多剤排出トランスポーターの機能を分子シミュレーションで初解明 -多剤耐性化のタンパク質AcrBの3つの部分構造が順序良く機能する仮説を実証-

多剤排出トランスポーターの機能を分子シミュレーションで初解明 -多剤耐性化のタンパク質AcrBの3つの部分構造が順序良く機能する仮説を実証-

2010年11月17日
京都大学
独立行政法人理化学研究所

 京都大学(松本紘 総長)と独立行政法人理化学研究所(野依良治 理事長)は、社会問題となっている多剤耐性菌の原因の一つである多剤排出トランスポーターAcrBの「機能的回転機構」の仮説を、初めて計算機シミュレーションによって実証しました。独自に開発した数原子をまとめて表現する粗視化分子シミュレーション技法を駆使し、生体膜中のAcrBにH+(プロトン)が結合して引き起こされる薬剤解離過程が、機能的回転のボトルネックになっていることを示しました。高田彰二 理学研究科准教授(理化学研究所情報基盤センター客員研究員)、姚新秋 理学研究科研究員らと、村上聡 東京工業大学教授による共同研究の成果です。

 多剤耐性は、院内感染やがん化学治療など重大な社会問題を引き起こしています。緑膿菌などの多剤耐性化は、多剤排出トランスポーターの発現量の増加が主な原因と考えられおり、この多剤排出トランスポーターの構造機能の解析が、多剤耐性化問題を克服するための大きな課題となっています。大腸菌の多剤排出トランスポーターであるAcrBは、2002年と2006年に村上聡教授らのグループがX線結晶構造解析によって構造を解明し、それに基づいた作動原理として「機能的回転機構」を提唱していました。しかし検証実験が難しく、仮説の実証ができていませんでした。

 研究グループは、独自に開発した高速に大きな分子(分子複合体)を扱うことができる粗視化分子シミュレーション技法を使って、AcrBの薬剤排出過程を計算機上で再現し、機能的回転機構を実証しました。さらに、その機構で、生体膜中のAcrBにプロトンが結合することに起因する薬剤の解離過程が、機能的回転のボトルネックになっていることを示唆しました。次世代スパコン「京」が稼働する2012年を前に、分子動力学シミュレーションに粗視化技法を適用して研究開発を進め、この成果に結実しました。今後、次世代スパコン「京」により、さらなる高精度計算が可能になり、多剤耐性化問題克服に向けた研究を加速させていきます。

 本研究成果の一部は、次世代スーパーコンピュータ「京」の有効活用を目指した文部科学省の「次世代生命体統合シミュレーションソフトウエアの研究開発」プロジェクトの一環で得られました。英国の科学雑誌「Nature Communications」オンライン版(11月16日付け:日本時間11月17日)に掲載されます。

1.背景

 薬が効かなくなるという私たちにとって致命的な現象である「薬剤耐性化」は、現代医療の現場で大きな問題になっています。特に、ほとんどの抗生物質に対して耐性をもつようになった細菌、すなわち多剤耐性菌は、昨今のマスコミでも社会問題の一つとして取りざたされています。この多剤耐性化にはいくつかの異なる機構があります。院内感染で大きな問題となった緑膿菌の場合は、細菌の膜に存在する多剤排出トランスポーターとよばれるタンパク質の発現量が増え、抗生物質を菌外に排出してしまうことが主な原因となっています。

 RND型の多剤排出トランスポーターは、細胞内外の酸性度(pH)の違いを利用してH+(プロトン)が移動することによって駆動され、その力を利用して薬剤を排出します。大腸菌由来のRND型多剤排出トランスポーター「AcrB」の原子構造は、2002年および2006年に大阪大学の村上聡准教授(現、東京工業大学教授)らがX線結晶構造解析を使って解明しました。2002年の構造解析では、AcrBは、同じ分子が3つ集合した3回対称性をもつ3量体をとることが明らかになり、2006年の構造解析では、それぞれの分子が膜のプロトン輸送と薬剤排出の機能をもち、AcrB3量体は非対称な構造をしていることが分かりました。非対称なAcrB3量体構造の1つ目の分子では細胞内に向いた薬剤の入り口と思われる経路が開き(取込型)、2つ目の分子では薬剤が中央に結合し(結合型)、3つ目の分子では細胞外に向いた薬剤排出口が開いていました(排出型)。村上らは、AcrB3量体の3つの分子がこの3つの機能状態を順に経由することで薬剤を排出していると考えました。3つの分子が各々の状態を一段階変えていくごとに、構造全体ではちょうど120度回転したように見えることから、この薬剤排出のメカニズムを「機能的回転機構」と名付けました。しかし実験系による検証実験が難しく、この仮説の実証はできていませんでした。

