第26代総長 山極 壽一
本日、京都大学から博士の学位を授与される222名の皆さん、誠におめでとうございます。
学位を授与される皆さんの中には、59名の留学生が含まれています。累計すると、京都大学が授与した博士号は43,523となります。列席の副学長、研究科長、学館長、学舎長、教育部長をはじめとする教職員一同とともに、皆さんの学位取得を心よりお祝い申し上げます。
京都大学が授与する博士号には、博士(文学)のように、それぞれの学問分野が付与されており、合計22種類もあります。また、5年前からリーディング大学院プログラムが始まり、これを受講し修了された皆さんの学位記には、それが付記されているはずです。これだけ多様な学問分野で皆さんが日夜切磋琢磨して能力を磨き、その高みへと上られたことを、私は心から誇りに思い、うれしく思います。本日の学位授与は皆さんのこれまでの努力の到達点であり、これからの人生の出発点でもあります。今日授けられた学位が、これから人生の道を切り開いていく上で大きな助けとなることを期待しています。
私は総長に就任して以来、大学を社会や世界に開く窓として位置づけ、WINDOW構想を掲げてきました。大学に期待される教育、研究、社会貢献という3つの役割のうち、教育を大学全体の共通なミッションとし、有能な学生や若い研究者の能力を高め、それぞれの活躍の場へと送り出すことを全学の協力のもとに実施してきました。WINDOW構想の最初のWはWild and Wise。野生的で賢い能力の育成を目標にしています。IはInternational and Innovative。国際性豊かな環境の中で、常に世界の動きに目を配り、世界の人々と自由に会話をしながら、時代を画するイノベーションを生み出そうとする試みです。NはNatural and Noble。京都大学は、三方山に囲まれた千年の都に位置し、自然の景観に優れ、歴史に囲まれた環境にあります。昔から京都大学の研究者は、これらの豊かな環境の下で自然と触れ合い、多くの新しい発想を育んできました。自然に学び、京都の歴史的遺産と触れる機会を増やしながら、高い品格や人間として恥じない行いを心掛け、高潔な態度を身に付けてほしいという願いが込められています。DはDiverse and Dynamic。グローバル時代の到来で、現代は多様な文化が入り混じって共存することが必要になりました。京都大学は多様な文化や考え方に対して常にオープンで、自由に学べる場所でなければならないと思います。一方、急速な時代の流れに左右されることなく、自分の存在をきちんと見つめ直し、悠久の歴史の中に自分を正しく位置づけて堂々と振る舞うことも重要です。OはOriginal and Optimistic。これまでの常識を塗り替えるような発想は、実は多くの人の考えや体験を吸収した上に生まれます。そのためにはまず、素晴らしいと感動した人の行為や言葉をよく理解し、仲間とそれを共有し話し合いながら、思考を深めていく過程が必要です。自分の考えに行き詰まったり、仲間から批判されて悲観しそうになったりしたとき、それを明るく乗り越えられるような精神力が必要です。失敗や批判に対してもっと楽観的になり、それを糧にして異色な考えを取り入れて成功に導くような能力を涵養しなければなりません。最後のWはWomen and Wish。女性が働きやすく、勉学に打ち込める環境作りを通して、「女性リーダーの育成」、「家庭生活との両立支援」、「次世代育成支援」を推進してきました。これから社会に出て行く皆さんはぜひその模範となっていただきたい。ぜひ、ご自身の経験と能力を活かしながら、男女が分け隔てなく、楽しく働ける社会の実現へ向けて、皆さんのご活躍を期待しております。
さて、本日学位を授与された論文の報告書に目を通してみると、京都大学らしい普遍的な現象に着目した多様で重厚な基礎研究が多いという印象とともに、近年の世界の動向を反映した内容が目に留まります。グローバル化にともなう異文化との交流、多文化共生、人の移動や物の流通、地球規模の気候変動や災害、社会の急激な変化にともなう法や経済の再考、心の病を含む多くの疾病に対する新しい治療法などです。
これらの論文は、現代世界で起こっている問題や、これまでに未解決であった問題に鋭い分析のメスを入れ、その解決へ向けて新たな証拠や提言を出すということで共通しています。確かな資料に基づく深い考察から発せられたこれらの提言は、未来へ向けての適切な道標となると思います。タイトルを見ただけでも中身を読んで詳しく内容を知りたいという気持ちをかき立てる論文や、私の理解能力を超えたたくさんのすばらしい研究が学位論文として完成されており、私はその多様性に驚きの念を禁じえませんでした。この多様性と創造性、先端性こそが、これからの世界を変える思想やイノベーションに結びついていくと確信しています。
