聴講講義: Lost in Translation
- 今回は、春休みを利用してKCJSの授業を聴講しました。先生はヘンリー・スミス先生で、講義のタイトルはLost in Translation、主に日本語から英語への翻訳に関する内容を幅広く扱っていました。まずは概論的な翻訳内容に触れ、それから機械翻訳について学びました。たまたま私が以前機械翻訳について調べたことがあったのでその旨をスミス先生に伝えると、先生はその内容を授業で紹介させて下さり、その時のレジュメを翻訳したことを覚えています。続いて二つ、グループでの翻訳課題が課されました。この時噂に聞いていた日本語の特徴、すなわち日本語の曖昧さなどを体感しました。また、論理展開の方法が日英語で全く異なり、大概において日本語は英語的に見ると冗長だということが非常に興味深かったです。その他、個人レベルで翻訳課題が二つ課されました。過去に同じグループだった人を中心に、自分の英語をチェックしてもらったり、他のアメリカ人学生に原文の日本語を解説したりしました。毎回リーディングがあったわけではありませんが、リーディングの量は多かったです。アメリカ文学の専修だったので多いリーディングに対する拒絶反応はなかったのですが、内容が異なりかなり苦しみました。しかしそれも良い経験だったと思います。
これが初めての英語講義聴講で、KCJS学生との対面式の時から非常に緊張しており、初回の授業のときはアメリカ人の学生の顔をまともに見られないくらいでした。皆錚々たる大学から来た学生さんばかりで、そのこともとても緊張する原因のひとつでした。その初回の授業では皆の会話についていくのに精一杯で一度も発言できず、帰りに悔しい思いをしたことを覚えています。しかし、それから「授業中必ず1回発言する」という目標を立て、授業に積極的な態度で臨むことを心がけると、だんだんアメリカ人の学生の輪にも入っていけるような気がしました。また、授業でのグループワークでも一人一人と関わることができたので、お互いを知り合うこともできたと思います。更に、一緒に帰ったり、金曜の夜に皆が行く飲み会に出たりすることでも仲良くなれました。仲良くなってから、アメリカ人学生の方も京大からの聴講生ということで多少引いていたということを聞き、笑ってしまいました。実際はお互い敬遠していたようです。今後はなかなか会えないと思うととても残念な、そんな素敵な人ばかりでした。
今までKCJSの授業は自分にとってハードルが高すぎると敬遠していましたが、実際取ってみるとこのような授業ばかりとるのでも良いなと思うほど良かったです。もっとこのような機会が増えれば良いと思います。(文B4)
- 非常に個人的な話ではあるが、一昨年交換留学をしていた時現地の大学の授業に思うように積極的に参加出来なかったため、その時の失敗を繰り返すまいとの思いで参加した。結果的に授業中にしっかりと発言することが出来たので、留学中の自分を超えられたように思う。しかし、KCJSにおいては講師も学生も日本人聴講生が参加することを知っており、講師からはそれなりの配慮もなされたため、KCJSの授業を交換留学での授業と同列にとらえるのは非常に危険であるとすら思っている。
授業内容については特に問題はなかったと思うが、翻訳というこれといった絶対的な方法や理論が確立されていないものに関する授業だったため、ディスカッションをしても翻訳における問題の明確な解決策が出ないこともあった。
しかし、さすがはアメリカの大学の授業スタイルということで翻訳の理論同様に実践的な練習が多かった。各々が訳した文章を授業中に見比べて議論したのは非常に意義のあることだったように思う。ネイティブの翻訳を見て、「そうか、こういう表現を使うのか。」と毎回のように思わされた。少々不満なのがこの講義における翻訳が常に英語への日本語からの翻訳であったことである。KCJSの学生にとっては日本語の理解が問題であったが、我々日本人学生にとっては課題が全て英作文のそれになってしまった部分がある。ボキャブラリーや知っている英語の文章表現の少なさから、日本人聴講生の翻訳はどれも似たりよったりのものになってしまった。一応グループごとに分かれてお互いの訳を添削するのだが、我々日本人がKCJSの学生に負うところは逆のそれよりはるかに大きかったように思う。KCJSの学生の中には高度に日本語を理解出来る者もおり、そういった学生達にたいしてはあまりこちらが手伝う部分がなかった。是非、1回か2回は英語から日本語への翻訳の課題を出して欲しかった。留学中ほどリーディングに割ける時間はなかったように感じるが、ほとんど毎回ちゃんと授業前日に読んでいた。
KCJSの学生とは2、3回目の授業ぐらいから空き時間に話したり、授業後一緒に帰ったりするようになり、週末は遊びにも誘われるようになった。ただ、就職活動も同時にしていたので何度か誘いを断らなければならなかったのが残念である。だが同志社大学の学生の方が同じ大学に通っているということで何かと交流しやすかったのではないかとも思っている。授業のある日と週末のパーティー以外でKCJSの学生と会うことは殆どなかった。
聴講制度については特に問題はなかったように思う。シラバスや資料を読むだけではKCJSの授業の実際の雰囲気が分からないので以前の聴講生との懇談会などあればいいかもしれない。自分の場合は運よく周りに2人聴講経験者がいたので事前にKCJSについて話を聞くことができた。(文B5)