平成15年4月7日
本日京都大学に入学された2,882名の皆さん、まことにおめでとうございます。元総長沢田敏男先生をはじめ名誉教授の先生方をご来賓にお迎えし、ご列席の副学長、各学部長とともに皆さんの京都大学入学をお祝いするとともに、京都大学の構成員として迎え入れますことを心からうれしく存じます。
(1)形は精神の表れである
大学といえば、皆さんは時計台と呼ばれる塔を連想するでしょう。京都大学の時計台の建物は現在全面的な改築中で時計の付いた塔は見えますが、下部と建物全体を見ることができません。この改築は11月中には終わり、美しい姿を皆さんの前に現わしますので期待して待ってください。
塔といえば鋭く尖った三角形をしたものや山型のものがありますが、これは天に至る強い意志を表していたり、威圧的、権威主義的な雰囲気を感じさせたりします。これに対して京都大学の時計台は四角で構成されていて、穏やかであり、調和を感じさせるものであります。この京都大学の時計台建物は京都大学建築学科の初代教授武田五一氏によって京都帝国大学本館として設計されたもので、1925年に竣工しておりますが、これは京都大学のキャンパスの中でも最も美しい建物の一つであります。
時計塔の高さは高からず低からず、中庸を得ており、四角い塔の太さも適当で、京都大学の学風である堅実さを象徴していると感じられます。またこの塔は決して威圧的でなく、我々に親しみを覚えさせますし、色調も地味な小豆色で、眼鏡のような丸い文字盤の時計は愛らしささえ感じさせます。そしてこの塔の下の建物は平らな矩形で、正面からは十数本の柱が並んで見えます。同じ高さで並ぶこれらの柱は、それぞれに教官、職員、そして大学院学生、学部学生、新入生諸君などに見立てれば、京都大学の構成員の全てが平等に京都大学を象徴する時計台を支えているように見えますし、またこれらの柱を各学部や研究所、センターや事務部門、附属病院等であると見れば、これら全てが等しく参加して京都大学の活動に寄与していると理解することもできるでしょう。つまり、鋭い先端を持たないこの穏やかでバランスのとれた建物は、京都大学が理念としている「全てのものの調和ある共存」を表現していると解することができるのであります。時計塔や建物の上部、柱の上半につけられた石の白い色は、全体に明るい印象を与えますが、これも京都大学が権威主義的でなく、自由の学風を重んずる大学であることを感じさせます。
(2)精神は時代と環境で育てられる
物の形は作った人の思想の表現であるとともに、その人の活動している時代や環境の意識的・無意識的な表れであります。武田五一先生は京都大学の持つ自由で明るい学風、そして教師と学生が学問の道を手を携えて共に歩んでゆくという京都大学の教育の理念、といったことを暗黙のうちに表現したのではないでしょうか。私は京都大学の学風、性格、健全性といったことを、この時計台の建物が象徴的に表現しているものと感じ、常に時計台建物をながめ、愛しております。皆さんも京都大学に入学し、京都大学の建物を愛し、キャンパスを大切にし、京都大学の自由の学風のもとで学問への志を強く持って学生生活を送っていただきたいと思います。
人間は自由意志を持ち、自分の考えによって行動ができますが、おかれている環境にいろんな形で影響を受けます。人は風土を離れて生活はできないのであります。また同様に人は時代からも離れることはできません。京都は平安時代から千年余りにわたって日本の首都であり、また日本文化の中心地でありました。したがって京都には日本というものの本質的なものが現代にまで脈々と続いて存在してきております。それは具体的に目に見えるものだけでなく、目に見えない空気のような形で我々京都大学にいるものにも影響を与えているといってよいでしょう。京都大学には長い日本や東洋の文化的伝統を重んじ、学問を本質的なところまで掘り下げて考える哲学的傾向が強くあります。また一方では我々の周辺に漂っている強固な伝統に反撥し、これを打破しようとする反骨的精神も旺盛で、他では思いも及ばないアイディアを出すなどして、全ての学問分野で最先端を開拓するとともに、現代という時代を反省的・批判的に眺め、将来のための新しい学問分野を形成すべく果敢に挑戦しております。これらの創造的活動は全て世界に通用する普遍的なものでありますが、その学問の発想法や本質には日本ならではの特徴が認められ、それだからこそ独創的でありうるのであります。皆さんも学生生活を通じて京都の良さを十分に味わい、精神の糧としていただきたく存じます。
