第27代総長 湊 長博

京都大学から修士の学位を授与される2,201名の皆さん、修士(専門職)の学位を授与される171名の皆さん、法務博士(専門職)の学位を授与される141名の皆さん、博士の学位を授与される556名の皆さん、まことにおめでとうございます。
学位を授与される皆さんの中には、494名の留学生も含まれています。累計すると、京都大学が授与した修士号は95,045名、修士号(専門職)は2,863名、法務博士号(専門職)は3,055名、博士号は49,509名となります。ご列席の理事、関係部局長、プログラムコーディネーターをはじめとする京都大学の教職員一同、皆さんの学位取得を心よりお祝い申し上げます。
本日より皆さんは、各々の学術領域における京都大学の学位保持者となります。かつて我が国では、学位は文部大臣が授与するものでした。皆さんは野口英世という医学者の名前をご存知だと思います。彼は1876年(明治9年)の生まれで、正式に大学を卒業したという学歴はないのですが、1911年(明治44年)34歳の時に当時の京都帝国大学から医学博士を授与されています。同年の官報8302号には、文部大臣による「学位授与」の告示があります。
「右論文ヲ提出シテ学位ヲ請求シ、京都帝国大学京都医科大学教授会ニ於テ、其大学院ニ入リ定規ノ試験ヲ経タル者ト同等以上ノ学力アリト認メタリ、仍テ明治三十一年勅令第三百四十四号学位令第二条ニ依リ茲ニ医学博士ノ学位ヲ授ク」
この告示から、当時の学位授与者は文部大臣であったことがわかります。当時、野口英世はニューヨークのロックフェラー研究所の研究員であり、感染症病原体についての華々しい研究で世界的な脚光を浴びていました。博士論文審査の要旨も官報に掲載されていますが、なぜ京都帝国大学に学位論文を提出したのかはよくわかりません。その学位請求の英語論文は、現在も本学医学部資料室に残されており、蛇毒の免疫学的特性に関する研究についてで、当時の免疫学の水準でもきわめて優れた内容だと思います。
我が国で、大学院が現在の形で制度化されたのは、戦後の学校教育法制定によるものであり、1953年(昭和28年)に国立大学に新制大学院が設置されました。これに伴い、学位は各大学の大学院で、特定の学術領域における業績および学識に基づく審査を受け、大学が自らの責任において授与する制度になったわけです。従って皆さんの学位は、京都大学の学位であり、それに専門の学術領域を括弧書きで付記する形で表記されています。これは米国でも同様です。
皆さんが学位保持者として、社会のどのような場所でどのように活躍をされていくかということは、近年とみに、政官界や実業界を含めて日本社会全体で大きな関心事になっています。その理由のひとつには、我が国における人口当たりの学位保持人材の割合が、OECD加盟の先進諸国できわだって低いという事実があります。文部科学省の「科学技術指標」によれば、2021年度の人口100万人あたりの我が国の学士号取得者の数は4,649人であり、米国、英国、ドイツ、フランスなどに比べて大きな遜色はありませんが、修士号や博士号の学位取得者となるとその数は非常に少ないことがわかります。例えば2021年度の我が国の修士号取得者数は人口100万人当たり590人であり、英国の5,485人、ドイツの2,658人、あるいは米国の2,649人と比べて極端に少ないですし、博士号取得者数でも日本は126人であり、英国の342 人、ドイツの330人などと比べて非常に少ない数値となっています。その結果として我が国においては、政界、官界、実業界、その他マスコミなど各界のリーダーにおける学位保持者の割合が、他の先進諸国に比べてきわめて低いという状況になっています。現在、政府や経済団体が問題にしているのはまさにこの点です。つまり我が国においては学位保持者が社会の幅広い領域で広く活躍し貢献するということからはほど遠い状況にあります。
この原因については様々な議論があります。学卒一括採用での長期雇用を前提とした日本的雇用システムにおいて、日本の大学院教育は研究者の再生産に集中してきたとも言えます。つまり我が国の大学院は特定の学術領域に特化したアカデミックな研究指向性がきわめて強く、学位、特に博士号保持者のキャリアパスとしては、主に大学や研究機関などアカデミアにおける教員や研究員が想定されてきたことにあるようです。この背景には、これまでの我が国の職業的研究者へのキャリアパスの特殊性もあるように思われます。