さて、皆さんは数年間の研究生活を通じて、どのような精神を磨いたでしょうか。そこには京都大学でしか得られない大切なものがあるはずです。昨年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典先生は東京大学の出身ですが、大学院博士課程の1970年から71年にかけて2年間、京都大学理学研究科に内地留学されていました。理学研究科にできたばかりの生物物理学教室で、大腸菌のタンパク質合成を阻害するコリシン酵素を研究しました。今年の7月に京都大学から名誉博士の称号を授与された際、大隅先生はその頃の印象を懐かしく語っておられました。当時の京都大学には、自分が本当に面白いと思える研究をのんびりとできる環境があり、それがその後の長い研究人生を歩むきっかけになったというのです。その環境は大隅先生ばかりでなく、カドヘリンを発見した竹市雅俊先生をはじめ多くの若き俊英たちを育てました。まさに、自由の学風という京都大学の伝統的な学問環境が力を発揮した時代だったのです。1970年に京都大学に入学した私は、ちょうどその頃、大隅先生のいらした同じ理学部の構内で学部生活を送っていました。大隅先生とは違う自然人類学という学問分野でしたが、やはり同じような自由の学風を謳歌していました。教授をさん付けで呼び、研究室の議論に学生も対等な立場で参加する文化がそこにはありました。
大隅先生は博士課程を終えて2年後に学位を取得。その後も職がないままに米国のロックフェラー研究所に留学し、研究テーマの探索にずいぶん苦労をされたようです。しかし、そこでの酵母との出会いが、後にノーベル賞を受賞したオートファジーという細胞のリサイクルシステムの発見に結び付くことになったのです。それは、酵母が飢餓状態になると、細胞内部を作り変えて胞子を形成し、休眠状態になることに注目したのがきっかけでした。飢餓状態に置いた液胞の中で起こっている現象を見つけたとき、大隅先生は興奮を抑えきれず、誰ともなく「面白いことを見つけた」と話して回られたそうです。その喜びと興奮が私には手に取るようにわかります。私もフィールドワークの中で、そうした瞬間を何度か味わったことがあるからです。発見を論文に仕上げ、その成果を社会に認めてもらうことが研究者としては重要ですが、研究者の喜びとはまず、誰もそれまでに見たことがない現象を発見することだと思います。発見を形にするには、それを価値づける辛抱強い努力が必要となります。大隅先生はオートファジーを見つけてからも、電子顕微鏡での観察に1年、論文として投稿してから受理されるまで2年もかかったそうです。新しい現象が認められるまでには、長い時間がかかるのです。
自分が発見した新しい事実や考えを世に出すためには、面白いと思う対象や現象を忍耐強く追い続け、それを発見に結び付ける静謐で自由な学問環境と、発見したものを論文として形にするための質の高い対話や討論が可能なコミュニティが必要です。京都大学はこれまでその環境を維持することに全力を尽くしてきました。ただ、昨今の大学を取り巻く状況や学生諸君の意識が、目に見える成果や短期間で達成できる目標を求めようとする傾向を持ち始めているのは残念なことだと思います。大隅先生も、若い研究者の中で、すぐに人の役に立つものか否かという考え方が近頃強くなっていると指摘されています。若い人に考える余裕を与えず、早い者勝ちの世界で競争し続け、論文を量産しなければならない状態に追い込むことは科学を豊かにしてはくれません。社会に余裕がなくなり、それにつられてサイエンスも競争の世界になると、本当の意味の科学する楽しさが失われていくというのです。研究者はじっくりとサイエンスに取り組み、お金がなくてもできるという開き直りや、一度や二度の失敗を恐れない覚悟が必要だとも言っています。
ここに集った皆さんも、京都大学での研究生活を通じて、発見の喜びや論文に仕上げるまでの苦労を十分に味わってこられたことと思います。自分と同じ分野の仲間や他分野の仲間と、活発な対話を通じて、独自の考えや世界を作り上げたことでしょう。それは自由の学問のみやこ京都大学で学んだ証であり、皆さんの今後の生涯における、かけがえのない財産となるでしょう。また、皆さんの学位論文は、未来の世代へのこの上ない贈り物であり、皆さんの残す足跡は後に続く世代の目標となります。その価値は、皆さんが今後研究者としての誇りとリテラシーを守れるかどうかにかかっていると思います。昨今は科学者の不正が相次ぎ、社会から厳しい批判の目が寄せられています。皆さんが京都大学で培った研究者としての誇りと経験を活かして、どうか光り輝く人生を歩んでください。
本日は、まことにおめでとうございます。