2.研究手法と成果

 研究グループは、次世代スーパーコンピュータ「京」の有効活用を目指した文部科学省の「次世代生命体統合シミュレーションソフトウエアの研究開発」プロジェクトの一環で、生体分子の粗視化分子シミュレーション技法の開発を独自に進めてきました。この方法は、従来の標準的分子シミュレーション法に比べ、はるかに大きな分子(細胞スケールまでの分子複合体)の長時間にわたるシミュレーションを可能とするものです。本研究では、この新しい技法を適用して、多剤排出トランスポーターAcrBの構造機能シミュレーションを行いました。

(1)AcrB3量体の機能的回転と薬剤排出

 非対称なAcrB3量体構造のうち、薬剤が結合しているAcrB分子(図1左の青)に細胞外からプロトンが結合すると、薬剤が外側に排出され(図1中央)、それと前後して、ほかの2つのAcrB分子も状態を変化させて機能的回転が起こりました(図1右)。逆に、このプロトンが解離する過程からは、薬剤の排出も機能的回転も起こりませんでした。これは、プロトンが結合することに起因する薬剤の解離過程が、機能的回転のボトルネックになっていることを示しています。プロトン結合をきっかけに機能的回転が起こり、薬剤排出が生じうることが示されました。

  

  1. 図1 プロトン結合に起因したAcrBの薬剤排出と機能的回転
    AcrB3量体は非対称な構造をしている。1つ目の分子では細胞内に向いた薬剤の入り口と思われる経路が開き(左図の緑:取込型)、2つ目の分子では薬剤が中央に結合し(左図の青:結合型)、3つ目の分子では外側に向いた薬剤排出口が開いていた(左図の赤:排出型)。薬剤が結合している2つ目の分子に細胞外からプロトンが結合すると(左図の破線矢印)、この分子の薬剤は細胞外に排出され(中央図)、ほかの2つの分子も状態を変化させる(右図)。この時の3量体の構造状態は、最初のもの(左図)からちょうど1段階ずつ変化し、1つ目の分子が結合型、2つ目の分子が排出型、3つ目の分子が取込型になって、120度回転したことになる(右図)。120度回転につき、薬剤1分子が外側に運ばれる。

(2)AcrB3量体の休止状態

 非対称なAcrB3量体構造から薬剤を取り除くと、3回対称性をもつ構造が安定になることが分かりました。この構造は2002年の構造解析で見いだされたものに近いものです。すなわち2006年の構造解析で得た構造はAcrB3量体が薬剤を排出している途中のスナップショットで、2002年の構造は薬剤がないときの休止状態にそれぞれ対応していると考えられます。

3.今後の期待

 今回の研究は、次世代スパコン「京」が稼働する2012年を前に、粗視化技術を取り込んだ分子シミュレーションの研究開発を進めたものです。文部科学省が進める「次世代生命体統合シミュレーションソフトウエアの研究開発」プロジェクトでは、より高精度なシミュレーション研究も同時に進行しています。今後、次世代スパコン「京」により高精度計算が可能になると、原子レベルでの詳細な動きが解明できると期待できます。これは、多剤排出トランスポーターによって排出されない薬剤、あるいは同トランスポーターの働きを止める薬剤の開発の基礎に貢献するものです。

関連リンク

      
  • 京都新聞(11月17日 24面)、日刊工業新聞(11月22日 16面)および日経産業新聞(11月17日 7面)に掲載されました。