平成12年1月 新年の挨拶

京都大学の新しい方向を求めて

総長 長尾 真

 新年明けましておめでとうございます。今年も京都大学がますます発展する年になりますよう、また京都大学の皆様にとって良い年でありますようお祈り申し上げます。

新キャンパス
 昨年の秋には、長年の懸案でありました新しいキャンパスの場所を決定することができ、具体的に動き出すことになりました。新キャンパスについては種々の観点から長年慎重に検討されて来ました。奈良県近くにある木津地区が有力候補としてあがっていましたが、距離が遠く交通に問題があり、学生の教育等のことを考えると問題があること、また広大な土地の取得費とそこでの施設整備費は膨大なものとなり、今日の国の財政状況からキャンパスの完成に何年かかるか判からないこと等の問題がありました。また京都市内、京都府内、滋賀県など、比較的近隣での適当な用地としては、限られた候補地しかないという現実もありました。さらに、移転となればどの部局がどのような形で移るか、それが教育・研究上無理のないもので、部局構成員の同意が得られるかという問題もありました。
 一方では、これからの21世紀社会を考えた時、無限の拡大という方向がありうるとも考えにくく、むしろ質の高さを追求する時代になって行くのではないか、その場合には京都という地のもつ文化伝統の基盤の上に密度の高い活動をする事をねらった方がよいのではないかという思いもありました。つまり、日本を代表する大学として今後とも高度の先端的な研究を行い、学問において世界をリードするとともに、社会において指導的役割りを果たす見識のある優れた人材を多数輩出するエクセレント・ユニバーシティをめざさねばなりませんが、そのためには諸学の交差する密度の高い空間と、それにふさわしいキャンパス環境が必要であるという認識がありました。
 このような多くの要因・条件をよく検討した結果、昨年9月末の評議会で次のような決定がなされました。

京都大学の新キャンパス構想<短期計画>について

  1. 新キャンパスを桂・御陵坂地区(以下「桂キャンパス」という。)に求めることとする。
  2. 桂キャンパスには、工学研究科及び情報学研究科が移転する。
  3. 学部学生に対する教育は、吉田キャンパスで行うことを基本とする。
  4. 工学研究科・情報学研究科の転出に伴い、吉田キャンパスについては、基本的には施設長期計画に沿いつつ、既存建物の再利用を図りながら暫定的な再配置を行う。

 こうして、京都大学は、これまでの吉田地区と宇治地区に加えて、桂地区に新しいキャンパスを設定することで、トライアングル構造の教育・研究拠点を形成することになります。いわば京都という、文化と伝統があり、しかも非常に先進的な日本の代表的都市を坩堝(るつぼ)として、これを三本の柱で支える構造ということができるでしょう。
 吉田地区には全学部と文系・理系の研究科をおき、学問の伝承を行いながら基礎研究を推進します。宇治地区には自然科学系の研究所が結集し先端的研究を展開します。そして桂地区は理学と工学とが融合し、社会に開かれた領域を開拓することをめざす関西のテクノサイエンスヒルとして発展していくことを目標とします。
 この決定を受けて、桂キャンパスを工学・情報学分野の知の戦略拠点に作りあげるという考え方で文部省に働きかけました結果、昨年暮れの第二次補正予算に、桂キャンパスの一部の土地取得と工学研究科化学系・電気系その他の建物計画を入れていただきました。これは大変感謝すべきことであります。
 これによって、ともかくも京都大学の新キャンパス計画が第一歩を踏み出したわけであり、これを契機として、京都大学は21世紀に向かって力強く希望を持って進むべきだと存じます。

組織の改編
 京都大学はこれまでにも、21世紀社会が必要とする学問研究を推進すべく組織を改革・再編して来ました。人間・環境学研究科、エネルギー科学研究科、アジア・アフリカ地域研究研究科、情報学研究科、生命科学研究科などの独立研究科の創設はこの考え方によるものであります。また研究所・センター関係では、エネルギー理工学研究所、再生医科学研究所、総合情報メディアセンターなどを作り、またこれまでの研究成果と遺産の保存展示のための総合博物館も設立されました。
 来年度につきましては、現在、経済学研究科においてリフレッシュ教育の推進を主たる目的としたファイナンス工学講座を設けようとしておりますし、経済研究所においても金融工学研究センターを新設すべく努力をするなど、これからの電子情報社会における多様な経営活動に関する教育研究を強力に推進しようとしております。
 医学研究科においては、基礎医学を一層充実させるために、医学部だけでなく他の自然系学部の卒業生も進学することのできる医科学専攻を新たに設ける計画をたてています。さらに、これからの医学は治療医学とともに、よく健康を保ってゆくにはどうすればよいかという予防医学に力を入れるべきであるという観点から、実践的な教育研究を行う社会健康医学系専攻を新設すべく努力をしております。
 そのほかにも幾つかの具体的な改編の努力がなされておりますが、たとえば、これから益々深刻になり人類の将来を左右しかねない環境問題についても、京都大学のもつ総合的な力を発揮して研究し解決するにはどうすればよいかという検討が進んでおります。その他にも21世紀社会が必要とする学問研究をめざして取組むべき課題は、少なくないと考えます。

