令和5年度学部入学式 式辞(2023年4月7日)

第27代総長 湊 長博

湊総長 本日、京都大学に入学された2,921名の皆さん、入学まことにおめでとうございます。ご来賓の山極 壽一 前総長、ご列席の理事、関係部局長をはじめとする京都大学の教職員とともに、皆さんの入学を心よりお祝い申し上げます。これまでの皆さんのご努力に敬意を表しますとともに、皆さんを支えてこられましたご家族や関係者の方々にお祝い申し上げます。

 世界が新型コロナウイルス感染症のパンデミックに見舞われてすでに約3年に及び、皆さんの多くは高校時代の大半をこの感染症の幾度もの流行の中で過ごされてきました。そのような困難な状況の中でも、皆さんは頑張って勉強に励まれ、晴れて今日の入学式を迎えられました。その喜びもひとしおであると思います。これには、皆さん自身の頑張りもさることながら、ご家族や先生方の強い支えや励ましの力も非常に大きかったはずであり、是非そのことを心に刻んでおいてください。感染症の拡大もようやく小康状態となり、3年ぶりに、各入学生におひとりという限定ではあるものの、ご家族や親しい方々もお招きして直接対面で入学式を執り行うことができることを、教職員一同本当に喜ばしく思っています。

 さて、これから皆さんは、京都大学の学生となります。これまで皆さんは、大学入学を大きな目標として頑張ってこられました。それは皆さんの人生のステージにおけるひとつの大事なプロセスであったとは思いますが、これから皆さんは、一人ひとりが試行錯誤を重ねながら自らの目標を定め、それに向かって進んでいくという、新しいステージに入っていくことになります。その旅立ちに当たって、今日皆さんに、「自分をどのようにして発見していくか」、そしてその中で「自分をいかに表現して、実現していくか」ということについてお話しをしたいと思います。

 自らの本来の特性や適性を認識するということ、つまり「自己の発見」は、必ずしも容易なことではありません。その多くは、まだ皆さんの中に潜んでいて、皆さん自身によってすらまだ認識されていないかもしれないからです。それは自然に生じるというよりは、しばしば様々な新しい「出会い」を契機として、実感されるものです。「出会い」とは、新しい人かもしれませんし、特定の出来事や、場合によっては書物との出会いかもしれません。新たな「出会い」によって皆さんは、これまで自分でも意識していなかった、あるいは思いもかけなかった自分の特長や能力を発見することになるはずです。したがって大切なのは、皆さんが自らの精神と感性を、できる限りそれまでの思い込みや慣習から自由に解放し、新しい環境や変化する状況を恐れずに積極的に向かっていくことだと思います。

 私が特にお薦めしたいのは、できるだけ若い時代に海外での生活を経験するということです。コロナ禍にあった過去3年間は別としても、近年、学生の海外への留学希望者の減少傾向が強くなっていると言われています。文部科学省の調査によりますと、その主な理由は、まず経済的に困難な問題があるから、次に自分のやりたいことや興味分野に必要がないから、となっています。経済的な問題に関しては、本学では様々な留学支援の仕組みを準備しており、皆さんが海外留学に挑戦しやすくなるように努めています。第二の理由については、今日の学生が海外留学について少し誤解している部分があるのではないかと思います。私が皆さんに海外留学を薦めるのは、必ずしも新しい情報や多様な知識の獲得のためだけではありません。インターネットが発達した今日、私達は世界の様々な場所で起こっていることをリアルタイムで知ることができますし、海外の人たちとの交流もオンライン・システムで容易に行うことができます。しかし、異なった文化の中に実際に身を置き一定期間生活をするということは、単なる情報のアクセスのレベルではなく異文化の持続的な体験として、皆さんの考え方や生き方に大きなインパクトを与えうるものであると思います。私自身、一冊の英語の研究書との出会いを契機として、20歳代の後半をアメリカで過ごしました。そこで出会った、考え方も生活様式も異なる世界各国からの若者達との切磋琢磨の研究生活は、その後の私の人生の軌道に決定的な影響を与えました。そのうちの何人かとは、40年以上たった今でも、深い友情で結ばれています。あの書物との出会いがなければ、その後の私の人生も随分と違ったものになっていただろうと思います。

