平成13年5月30日 京都大学総合博物館竣工記念式典挨拶

平成13年5月30日

 本日ここに、京都大学総合博物館の竣工記念式典が挙行されるに当たり、一言ご挨拶を申し上げます。

 世紀の変わる節目に、京都大学に大学博物館が整備されることになりましたのは、私共にとりまして、心からの喜びとするところであります。このユニバーシティー・ミュージアムの設置についてなみなみならぬご配慮を賜りました文部科学省に対しまして心からの敬意と謝意を表しますとともに、その実現にご努力いただきました前総長井村裕夫先生、関係教官、事務部・施設部の方々に対しまして、この場を借りまして厚く御礼を申しあげます。

 京都大学の博物館の歴史は、そうとうに古いのであります。1897年(明治30年)に京都帝国大学が創設され、その9年後に、文科大学が開設されております。そして、美術品や考古学資料の収集がはじめられました。それらを保管、管理し、研究を続ける必要から、1914年(大正3年)に、文科大学の附属施設として陳列館が設けられました。ただ、この陳列館には、専任の教官や事務官はおらず、運営には文学部の教官・事務官が兼任してたずさわることとなったのであります。この事情は、さいきんまで変わっておりませんでした。

 戦後の学制改革、国内法の整備にともないまして、陳列館も博物館相当施設の認可を受けることとなり、1955年(昭和30年)に文学部博物館と改称されました。そして、1986年(昭和61年)に、陳列館の半分を残して、その北西となりに博物館の建物が新築され、翌1987年(昭和62年)に開館いたしました。その当時に新築された建物が、この総合博物館の本館に相当する部分に当たります。

 これに見られますように、京都大学のなかの博物館の歴史と申しましても、それは文学部の陳列館・博物館の歴史でありまして、理科系の博物館、いうところの自然史博物館については、はなはだ動きがにぶいのが実状でありました。自然史博物館を作りたいという要望が学内で形をなしてくるのは、ようやく昭和60年代(1985年以降)に入ってからであります。

 西島安則総長の時代にはじまりました、京都大学内の総長裁量による『教育研究学内特別経費』の基金によって、理学部、農学部、教養部合同調査委員会が「研究教育における自然史資料の意義及びその整備の必要性に関する調査研究」を1986年(昭和61年)と87年に実施しております。この研究の成果として、その合同委員会は1987年(昭和62年)に「京都大学自然史博物館の構想」をまとめました。この新たな構想を盛り込んだ昭和63年度概算要求書が理学部から提出されております。

 1988年(昭和63年)になって、理学部、農学部、教養部の3学部にくわえて霊長類研究所、東南アジア研究センタ-、アフリカ地域研究センタ-などの参加をえまして、「京都大学自然史博物館設立推進懇談会」が設置されました。先行しておりました文学部博物館にそうとう遅れてはおりますが、自然史博物館建設にむけた全学組織がついにできあがったのであります。この「設立推進懇談会」が、「京都大学自然史博物館基本計画」をとりまとめました。

 1989年(平成元年)に、総長の諮問機関として「京都大学総合博物館機構構想検討委員会」が設置され、文学部博物館と自然史博物館とを統合した京都大学総合博物館が新たに構想されるにいたりました。この総合博物館は、文化史資料研究部門、自然史資料研究部門の2部門をもって構成されるという案になっております。これまで別々のものとして構想が練られてきた文学部博物館と自然史博物館が、ここにしてはじめて統合されるという案にまとまったのであります。その意味では、平成元年というのは記念すべき年なのであります。

 この構想にもとづいて概算要求書がまとめられましたが、この計画は陽の目を見ませんでした。1995年(平成7年)には、総長裁量経費によるプロジェクト研究として、「京都大学総合博物館設立計画のための調査研究」が組織され、京都大学総合博物館には、従来の「文化史資料研究部、自然史資料研究部」の2研究部門であった構成にくわえて、「技術史資料研究部」をふくむ新計画が立案されました。ここにいたって、総合博物館の3部門体制の原案ができあがったのであります。

 その同じ年に、文部省学術審議会が「ユニバ-シティ・ミュ-ジアムの設置について--学術標本の収集、保存・活用体制の在り方について--」の中間報告をし、翌1996年(平成8年)1月に、最終答申を提出いたしました。この答申にもとづいて、東京大学総合研究資料館が、まず平成8年4月に総合研究博物館に転換いたしました。京大では総長裁量経費によるプロジェクト研究が進行中でありましたので、この動きにすぐに対応し、このプロジェクト・チームが中心となって概算要求書をとりまとめました。それが認められ、京都大学創設百周年にあたります1997年(平成9年)4月に総合博物館として発足することとなったのであります。

 このようにして、京都大学独自の動きに、文部省の施策という流れがからみ合い、ついに念願の大学博物館が京都大学にも設置されました。大学博物館の第一義的な目的・使命は、その大学においておこなわれてきた研究の過程で収集された標本・資料を保管・管理し、活用をはかると同時に、研究成果を展示し、公開することにあります。したがいまして、その展示のあり方にその大学の性格が色濃く反映されるのは、当然のことと申せましょう。京都大学総合博物館の常設展示のメーン・テーマはフィールド・サイエンス、つまり野外研究であります。京都大学は探検大学かといわれるほど、野外での研究活動がさかんであります。野外研究を展示の表面に押し出すことは、京都大学の特色を出すにあたってふさわしい選択でありました。

 また大学博物館は、人類の財産としての学術標本資料の保全、日本の科学技術水準レベルの維持・向上、生涯学習の実施・支援、京大の知的生産の成果を世界へ向けて発信するといった市民に解放された情報発信基地としての性格を持っています。

 日本で一番多くのノーベル賞受賞者を出してきた京都大学に、このような社会に開かれた博物館が開館し、学生・研究者だけでなく社会人から子供たちまで、一般市民が気軽に貴重な資料を閲覧し、科学技術の楽しさに触れる場ができましたことは、規定の枠以外での生涯学習への興味がますます高まってきている時代において、非常に重要な意義があると思います。

 すでに機能を発揮している附属図書館、本年3月に竣工したばかりの総合情報メディアセンターとならんで、総合博物館が京都大学にとっての社会に開かれた窓口として、望ましい役割をじゅうぶんに果たしていかれることを祈願して私のご挨拶とさせていただきます。