動物にとって、個体の「死」は避けることができない現象です。動物は、仲間の「死」に直面した時に、どう振る舞い、どのような影響を受け、それとどう向き合うのでしょうか。こうした動物の死生観を明らかにするのが死生学です。
この度、豊田有 野生動物研究センター特任研究員(兼:日本学術振興会国際競争力強化研究員)、松田一希 同教授らの研究グループは、野生の霊長類としては初めてとなる死亡個体との交尾行動をタイ王国に生息するベニガオザルで観察しました。ベニガオザルは、名前のとおり赤い顔が特徴的な、体格の大きなオナガザル科マカク属の霊長類で、インド・中国・タイ・ベトナム・マレーシアなど、アジア地域に局所的に生息しています。近年は森林伐採や土地開拓によって数少ない生息域が消滅・分断化され、絶滅の危機に瀕しています。生息域が局所的な上、切り立った崖の多い岩山を好んで生息するために、本種の科学的な調査は難しく、これまで野生での生態研究が全く行われてこなかった謎の多いサルです。
本研究グループは、2015年に野生ベニガオザルの調査地をタイ王国に構築し、以後、現在に至るまで継続的に行動観察を続けてきました。そうした調査の中で、2023年の観察期間中にメスの死体を偶然に発見し、他個体との社会交渉を記録する機会を得ました。数日にわたり死亡個体と他個体との接触を記録する中で、死亡個体との交尾行動が観察されました。野生下の霊長類で初となる「死亡個体との交尾行動」は、ベニガオザルのみならず動物の死生観を理解するうえで非常に貴重なデータとなりました。
本研究成果は、2024年5月13日に、国際学術誌「Scientific Reports」に掲載されました。
「動物のことが好きで動物の行動研究をしている私にとって、死体を見つけることはとても悲しい出来事です。ですが研究者としては、動物が死体とどのように関わるのかを観察・記録することの重要性も理解しているので、死体を見つけるといつも葛藤を抱えながら観察をおこなうことになります。中でも今回の事例を観察中、目の前で起きた行動には非常に驚きましたが、本観察事例を報告する論文を書きながら、この『驚愕』という感情は『死』の概念をもつ人間だからこそ喚起された感情であることに考え至った際には、動物を観察する研究者の生物学的制約を突きつけられた気持ちになりました。野生動物の暮らしぶり、死生観を理解するためには、客観的に、冷静に、彼らの行動を観察し解釈することの重要性を改めて痛感した事例でした。」(豊田有)
【DOI】
https://doi.org/10.1038/s41598-024-61678-z
【KURENAIアクセスURL】
http://hdl.handle.net/2433/289131
【書誌情報】
Aru Toyoda, André Gonçalves, Tamaki Maruhashi, Suchinda Malaivijitnond, Ikki Matsuda (2024). Necrophilic behaviour in wild stump-tailed macaques (Macaca arctoides). Scientific Reports, 14, 10946.