大学院入学式における総長のことば
平成12年4月11日
総長 長尾 真
平成12年度京都大学大学院入学者、修士課程2,025名、博士後期課程916名、合計2,941名の皆さん、まことにおめでとうございます。この中には外国からの留学生、修士課程98名、博士後期課程116名が含まれています。皆さんに対して各研究科長とともに心からお喜び申し上げます。
今日、大学改革が種々の点から進められていますが、その中で大学院がますます重要視されるようになって来ています。文部省の大学審議会はこのような状況から平成8年10月に「大学院教育研究の質的向上に関する審議のまとめ」(報告)を出し、「今日技術革新の加速化、生涯学習社会の進展等を背景として、学術研究の推進と研究者や高度な専門的知識・能力を有する人材の養成を担う大学院の役割は一層重要になっている」という認識を示しています。
そして、「今社会が必要としているものは、細分化された個々の領域における研究と、それらを統合・再編成した総合的な学問とのバランスのとれた発展であり、学術研究の著しい進展や社会経済の変化に対応できる、幅の広い視野と総合的な判断力を備えた人材の養成である。大学院は、これらの課題にこたえていく上で、中心的な役割を担わねばならない」として、次の3点が特に要請されています。
- 学術研究の高度化と優れた研究者養成機能の強化
- 高度専門職業人の養成機能・社会人の再教育機能の強化
- 教育研究を通じた国際貢献
京都大学では平成3年に人間・環境学研究科という独立研究科をもうけて以来、エネルギー科学研究科、アジア・アフリカ地域研究研究科、情報学研究科、生命科学研究科を次々に作って来ました。そして今年度には、医学研究科に社会健康医学系専攻と修士課程の医科学専攻を作りました。この社会健康医学系専攻は専門大学院という新しい種類の大学院で、高度の専門職業人を養成することに力を入れるものであります。また経済学研究科に社会人の再教育を主目的としたファイナンス工学講座をもうけました。このようにして着実に大学院の多様化を行うとともに、大学院に重点を移した大学院重点化大学、すなわち研究大学という性格をさらに明確にし、社会の期待に応える努力をしているのであります。
博士学位の授与も年々増加して来ております。課程博士の学位授与数は1990年度に249であったものが1999年度には558と2倍以上となっております。従来非常に少なかった人文社会系研究科においても最近は毎年かなりの数の博士学位を出すようになって来ていることは、まことに喜ばしいことであります。
西洋の学問は古代ギリシアの哲学から分化進展して来ましたが、近代科学が数学によって支えられ、また実験という手法が確立されるようになって目をみはるような発展がもたらされて来たことは皆さんもよくご承知のことであります。そして学問が幾つかの典型的な分野に分かれてきました。明治以後日本に輸入された西洋の学問は、法律学、経済学、理学、工学、医学といった形に分化されたものであり、当時のヨーロッパの学問の体系を反映したものであります。これは学問とはこういうものであるといった観念を日本人に植えつけました。すなわち、学問はそのような体系の下に行うものであるという、いわば固定観念といったものが作られ、日本の学問世界を長く支配して来たきらいがあります。その結果、たとえば経営に関すること、あるいはビジネスのやり方などは長くノウハウの世界であり、学問としてまじめに取り上げられませんでした。
しかしアメリカは全くちがった風土をもっていて、どんなものでも学問としてしまいます。解決しなければならない問題のある領域があれば、それを積極的に取りあげ、学問体系に作りあげるのが実に上手であります。経営学はもうかなり以前からしっかりした学問として確立されており、日本でもあちこちの大学に経営学部門がもうけられ、その分野の教育研究は実に盛んとなっております。アメリカで確立された学問は他にも行動科学、生活科学、看護学、保険学、環境デザイン学など、挙げればきりがありません。ホテル学といったものも存在し、日本でも最近1、2の大学で教えるようになったと聞きます。
要するに、学問というのは未知の世界を論理的、体系的に切り開いていくものであって、その対象は何であってもよいわけであります。伝統的な学問分野だけが学問であるといった窮屈なことをいっていては学問の発展はないのであります。京都大学では、21世紀に主要な課題となる学問分野として、人間の問題、あるいはエネルギー、情報、生命の問題、あるいはアジア・アフリカ地域の総合的視野からの研究といったことが大切であると考え、これらの名を冠した研究科を作って来たわけであります。学問として何をしてはいけないということは全くなく、自由に課題を見つけ、これを解明していけばよいのであります。
私の場合は40年ほど前にコンピュータで言葉を取り扱うことに興味を持ち、今日まで研究をやって来ました。やり始めた頃には、工学部で言葉を取り扱う変わった人間がいるといった認識しかなかったわけですが、今日では日本国内はもちろん世界的にも計算言語学という確立された学問分野として広く認識されるようになっております。京都大学はそのような変わったことをも許容してくれる大学であり、新しい学問を創造する柔軟な力をもった、すばらしい大学なのであります。
皆さんも大学院へ入学されて、これからいよいよ本格的な研究を始めることになるわけですが、なんといってもこれを解明したいという心をわきたたせる課題を持つことが大切であります。そのような課題を発見するための努力も当然必要であります。自分の一生をかける気持ちを起こさせる課題に出合うことの出来た人は幸福であるといえるでしょう。
大学院修士課程修了で社会に出て行く人達も多いでしょうが、そのような人達も修士課程で十分な知識を得るとともに、研究をすることによって、未知のものを解明し、物事に解決を与えていくにはどうすればよいかということを自ら体験することが大切なのであります。その経験は社会に出てから大変役立ちます。社会における問題は、非常に多くの要素が実に複雑にからんでいることが多いのですが、これをいかに整理し、見通しよくし、それにかかわる人達の理解・合意を得ながら解決していくかといったことが重要であります。これは知識だけでなく全人格のかかわる問題となりますから、自分の人格を磨く不断の努力が必要であります。
皆さんの大学院での勉強と研究が実りあるものであることをお祈りし、お祝いの言葉といたします。