本日京都大学博士の称号を得られた課程博士61名、論文博士79名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご列席の副学長、各研究科長とともにお慶び申し上げます。
さて最近は産学協力、あるいは産官学協力ということが盛んに言われております。大学の社会における存在意義としては、社会の発展のための人材の育成、学術文化の継承、さらに研究を行うことによって人類の知識を増大・発展させるという、大きく分けて三つの使命を持っていると考えられてきましたが、最近はさらに大学において作り出し、蓄積してきた知識を社会に適切な形で還元することも重要な任務であるということになってきております。
大学の持つ知識の社会への還元は、従来大学の研究者が個々に、一般社会に新しい物の見方、考え方、あるいは新しい知見を伝えたり、企業に専門的知識を教え、特許を移転あるいは取得させたり、また企業の研究者と共同研究をしたりするなど、種々の形で行われてきておりました。しかし、こういった個別的、非組織的な形では、社会に対する公平性、透明性が欠けることがありますし、そういったことに大きな関心を持つ研究者のみが行っているのでは不十分であり、大学の創造した知識で社会に直接役に立つものはもっと多いということなどから、産学協力を制度的なものにし、もっと積極的に推進して行くべきだという考え方が出てきました。
1980年代の日本企業は世界を席巻する勢いで、大学からは人材さえ供給してくれれば企業に必要な研究開発は全て自社において行うといった考え方でありました。ところがバブルがはじけ、研究開発にほとんど人材と資金を出せなくなって、大学は社会に役立つ研究をし、産業界に積極的に協力すべきだという声を産業界がいっせいにあげ始めたのであります。アメリカの大学はずっと以前から企業からの資金で研究を行い、その成果を還元するということをやってきており、またベンチャー的な事業も比較的容易に立ち上げることができて、アメリカの産業界に活力を与え、アメリカの景気を支えてきましたが、これを日本の産業界が見て、日本でもそういった事を実現すべきだという願望もあったからでしょう。こういった声の高まりに対応して、国は国立大学の教官の兼業兼職を大幅に認め、また産学協力ができやすい種々の制度的工夫をしてきております。
京都大学においても数年前にベンチャー・ビジネス・ラボラトリーを作り、大学院学生に自由な発想に基づく研究をさせるとともに、知的財産権に関する知識、特に特許の取り方を教えたり、起業、すなわち新しく企業を作るために必要となる知識を与えるなどの努力をしてきました。また最近は国際融合創造センターを作り、産業につないでゆける種々の研究を行うとともに、産業界への大学の窓口として、企業からの問合わせ、協力要請、共同研究提案等に対して、学内で関連する研究をしている教官を紹介したり、教官をグループ化して対応させるといった仲介の機能を果していますし、大学に設置が奨励されている知識財産本部を作るための準備的検討もしています。
このように、京都大学も社会の要請にまじめに対応しておりますが、これで京都大学が社会に役立つ応用研究の方に方向転換したというとすれば、それは大きな誤りであります。京都大学はあくまでも学問の発展、新しい知識の創造、そのための基礎研究を第一に考えるというこれまでの姿勢は全く変わっておりません。社会や産業界との協力によって、そこに存在する真に困難な問題を摘出し、これに創造的な立場から解決を与えるための基礎研究を推進すること、こういった努力を通じて新しい学問分野を開拓してゆくということを心がけているのであります。空理空論でなく、現実世界に立脚した学問を構築しようという態度であります。こういった努力が、5年、10年、あるいはもっと長い期間を通じて見た時に本当に良く社会に貢献できる道であると考えます。
産学協力の他に、最近は産官学協力ということが盛んに言われています。これは学問研究に官が係わらねば有効な研究の発展が期待できないような課題と状況が出て来ているということであります。今日、大学における研究には各国とも国策として相当な額の研究費を投入するようになってきていますが、そのためには国としてどのような考え方と方向で学術の振興、科学技術の発展をさせねばならないかということが大切となります。そこに官が係わってくる理由があります。たとえば地球温暖化問題を考えてみますと、これは地球全体についての観測網を国際的協力のもとに設置しなければなりませんし、CO2の排出削減については各国が国として相互協力をしなければなりませんから、政府間交渉が重要な役目をすることになります。原子力研究、あるいは今世界のどこに設置するかが問題となっている国際熱核融合実験炉など、多くの大型研究については国が予算的にも政策的にも深く係わって来ざるをえないことになります。情報化社会の構築、あるいはe-Japanと呼ばれている電子政府の構築といったことのための種々の研究も、国の関与、あるいは国の積極的な協力・推進がなければ社会に定着してゆかないわけであります。
こういった事例をよく考えてみますと、産官学協力だけではなお不十分であることが分かってきます。どのような研究をどのように進めるかには、その成果を利用する社会の人々が係わって来ざるをえないということであります。たとえば学校教育に情報技術を導入することはこれからの大きな課題であり、そのために多くの基礎的・応用的研究をしなければならないわけですが、これを成功させるために行う情報技術の研究開発は学校教育の現場の協力なくしては成功しません。また先端的な基礎医学の研究成果を臨床に応用するトランスレーショナル・リサーチなどでは、大学の研究者と企業の研究者とが一体となって研究しなければならないほかに、患者が積極的に協力し、情報提供も行わねば成功しないといわれています。また特に再生医療などでは生命倫理など社会の考え方を抜きにしては進められないところに来ています。
このように、これからは産官学協力だけでは不十分であり、産官学民の協力ということを明確に打ち出すことが必要であると考えられます。すなわち、これからの研究の多くは研究室の中に閉じこもってはできず、必要に応じて産も官も社会をも取り込み、それらと協力しながら進めてゆく必要が出てくるわけであります。歴史的に考えて研究活動のあり方がそのように変わらざるをえない時代になってきているのではないでしょうか。またそのようにしなければ真に困難な問題が浮かび上がって来ず、学問の新しい発展が期待できないともいえるでしょう。したがってこれからの研究者は自分の専門分野のみならず、広く関連分野の知識を持ち、産や官、民ともうまく協力してゆける資質が要求されてゆくことになるでしょう。
本日京都大学博士の称号を得られた皆さんは、これからも研究生活を続けてゆく人、あるいは社会に出て自分の力を発揮しようとしている人など、いろいろな方がおられると存じますが、皆さんの活動は全て、大なり小なり、産官学民の全てに係わるものとなるでしょうから、こういったことをよく考え、相互協力への努力をし、社会の発展のために貢献していただきたいと存じます。皆さんの将来に期待し、お祝いの言葉といたします。