2011年12月21日
左から田中教授、廣理助教
物質-細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス)の廣理英基助教と田中耕一郎教授の研究グループは、ごくわずかな時間にエネルギーが圧縮されたフェムト秒レーザーとニオブ酸リチウムの結晶をもちいて1MV/cmという世界最高電場強度のテラヘルツ光を発生させることに成功しました。さらに、このテラヘルツ光を半導体に1兆分の1秒という短い時間照射するだけで、半導体の中の電気伝導を担う自由電子の数を約1000倍に増幅することに成功しました。実験にもちいた半導体試料は広島大学との共同研究により作製したものです。これにより、例えば、超高速動作の光検出器やそれを制御する超高速トランジスタなど、テラヘルツ領域で動作する新しい超高速半導体デバイスの展開が期待されます。さらに、キャリア増幅が高速高倍率であることから、高効率な太陽電池・発光素子の開発などにも、新たな指針を与えるものと期待されます。
本論文はロンドン時間12月20日午後4時(日本時間21日午前1時)に英オンライン科学誌「Nature Communications(ネイチャー・コミュニケーションズ)」で公開されました。
1. 研究の背景
半導体中のキャリア(自由に動ける電荷)の数を増大させること(キャリア増幅)は、半導体デバイスによる微小信号の増幅や信号のスイッチなどを行うために必要な基本動作です。その一つに衝突イオン化をもちいた「アバランシェ増倍」があります。衝突イオン化とは、物質中に印加された電場によって電子が高いエネルギー状態に加速され、他の原子と衝突することによって新たな自由キャリア電子を生成する現象のことです。ここで弾き出された電子も電場によって再び加速され、他の原子に衝突してさらに電子を弾き出し、この連鎖によって爆発的に自由キャリアの数を増幅することができます。このような現象は半導体においてキャリアの、「アバランシェ増倍」と呼ばれ、陽電子放出断層撮影や量子情報技術に重要な超高感度光子検出器、また太陽電池の増感過程や高効率な電気発光素子においても重大な役割を果たすと期待され、様々なナノスケールの半導体材料に対し精力的な研究が行われています。しかし、テラヘルツ領域で動作する超高速半導体デバイスを考える際に必要な1兆分の1秒以下での増幅については、技術的な困難さから、これまでは不可能でした。さらに、超高速デバイスに必要なナノスケールの微細加工については、金属電極と半導体との接合部に生じるショットキーバリアが試料固有の電場印加効果の理解を複雑にし、またしばしば起こりうる絶縁破壊による試料の損傷は測定自体を困難にさえしてきました。
2. 研究内容と成果
図1.1MV/cm強のピーク電場を持つTHzパルスの時間波形。
挿入図はTHzパルスのスポット画像。
本研究では、電場振幅として最大約1MV/cmを有し、また時間的には約半分の周期(約1兆分の1秒間)だけ持続する電磁波パルスを自由空間内に発生させることで、試料内に実際の半導体デバイスを駆動するのに必要とされるものと同程度の電場を自由自在に試料に照射することができるようになりました。実際に、この電磁波パルスを半導体試料(GaAs/AlGaAs多重量子井戸)に照射することによって多段的な衝突イオン化を誘起し、1兆分の1秒の間に初期キャリアの約1000倍にも及ぶ巨大なキャリアの増幅に伴う、試料からの発光の観測に成功し、従来金属電極を必要としたキャリア増幅現象を純光学的な手法によって観測することが可能になりました。
図1は実際に実験に用いた電磁波パルスの時間波形を示しています。この電磁波パルスは、超短光パルスレーザを誘電体結晶に照射することで発生できるテラヘルツパルスと呼ばれるもので、その周期はテラヘルツ周波数(1012 ヘルツ)の逆数である10‒12秒(1兆分の1秒)に対応します。また図1に示したテラヘルツパルスの最大電場値は1MV/cmと世界最高値に達し、このような高い電場を有するTHzパルスを用いることで、試料内に実際の半導体デバイスを駆動するのに必要とされるものと同程度の電場を生じさせることができます。
- 図2.(左図)1MV/cmの電場振幅を持つTHzパルスを試料(GaAs多重量子井戸)に照射して得られた発光スペクトル。(右図)発光ピーク強度のテラヘルツパルス励起強度依存性。
図2は、左図に1MV/cmの電場振幅を持つTHzパルスを試料(GaAs多重量子井戸)に照射して得られた発光スペクトルと、右図に発光ピーク強度のテラヘルツパルス励起強度依存性を示しています。テラヘルツパルスで発生させた発光スペクトルは、可視光パルス励起(3.18 eV、黒丸)によって観測した発光スペクトの形状は一致します。一般的には半導体からの発光を観測するためには、試料のバンドギャップエネルギーよりも大きな光子エネルギーを持つ光照射によって、価電子帯にある電子をバンドギャップエネルギー以上の電子状態に励起する必要があります。しかし、今回実験で用いたテラヘルツパルスの持つ光子エネルギーは約4meVであり、バンドギャップエネルギー(1.55eV)の実に390分の1という小さな光子エネルギーに相当します。このことから、極端に小さな光子エネルギーで電子をバンドギャップエネルギー以上の電子状態に遷移させたことを意味し、試料内で極めて顕著な非線形現象が誘起されていることを示唆しています。
