を生み出す「知識集約型社会」が展望されています。経済も人の動きもより活発になり、分散や循環が社会や産業を動かす力となります。そうした未来社会では、多様性や創造性に加えて、グローバルな倫理観に基づく自己決定力や調整能力が必要とされるでしょう。今後の社会の変動を地球規模で確実に予測することは難しいと思います。しかし、プラネタリー・バウンダリーで警告されているように、人口が増え、人為的影響が加速する現代の状況を続けていけば、温暖化によって自然災害が頻発し、汚染が進んで人間の住める環境ではなくなることは目に見えています。パリ協定に基づいて立てた各国の達成目標を確実に実行し、SDGsを世界共通の課題として取り組むことが不可欠になります。これからのみなさんの活躍が地球や人間の将来を大きく動かしていくのです。

とはいえ、科学技術への過度な依存は、人間の心身のあり方にも負の影響をもたらしかねません。急増する生活習慣病に代表されるように、長い間狩猟採集生活に適応するように進化してきた私たちの心や体は現代の人工的な環境とミスマッチを起こしています。このミスマッチを改善するには生活を見直し、人工的な環境を人間らしいものに改善していく必要があります。他方で、人間そのものを新たな環境に合わせて変えていくことも、遺伝子編集技術や生体工学によって可能になりつつあります。最近、エイズに罹った父親との間にできた受精卵の遺伝子を変え、その影響が及ばないようにしたデザイナーベビーの誕生が中国で報告されました。この技術を発展させていけば、両親とは異なる遺伝子構成を持つ子どもを思い通りに作ることができ、更には放射能汚染や酸素欠乏といった過酷な状況に耐える性質を持った人間を作ることも可能になるかもしれません。ロボットと人間の体を合体させれば、深海や宇宙へと進出することも容易になるでしょう。しかし、そこまで人間の改良が進んだとき、人間の定義はいったいどうなるのでしょうか。アップグレードされた人間と普通の人間との間に体力や知力の格差が生じ、もはや同等の人間として付き合えなくなるかもしれません。すでに、私たちは栽培植物や家畜を創造し、人間以外の生命を操作し始めています。現在、地球の約30%を占める陸地のうち、砂漠と南極が33%程度、森林が31%程度、牧草・放牧地・耕地が36%程度を占めています。地球上に暮らす哺乳類の9割以上は家畜とペット動物です。つまり、今や人間が創造した生命が地球上を覆いつくそうとしているのです。人間を含めた生命のあり方について今こそ、文明論的な議論を深めねばなりません。

本日学位を授与された論文の報告書に目を通してみると、京都大学らしい傾向が見えてきました。多様で重厚な基礎研究が多いという印象とともに、近年の世界の動向を反映した内容が目に留まります。移民を含む民族間の衝突や多文化共生、地震や水害などの予測、芸術の視点から捉えた教育や医学、ジェンダー格差、体罰やいじめとメンタルヘルス、老化や認知症のケア、などです。これらの論文は、現代世界で起こっている社会問題や、これまでに未解決であった諸課題に鋭い分析のメスを入れ、その解決へ向けて新たな証拠や提言を示すということで共通しています。確かなデータに基づく深い考察から発せられたこれらの知見は、未来へ向けての適切な道標となると思います。ほかにもタイトルを見ただけでも、詳しく内容を知りたいという気持ちをかき立てられる論文や、私の理解能力を超えるような新しい研究が学位論文として完成されており、私はその多様性に驚きの念を禁じえませんでした。この多様性、創造性、先端性こそが、これからの世界を変える思想文化や科学技術に結びついていくと確信しています。

今後、ICT技術の発展によりフィジカルな空間とバーチャルな空間の融合が顕著になるでしょう。大学は今後もそれを人間に幸福をもたらすように調整するシンクタンクやコミュニティとしての役割を果たしていかねばなりません。AIとITは人間の道徳的な生活にも浸透してくるでしょうが、芸術や人間の感性が科学技術の行き過ぎを押しとどめる、最後の防波堤となることは否定できません。私たちは今豊かな情報を享受しながらも、個々人がひとりで危険に向き合う不安な社会に生きています。仲間と分かち合う幸せな時間はAI には作れません。それは身体に根差したものであり、効率化とは真逆なものだと私は思います。情報には感性がなく、目的に応じていかようにでも作り変えることができます。情報には高い利便性がありますが、それは人間の身のたけに合ったものではありません。ですから私たちは、身体性に根差した幸福感を賢く組み込むような「超スマート社会」を構想する必要があります。それには文理の境界を越えた、深い教養と時空を自在に往還する幅広い知識が不可欠になります。

本日、学位を授与されるみなさんは京都大学で培った高い能力を駆使して、ぜひこの困難な時代に叡智の花を咲かせてほしいと思います。学問をするには、その時代への感性を持つことが重要です。くわえて、どんな学問を修めるにも幅広い教養と基礎が必要です。未知の領域や新しい課題を発見する力は、小さいころに自然の中で遊んだ経験や、異分野で培った見識によって育てられることもあるのです。しかし、今や世界中で科学に向き合う姿勢が画一化され、とくに技術と結びついて、社会にすぐに役立つイノベーションのみが求められる風潮にあります。自分の学問分野だけでなく、他の分野の知識や芸術的な感性を幅広く取り入れて、それぞれの研究者が独自の科学的直観を持つことが重要だと思います。

皆さんも、京都大学での研究生活を通じて、他の分野に広く目を向け、活発な対話を通じて、独自のアカデミックな世界を作り上げたことでしょう。それは京都大学で学んだ証であり、皆さんの今後の生涯における、かけがえのない財産となるでしょう。また、皆さんの学位論文は、未来の世代へのこの上ない贈り物であり、皆さんの残す足跡は後に続く世代の目標となります。その価値は、皆さんが京都大学の修了生としての誇りを守れるかどうかにかかっていると思います。たいへん残念なことですが、昨今は科学者の不正が相次ぎ、社会から厳しい批判の目が研究者に向けられています。皆さんが京都大学で培った研究者としての誇りと経験を活かして、どうか光り輝く人生を歩んでください。

本日は、まことにおめでとうございます。

令和2年3月23日
京都大学総長
山極 壽一

※博士号の授与者数 35,976名(累計)については、1949年新制京都大学設置以降(新制)の授与者数です。1948年以前(旧制)の授与者数を加えた場合、総計45,627名となります。

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