現代の大学院のシステムは、19世紀後半の米国で、学士課程を修了した人材に対して、より高度な学術や科学の教育によって学位を与える教育課程として始められたものです。しかし、その学位は必ずしも職業的研究者へのキャリアを意味するわけではありません。職業的研究者としてのキャリアパスを進むためには、学位取得者はその後数年間のポストドクトラル・フェローという独立した職業的研究者(Principal Investigator, PI)になるための訓練期間を経て、大学や研究機関の教員や研究員になっていくのが一般的です。我が国の学位取得者の多くが欧米の大学や研究所でポストドクトラル・フェローとして研究生活を経験したこともあり、我が国の中ではこのポストドクトラル・フェローの制度が根付くことが長らくありませんでした。典型的には、ポストドクトラル・フェローの雇用費が、基幹的な公的研究資金においては認められない状況が続きました。このことが、我が国における特に博士課程の学位研究が、しばしばそのまま職業的研究者の研究へ連動するものとイメージされやすいことの背景にあるのかもしれません。他方で、欧米においては、職業的研究者は学位取得者のキャリアパスの一つではありますが、それはほんの一部に過ぎません。20世紀以降の欧米においては、大学院の課程を修了した学位保持者が、アカデミアのみならず、中央や地方の政界・官界、実業界、マスコミ、NGOやシンクタンクなど社会の幅広い領域で指導的な役割を担ってきました。例えば近年の経済産業省の資料によれば、米国の企業の経営者に占める学位保持者の割合は70%近くであるのに対して、我が国ではその割合は20%にも満たないとされています。そこで今、国をあげて学位保持者がアカデミア以外の多様な幅広い領域においても、存分に活躍出来るような環境を作り出すべきであるという機運が非常に高まってきているわけです。
皆さんは大学院で、自らの研究課題を定め、指導教員やその他多くの研究室の仲間や先輩たちと議論を重ね課題解決のための計画を作り、実際に研究を遂行する中で必要な知識や技術を習得し、最終的に自らの責任において学位論文をまとめ上げられたわけです。社会が皆さんに期待するのは、学位研究の成果である学位論文の中身もさることながら、むしろ皆さんがその学位論文作成の過程で身をもって経験し習得されてきた、こうしたプロセスの総体です。それは皆さんが実社会に出られて、様々な状況で遭遇しあるいは要請される新しい課題解決のために、応用可能な素養と能力の総体であり、トランスファラブル・スキルとも呼ばれるものです。
この「移転可能な獲得技能」には大きく3つの側面があるとされています。まずは、課題を見出し解決に向けて実行する「対課題スキル」。次に、課題に取り組むために自主性を組織していく「対自己スキル」。そして、実際に成果を出すためにチームや人間関係を構築する「対人スキル」です。ますます多様化し複雑化を増してきている現代社会おいて、社会が抱える様々な課題解決に向けて、このようなトランスファラブル・スキルを身につけた人材が、これまで以上に必要とされてきていることは間違いないでしょう。
近年、大規模言語モデルである生成AIが急速に普及し、教育や研究の現場でも大きな威力を発揮しつつあります。他方で、かつて経済人類学者であったマイケル・ポランニー(Michael Polanyi)は、人間がその経験のなかで獲得する知識の中には「言葉にできない知識」があることを指摘し、これを「暗黙知(tacit knowledge)」と表現しました。ポランニーの言う「暗黙知」とは、「言葉にできない知識」の内容そのものではなく、人間が多様な事項を無意識のうちにつなぎ合わせ意味を作り上げていくプロセス、つまり知を獲得していく「方法」のことを指しています。社会学者・マックス・ウェーバー(Max Weber)流に言えば、「思いつき」、つまり「ひらめき」とも言えるでしょう。ウェーバーは、『職業としての学問』というあの有名な講演の中で、次のようにも述べています。
“実験室でもまた工場でも、何か有意義な結果を出すためには、いつもある―しかもその場に適した―思いつきを必要とするのである。とはいえ、この思いつきというものは、無理に得ようとしてもだめなものである。(中略)一般に思いつきというものは、人が精出して仕事をしているときにかぎってあらわれる。もちろん、いつもきまってというわけではないが。”
この言語化されない暗黙知やひらめきは、生成AIが機械学習をする大量のテキストデータベースには含まれていないかもしれません。しかし、実践と経験の中で蓄えられる暗黙知やひらめきは、トランスファラブル・スキルにきっと含まれるはずです。私自身の経験から、そう断言したいと思います。
繰り返しますが、ようやく我が国でも、官民をあげて学位取得者の広範な社会進出を推進するための積極的な対策に乗り出してきたところです。我が国の大学における学位は十分にグローバル・スタンダードを満たすものであり、学位取得者がアカデミアのみならず官界や国内外の企業など広く社会へ進出し活躍されることが、社会の発展と国際化の重要な鍵であることは疑いを入れません。皆さんがこれまで、時間をかけて蓄積されてきた「実践的な知」は、社会の様々な領域で大きな力となることでしょう。これから皆さんは、さらなる研究の世界や実社会へと新たな旅立ちをされますが、各々の持ち場で、直面する様々な課題に果敢に挑戦されていくことを期待しています。皆さんが、真の意味での知的エリートとして社会からゆるぎない承認と尊敬を得られる活躍をされていくことによって、我が国における学位人材の社会的評価が一層向上していくことを心から祈念し、私からのお祝いの言葉にかえさせていただきます。
本日はまことにおめでとうございます。
( “ ” は、『職業としての学問』(マックス・ウェーバー 著、尾高邦雄 訳、岩波文庫(岩波書店)、1980年 )より引用)