大学は皆さんの若い力によって発展していく教育研究の場であります。皆さんも既に聞いていると思いますが、国立大学は来年の四月には文部科学省の下部機関であることをやめ、自立して自己の責任によって大学を運営し、個性の輝く大学に発展してゆくことが求められています。京都大学においてもそのための準備をいろいろとしていますが、これまで実現することの難しかった種々のこと、特に学生諸君の勉強と学生生活がより充実したものとなる工夫をしているところであります。皆さんは大学の設置形態が変わることによってより一層勉強のしやすい環境が整備されるものと考えて、安心して自己の目的とするところに向って努力していただきたいと存じます。
(3)物事を論理的に深く考える
「大学入試はインドに学べ」という題で東京理科大学の芳沢光雄教授がおもしろいことを書いておられます(文芸春秋2003年3月号)。日本では入学試験に○×式や穴埋め問題などが増加し、数学においては証明問題は年々極端に減ってきているという現実があるのに対して、世界的に有名なインド国立工科大学の2000年度の数学入試は10問全てが証明問題で、京都大学の入学試験問題などよりハイレベルのものであったとのことであります。またインドではたとえ計算問題であっても、その計算過程を詳しく論理的に言葉で明記しながら解答しなければ点数がもらえないのだそうであります。つまりインドの教育は1ステップずつ論理的に進んでゆくという、時間はかかるが着実な学問的態度を取っているわけで、こういった訓練が今日のインドを世界のソフトウェア大国にしている理由であると芳沢教授は述べておられます。コンピュータソフトウェアの記述は論理的に正確で、あらゆる場合を考えた証明文を書くように緻密でなければならないからであります。
京都大学の学問研究の態度はまさにこのような考え方にたっており、事実を徹底的に調べ、深く思考することによって独創的な研究成果をあげ、新しい学問を築いてきたのであります。手っ取り早く結果を出すことが、長い目で見たとき必ずしも大きな成果をもたらさないということであります。今日全てにおいてスピードが必要であると言われていますが、教育研究の場合ゆっくりと注意深く進んでゆくことも大切であり、よく考える必要があるでしょう。
(4)京大生は学問をしよう
京都大学ではこれまで何回か教育・研究を中心とする大学の諸活動について点検を行い、自己点検・評価報告書を出してきました。その中には京都大学の学生がどのような特徴と欠点を持っているかについて卒業生の方々の意見を調査した結果も報告されています。それによりますと、京都大学は学問の自由、自由の学風ということを標榜し教育研究を行ってきたわけですが、学生諸君もこの気風を十分に活用して学生生活を送っていることが分かります。つまりのびのびと自分のやりたい勉強をし、また学生生活を楽しんでいるわけであります。しかし調査結果によりますと、主として最初の一、二年の時に学ぶ一般教養科目よりも三、四年時に学ぶ専門科目をより熱心に勉強したという結果が出ています。皆さんはそれぞれの学部に入り、その学部が与える知識を習得してその分野の専門家として卒業してゆくことを目ざしているわけで、それぞれの専門分野の知識を習得する努力をするのは当然であります。しかしそのためには基礎学力を十分に養わねばなりません。また社会に出て専門知識を適切に用いて問題を解決しようとすれば、広く種々の知識を持ち、深い教養を持たねばなりません。したがって専門科目とともに、主として一、二年時に学ぶ一般教育科目をしっかりと勉強していただきたく存じます。