 もうひとつお話ししておきたいのは、「自分をいかに表現して、実現していくか」ということです。特にその最も重要な手段の一つである「文章を書く」ことの効用についてです。今日、人と人とのコミュニケーションや個人的感情の表出の多くは、SNSなどのネット空間を介して、できるだけ短い文章や即席の画像で瞬時に行われるようになっています。ここで重視されるのはスピードです。しかし「文章を書く」ということには、単に情報を伝達し、感情を表現するということに留まらず、自分の思考や心理を見つめ、それが他者にも理解可能なものかどうかを検証するというプロセスが含まれます。この検証というプロセスは、学問においても非常に重要で、そのためにはできる限り正確な知識と十分な内省が必要とされます。皆さんはsearchとresearchの違いをご存知だろうと思います。英語の接頭辞reには「繰り返し」や「再び」の意味があります。つまり、情報を集めるだけならパソコンのサーチ・エンジンで検索するだけで十分かもしれません。研究(リサーチ)には、サーチして得た情報を繰り返し検証するという意味があります。私達が日々アクセスする膨大な情報の正確さを検証することは決して容易ではありませんし、私達の日々の思考や心理もその時々の外的状況によって大きな影響を受けます。こうした状況の中で「文章を書く」ということは、時間をかけてじっくりとこれらを検証しながら、できる限り正確な知識に基づいて、最も自分らしい思考や感性を作り上げ表現していくプロセスであると言えるでしょう。それこそが研究(リサーチ)への第一歩であり、それこそが皆さんの自己実現へつながる道であると私は確信します。

 最近ではいわゆる人工頭脳(AI)により、一定の与えられた課題に対して、コンピュータが膨大なデータベースをもとに、短時間に要領よくまとめたレポートまで書いてくれるというChatGPTなどの生成AI、自動文章作成ソフトが話題になっています。アメリカの大学では既に、学生がChatGPTを使って課題レポートの作成を行っている事例も報告されており、これからの大学教育に大きなインパクトを与えるのではないかと懸念されています。しかし他方で、AIによる文章作成にはいくつもの問題点も指摘されています。まず、明らかな誤情報が含まれるリスクです。これは無作為のデータベースに基づくサーチである限り、避けられないことでしょう。また、特定の論旨について、その根拠となる資料を正確に引用できないことも指摘されています。これは、サーチのみでリサーチという検証を欠いているためですが、学術レポートとしては、致命的な問題点であり、主要な国際学術誌は、ChatGPTを論文の共著主体として認めることはあり得ないと言っています。少なくとも現況では、AIによる自動文章作成には、先ほど述べた自ら「文章を書く」ということに伴う重要な検証プロセスが欠けていると思います。

 自分で「文章を書く」ことのもうひとつの重要な意味は、自分の感情を他者に対して最大限に表現できるということです。これから皆さんは、様々な領域で学術と科学の世界に入っていかれますが、そこでも文章を書くということは極めて重要な要素になります。我が国の免疫学研究の先駆者の一人であり、文章の達人とも言われた多田富雄先生と、遺伝学者の柳澤桂子先生との感動的な往復書簡、『露の身ながら――往復書簡いのちへの対話』という本の中に次の言葉があります。“(科学者は)自分が感動を持って発見したことを、同じ感動で人に伝えることを心がけなければならない。そうでなくて、どうしていい仕事だと認められるでしょう。”私も全くそのとおりだと思います。しっかりとした文章を書くということは、非常にエネルギーを要する仕事ですが、それは皆さんの精神力と思考力を鍛えてくれます。同じ往復書簡の中で多田富雄先生は、こうも書いておられます。“利根川進さんが、初めて遺伝子再構成の発見をコールドスプリングハーバー・シンポジウムで発表したときの論文を思い出します。明晰さ、ロジック、正確さ、きちんとした構成。科学論文はこうあるべきと感心したことがあります。ホームランを打ったバッターのように、感動が行間にあふれていました。”この利根川進さんというのは、本学理学部の卒業生で、当時スイスのバーゼルの研究所で抗体遺伝子の再構成という画期的な発見をされ、1987年度のノーベル生理学・医学賞を受賞された利根川先生のことです。私は、利根川先生の文章を読んで生命科学の研究の世界に飛び込んだという気鋭の若手研究者を、何人も知っています。

 先月3日、我が国を代表する小説家の大江健三郎さんがお亡くなりになりました。私は学生の頃、大江健三郎さんの小説やエッセイを読みふけっていましたが、全く新しい独特な文体に感銘を受けたことを、今でもよく覚えています。これこそが文章のもつ効力であり、データベース上でサーチされた情報を巧みに構成したAIによる文章とは、最も違うところであると思います。皆さんには、時間をかけてじっくりと自分の文章を練り上げるという習慣を、是非身に付けていただきたいと思います。それは将来、皆さんがどのような世界へ進まれるにせよ、きっと大いに役立つことでしょうし、何よりも皆さんの手元に形として残ります。

 今日から皆さんは、京大生として新しいスタートを切られます。臆することなく新しい環境に飛び込み、かけがえのない人たちと出会い、その中で思いもかけぬ自己発見をしながら伸び伸びと成長していかれることを、心から期待をしています。

 本日は、まことにおめでとうございます。

(” ”は、『露の身ながら――往復書簡いのちへの対話』(多田富雄、柳沢桂子著、集英社、2004年)より引用)