社会との関係
 産学協力ということがよく言われる時代となって来ました。大学は究極的には社会のためにあるのだから、産業界によく協力しなければならないという声がある一方で、学問はそういったものでなく、独立したものとして純粋に進めてゆくことによって、結果的に社会に大きな貢献をすることになるのだという考え方もあります。どちらの立場にも真実が含まれておりますが、我々はどこかその中間のところをめざして進むべきなのでしょう。
 ただ、ここで確実に言えることは、あらゆる学問分野において、社会の現実から目をそむけることなく、社会のかかえている課題、難問に直面する勇気を持たねばならないということであります。そういった問題を直視することによって、そこにひそむ真の学問的課題を掘り起こし、また新しい学問分野を開拓することによって、その結果として社会のかかえている課題や難問を解決するという態度を持つことであります。その過程で社会や企業といろいろな形で協力するということは大いにありうることであり、これは企業からの要請に対して単純に自分のもつ知識を提供し手助けするというのとは本質的に違ったものであります。
 少なくとも京都大学における産学協力というのは、そのような意味で、お互いの立場を尊重しながら、産学が対等にギブアンドテイクの関係で健全な発展をすべきものと考えます。そういった立場からは、京都大学はもっと積極的に社会に出て行って、学問的課題を発見し、また社会の実状を直視し、解決の糸口を見いだす努力をすべきでありましょう。こういったことは、多くの場合自分の学問の発展にとって不可欠のことであり、その結果として社会に対して貢献することになるのであると考えます。

存在感のある人材の育成
 さて、21世紀社会の日本の課題のひとつは、政治、経済、科学技術で世界をリードしていくということでしょう。そのためには日本の言うことに対して他国が真剣に耳をかたむけるという、存在感のある国になることが先決であります。それは一人一人の日本人がどこに行ってどのような人に出合い話合っても、存在感を相手に感じさせる、そういう人を養成することであろうと思います。このような状況ができなければ、たとえば日本人の学問・研究成果は評価はされても、世界中の多くの人がその学問世界に魅力を感じて引き込まれ、その学問的方法論を自分のものとして研究をするようになるといった状況、つまり学問の本流を生み出して世界をリードしていくことは困難でしょう。これは学問の世界だけでなく、他の種々の分野についても言えることであると思います。
 こういった魅力のある人物を育成するような教育はどうしたらできるかを、我々は真剣に考えねばなりません。これは知識の伝達だけでなく、また思考力を鍛えるだけでも足りず、その人のもつ価値観、人生観を鍛え、しっかりした考え方を身につけさせることによって初めて可能になると考えます。そのためには教師である我々と学生とのより良い人格的接触が必要でありましょう。
 そういった点から、一昨年から始まった通称ポケットゼミは特に意義あるものです。教官が自発的に自由なテーマで、学部に関係なく、そのテーマに興味をもつ学生を最大10人、ゼミに参加させるというものです。学生との親密な対話を通して学問の面白さ、その深さ、社会における意義などを教育します。今年度は昨年度よりも多い180人余の教官が121コマの科目を担当し、合計八百数十人の学生が受講しました。来年度はより多くの教官がポケットゼミを提供し、少しでも多くの学生が受講することを期待しています。

