平成15年5月23日
本日京都大学博士の称号を得られた課程博士35名、論文博士19名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご列席の副学長、各研究科長とともに皆さんの博士学位の取得に対して心からお喜びいたします。
博士の学位を得るためには、それぞれの専門分野において深く研究をし、新しい創造的なことを成しとげねばなりません。だからといって自分の専門分野だけにしか興味を持たない視野の狭い人間になってしまってはなりません。特に博士の学位を得て社会に出てゆき、自分の知識、成果を利用して種々の新しい課題に取り組むことになる人達は、自分のおかれた状況についてよく考え、柔軟に対処できる能力を持つことが必要であります。
つまり専門を深めれば深めるほど、教養の幅も広げる努力をしてゆく必要があるわけであります。我々の直面している難しい課題は全て、多くの原因が複合して生じ、ある1つの観点からでは解決できない問題でありますから、広い知識を持ち、総合的な立場から解決の道を考えねばならないのであります。
そういったこともあって、平成3年の大学設置基準の大綱化によって各大学の教養部が解体され、楔形カリキュラムと称して各学部の専門教育科目が低学年のカリキュラムに入って来ました。その後カリキュラムの改善の努力は続けられてきましたが、教養部解体ということの影響は大きく、一般教養教育が徐々に軽んじられる傾向が出て来ているといわれています。そして10年たった今日、教養教育の再構築が多くの大学における重要な課題となり、各大学ともどのような形でこれを充実し実質化させるかに腐心しているのであります。
大学評価・学位授与機構が平成13年度に着手した教養教育についての大学評価結果が今年になって出されました。5段階判定の最高の段階の評価を受けた大学はなく、次の段階の「目的及び目標の達成におおむね貢献しているが、改善の余地もある」と評価された大学は4校であり、多くの大学はその次の段階の「実績や効果がかなり挙がっているが、改善の必要がある」という評価でありました。我が京都大学もその中に入っております。
教養教育はどうすればよいか、そもそも教養教育とは何かについては、人によって意見は様々であります。教養教育の充実のための努力の方向は、カリキュラムを体系的に整備し、できるだけ少人数のクラス編成にし、各科目の教育内容に種々の工夫をし、学生に常に興味を持たせるようにするなどでありましょう。そして文系・理系に偏重せず、できるだけ多くの広い知識を与えるとともに、物事を論理的に考え、適切な判断ができる力を持たせる方向であります。
各大学におけるこういった努力・工夫は多とすべきことでありますが、そういった努力をすればするほど、カリキュラムは緻密になり、量も多くなりがちとなり、知識の過剰な供給と詰め込み教育になる危険性があります。現在の教養教育の議論は与える側の議論であり、受け取る学生側の立場についてどこまで考察がなされているかはいささか疑わしいと思われます。
教養を高めるということは多くの知識を持つということとは違うということを、まずはっきりと認識しなければなりません。教養を高めるための必須の要件は、誰からも何の要請もされない全く自由な時間、つまり暇を十分に持つということではないでしょうか。そして世の中のレベルの低い娯楽をさけ、静かな美しいキャンパスで過ごすといった環境を持つことが大切であると考えられます。そうすれば人は自然に自分の関心のあることについていろいろと調べ、考え、また実践をするようになるでしょう。こうして人は自分の関心のあることを広く深く楽しみ、またそういったことについてよく考えることによって教養が身につき、自分の生き方ということを掴み取ることになるのではないでしょうか。
世の中には何でも知っていて、知識をひけらかす人も多いのですが、京都の人の多くは、知っていても周囲の状況をよく判断し、適切な時に適切なことしか言わないという傾向があります。東京などは見せる文化であるのに対し、京都は隠す文化であるといわれたりしています。一見すると前者の人の方がはるかに教養豊かな人のように見えますが、必ずしもそうではないのであります。ただ、現代のような情報を発信することに価値を見出す風潮の時代には、京都的な奥ゆかしい人が不利であることも事実であり、これは残念なことであります。
京都大学の教育は「自由の学風」といった言葉で表現され、学生は自由に振るまっており、大学評価・学位授与機構などからの教養教育に対する評価がかんばしくないのは当然であるでしょう。しかし我々は京都大学の持つ長所と欠点をよく自覚し、ずっと全学共通教育の改善について真剣な取り組みをしてきております。今年の4月には高等教育研究開発推進機構をもうけ、カリキュラムの改善を行うとともに、学生が教養教育の重要性を認識し、それぞれが自分にあったカリキュラム選択を行うよう指導しております。その中で、上に述べましたように真の教養は学生それぞれが自分の自由な時間をもち、それぞれによく考えて行動することに基本があるという環境は守ってゆきたいと考えております。そうでなければ京都大学の特色がなくなってゆく恐れがあるからであります。この考え方の一環として最近はキャンパスを少しでも美しくし、憩いの場をもうけ、学生諸君がゆったりとした時間を過ごせる環境を作るべく、いろいろと努力をしているところであります。
こういった余裕のある時間の過ごし方ということは、学生の教養教育だけでなく、研究においても同じように大切であると思われます。いろんなことに寄り道をし、一見むだと思われることに時間を使って調べたりすることによって、全く思いもよらない新しいことが発見されたり、独創的なアイディアが湧き出たりするからであります。研究においてある1つの目標を設定した場合、その目標を達成するにはいろんな方法、いろんな道筋がありうるでしょう。どういった方法をとるかといったことは研究者のもつ経験と決断力によって決まり、それはその人の日頃から蓄積して来た教養的な背景によって支えられているのであります。幅広い視野と社会性、専門性を兼ね備えて初めて一人前の博士であると、ノーベル賞学者の野依良治先生が言っておられます。
皆さんは本日の博士学位の取得を契機として新しい世界に入ってゆかれるわけですが、今日のように忙しい時代であればあるほど、周囲から押し寄せてくるいろんな事に押し流されずに、自分の時間を大切にしていただきたいと存じます。
これからの皆さんのますますのご活躍を期待し、お祝いの言葉といたします。