皆さんがそもそも京都大学に入学したのは単に専門分野の知識を得るためではなく、学問をするためであります。したがって皆さんはそれぞれに学問とは何かを自分に問うてみる必要があります。高等学校までの勉強とは違って大学においては知識とともに、物の考え方、学問の仕方、といったことを教えます。これは皆さんが社会に出て未知の問題に出合った時に必要となることであります。知識は時代とともに新しくなりますので、常にこれを学んでゆく必要がありますが、物の見方、解決の方法といった学問の方法はいわば普遍的なことであり、これを学生時代に習得することは勉強のために必要であるばかりか、皆さんの人格を形成し、これからの長い人生に対してしっかりした基礎を与える最も大切なものでもあります。皆さんはこれまでの受験勉強から開放されたのですから、広くいろんなことを自由に学び、人格の形成に役立てていただきたく存じます。
(5)京大生の欠点を克服しよう
京都大学の自己点検・評価報告書には京都大学を卒業する学生諸君の欠点についても指摘がなされています。京都大学の学生は、国際性と協調性に欠けるところがあるという指摘であります。今日どの国も他国との関係を考えずに存在することはできず、企業もほとんど全て世界に活動の範囲を広げていますから、これからの人達は国際的な視野をもって種々のことを学ぶとともに、諸外国の人達と十分に交渉できるだけの外国語能力と知識、そしてしっかりとした自分の考え方、意見を持ち、それを堂々と述べ、人を納得させる力を持つことが求められます。特に英語でコミュニケーションできる能力はこれからの京都大学卒業生の全てに必要とされるものであります。京都大学における語学教育はできるだけ少人数の教室で密度の高い教育をする努力をし、いつでも外国語を自習できる語学ラボを提供していますが、それ以外にもいろんな機会を利用して英語による会話能力や意見の発表の能力をつける努力をしていただきたく存じます。
京都大学の学生は勉強はよくできるが、たくましさが足りないと言われることがあります。これは京都という平和な都市の中で他にほとんど競争相手がいないという環境が大きな影響を与えているのではないかと思います。大阪や東京、あるいは世界のあちこちの都市では学生諸君がそれぞれに他大学の学生と交流したり、他の国の大学に留学したりして自分の世界を広げる努力をしています。井の中の蛙であってはなりません。皆さんも積極的に外に目を向け、外に出てゆくことが必要であります。未知の世界に挑戦し、自分の世界を広げる努力をすることは特に学生時代のような若い年代において必要なことであり、そうすることによって人との協調性が身につき、またたくましい人間に成長してゆくのであります。
こういったことは頭で考えるだけでは身につかず、実行することが大切であります。実行した結果が失敗に終わっても全く問題はありません。皆さんはこれまでほとんど失敗したという経験がない人達でしょうが、失敗しても恐れずに再度挑戦するとか、新しい道を見つけて立ち上がるといったことは若い時にこそできることであり、それは皆さんの長い人生にとっての大きな力となるのであります。外国の大学への短期留学、長期留学などの仕方については、皆さんが既にもらっている学生便覧に書いてあります。積極的に外国へ出て行くようにしてください。
(6)学生生活を充実させよう
京都大学は国内有数の研究中心の大学でありますが、学生の教育にはより一層の努力を払い、将来の日本を支え世界で活躍する人材を育成しようとしております。特に今年度は高等教育研究開発推進機構を作り、皆さんの教養教育がより一層充実したものとなるよう努力をしております。しかしそれが皆さんの日常における実践、将来における行動につながってゆくようにしなければなりません。現在の大学教育で欠けているのは、この実践・行動のための訓練であります。そこでこれを補うために、京都大学では課外活動を奨励しております。各種のスポーツクラブや文化系のサークルがあり、その他にボランティア活動などもあります。こういった活動を通じて、皆さんは忍耐力を養い、良い友人関係を作り、人格を磨くことができるのであります。したがって、いろんなことに積極的に参加し、皆さんの学生生活が充実したものとなることを期待します。京都大学はそういった面でもいろいろと努力をしていますが、何よりも大切なことはそれぞれの皆さんの自覚的・積極的な努力であります。
学問に王道なしであります。学問は教えられるものではなく、自分がするものであります。このことを忘れず忍耐強く努力することによって、皆さんには輝かしい未来が約束されるのであります。皆さんの将来に期待し、お祝いの言葉といたします。