国際感覚と外国語能力
 昨年の秋学期から試験的に始めたものに、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)との間の遠隔講義があります。これは総合情報メディアセンターが技術的に支援しているもので、京都大学の教官が自分の科目を学生に教えるとともに、これをリアルタイムにUCLAの教室に送り、そこにいる学生にも教えるものであります。また、その逆に、UCLAの教官が自分の学生に講義をすると同時に、京都大学の学生にも聴かせるものであります。
 両者対等的な協力であり、半年間の講義は英語で行われていますが、京都側の松本 紘教授の講義は非常に工夫されており、UCLAの学生にも人気があると聞いております。UCLAからの講義については、京都大学の学生は内容の理解とともに、英語の聴きとりと英語会話の訓練をも目的として参加しているようですが、典型的なアメリカ型の講義の仕方に引き込まれ、極めて熱心であります。毎回の講義終了後、両国の学生同士の会話もなされ、インターネット経由で両国の学生が共同で課題を解決し、レポートを書くなど、興味深い実験的な講義であります。将来はこのような遠隔講義を徐々に増やし、学生諸君が講義内容だけでなく、英語会話能力と国際感覚を培ってくれることを期待しております。
 これからの日本の大学は、教育・研究の両面で世界の大学の中に重要な位置を占めることが必要ですし、また卒業生が21世紀国際社会において十分に活躍できる英語力と基礎学力、さらに強い精神力を身につけることが不可欠であります。したがって、こういった試みをこれからもいろいろと具体化していくとともに、このような種々の試みを正規の授業にも定着させていって、しっかりした考え方をもち、外国人を説得できる英語力を持つ人材を育成することが非常に大切であります。

独立法人化
 さて、昨年来、本格的な問題となっている国立大学の独立行政法人化について、我々は真剣に考えなければなりません。既に大学入試センターなど、国立機関の一部が平成13年度に独立行政法人化されることに決まっており、行政改革推進本部はひきつづき、99の国立大学についても独立行政法人化の方向で検討しております。文部省としては、大学における教育研究の本質的な性格から、独立行政法人通則法は大学にはなじまないものとし、特例措置等の検討をしております。
 ただ産業界を含む社会一般、国会議員等も、ほとんど全てが国立大学の独立行政法人化の方向を支持しているようでありますし、国立大学以外からは、ほとんどどこからも国立大学のままで進むべきだという意見が出て来ていないという現実があり、また国立大学の中でも意見は非常に広く分布しているという状況があります。今日、日本社会は、あらゆる部分で構造的変革を迫られ、企業組織においても世界的な規模で解体と再統合が行われつつあります。また中央省庁の再編なども進められている中で、国立大学だけが従来のままでよいのかという声も聞えております。しかし、通則法の下での大学の独立行政法人化に大きな問題のあることは、国立大学協会の指摘のとおりであり、また上に述べましたように、文部省もこれを重要な検討事項としているところであります。国立大学がどの方向に進むべきかは非常に重要かつ困難な問題でありますが、日本の高等教育、研究の発展のために建設的な方向で解決して行かねばなりません。
 そういった中で、少なくとも、国はその責任として国民の教育と学問の発展ということを放棄することはありえず、学術の発展のために相当額の研究費を今後とも投入していくことは間違いないのでありますから、我々のなすべきことは、いかなる状況になっても教育と研究、学問の健全な発展のために最大限の努力をすることでありましょう。そのための条件が確保されるよう努力を続けなければならないことは言うまでもありません。

競争的環境
 これからの大学のおかれる環境は、平成10年10月に大学審議会が出した報告書『21世紀の大学像と今後の改革方策について―競争的環境の中で個性が輝く大学―』にも明確に書かれていますように、教育・研究・大学運営など、あらゆる面において大学間の競争が本格化することは間違いありません。いや競争は、既に始まっているのであります。
 今年の4月には大学評価のための機関として、大学評価・学位授与機構が発足し、本格的な大学評価が始められます。京都大学はそのようなことには動じず、超然としているべきだという考え方が、もしあるとしたら、この際はっきりと捨て去るべきではないでしょうか。世界のいずれの大学も競争を意識しています。日本国内で優れた位置を占めていても、世界の大学の中ではどうでしょうか。世界にははるかに優れた大学が存在します。たとえば米国には非常に優れた大学が幾つもありますし、中国は国家目標として数校の大学をあと20年くらいで世界有数の大学にする決意をしております。そういった中で、京都大学は従来にも増して一層の努力をする必要があります。
 21世紀を迎えようとする今、我々ははっきりとした決意をもって、競争に打ち勝ち、世界に大きな存在感を観取させる特色のある大学になるべく努力することが必要であります。それは決して難しいことではありません。京都大学は人材は豊富であり、力は十分にあります。一人一人が心を世界に対して率直に開き、世界に積極的に出ていくことによって、かならず実現できるものと確信いたします。
 今年は、20世紀最後の年であります。皆さんも来るべき世紀に向かって、京都大学の進むべき方向についてよく考えていただきたく存じます。その材料として、私の素直な気持を皆さんに訴えて、新年にあたっての私の挨拶といたします。