これらの現象が起きるメカニズムとして、図3に示すようなテラヘルツパルス照射によって試料内で衝突イオン化過程が誘起されている可能性が高いと考えられます。強電場によってバンド内で加速された電子がバンド間エネルギーよりも高い運動エネルギーを持つとき、価電子帯の電子を伝導帯に励起して電子と正孔を生成し、自身はエネルギーを失い低いエネルギー状態へと遷移します。この過程ではキャリア数を増大させることができます。このため今回、この衝突イオン化過程が1兆分の1秒という超短時間の間に多段的に引き起こされることによって、初期キャリア数が約1000倍増大させることができたと考えられ、またこのモデルを基にした理論的な計算結果ともよい一致を示すことがわかりました。
3. 今後の期待
このような現象の応用として、ピコ秒もしくはテラビット(1012 bit)の光信号に対して応答する超高速動作の光検出器やそれを制御する超高速トランジスタの開発につながることが期待されます。さらに、キャリア増幅が高速高倍率であることから、高効率な太陽電池・発光素子などの開発にも、新たな指針を与えるものと期待されます。
図3.半導体GaAsのバンド構造における衝突イオン化過程とこれによるキャリア増幅過程の模式図。
本成果は、JSTの下記の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
- 戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
- 研究領域:「先端光源を駆使した光科学・光技術の融合展開」
(研究総括:伊藤 正 大阪大学ナノサイエンスデザイン教育研究センター 特任教授) - 研究課題名:「高強度テラヘルツ光による究極的分光技術開拓と物性物理学への展開」
- 研究代表者:田中 耕一郎(京都大学iCeMS教授)研究期間:平成21年10月~27年3月
JSTはこの領域で、物質・材料、加工・計測、情報・通信、環境・エネルギー、ライフサイエンスなどの異なる分野で個別に行われている光利用研究開発ポテンシャルの連携、融合を加速し、「物質と光の係わり」に関する光科学・光技術におけるイノベーション創出基盤の形成を目指しています。
用語解説
テラヘルツ電磁波
光波と電波の中間の周波数帯に位置する電磁波。最近まで未踏領域の電磁波とされてきた。近年、レーザー技術の進歩とともに、発生や検出、操作の技術が大きく進展した。1テラヘルツは光子のエネルギーにすると約4ミリエレクトロンボルト(meV)、周期にすると1ピコ秒(=1ps=10-12秒=1兆分の1秒)に相当する。
陽電子放出断層撮影 (positron emission tomography=PET)
陽電子を放出する半減期の短い放射性同位元素を利用した画像診断方法である。近年、癌の診断に利用されるようになった。
量子情報技術
主に光子(フォトン)について、その量子力学的な状態が二値もしくはそれらの状態の重ね合わせ状態によって表されることを利用した信号処理技術。具体的には、特定の種類の計算に関し高速化が期待される量子コンピュータや盗聴されない暗号技術のことを指していうことが多い。
ショットキーバリア
半導体と金属を接合させたとき、半導体部分に、金属の仕事関数と半導体の持つ電子親和力の差が、障壁として現れる場合がある。このような電気的な崖を、その電気的崖のモデルを提唱したW. Schottkyに因んで呼ばれている。
多重量子井戸
異なるバンドギャップを持つ2種以上の材料を用いて、バンドギャップの小さい材料の薄膜(nmオーダー)を、大きい材料の薄膜でサンドイッチにした構造を量子井戸構造と呼びこれを複数層繰り返した構造を言う。電子の閉じこめによる発光効率の改善などによる量子井戸レーザーへの応用が行われている。
関連リンク
- iCeMSウェブページ
http://www.icems.kyoto-u.ac.jp/j/pr/2011/12/21-nr.html - 論文は以下に掲載されております。
http://dx.doi.org/10.1038/ncomms1598
【書誌情報】
“Extraordinary carrier multiplication gated by a picosecond electric field pulse”
H. Hirori, K. Shinokita, M. Shirai, S. Tani, Y. Kadoya & K. Tanaka
Nature Communications, DOI: 10.1038/ncomms1598
- 京都新聞(1月10日 7面)および日刊工業新聞(2月15日 25面)に掲載されました。