第27代総長 湊 長博
本日、京都大学から修士の学位を授与される92名の皆さん、修士(専門職)の学位を授与される4名の皆さん、博士の学位を授与される224名の皆さん、誠におめでとうございます。
学位を授与される皆さんの中には、164名の留学生が含まれています。累計すると、京都大学が授与した修士号は88,248名、修士号(専門職)は2,356名、法務博士号(専門職)は2,649名、博士号は47,433名となります。教職員一同とともに、皆さんの学位取得を心よりお祝い申し上げます。
皆さんは、大学院における学位研究の重要な期間の大半を、3年近くに及ぶ新型コロナウイルス感染症のパンデミックの中で過ごされてきました。この大学院での学術研究活動が大きな制約を受けざるをえないという困難な状況下にもかかわらず、皆さんが各自の学位研究を貫徹、修了され、今日の日を迎えられたことに対し、大いに敬意を表すると共に心からお祝いを申しあげます。本日から皆さんは、正式に京都大学大学院の学位保持者ということになります。これから皆さんは、引き続きアカデミアの世界で、あるいは実社会において、新たな道を歩まれるわけであり、今回の学位の授与は到達点であると同時に、新しい出発点であるということができるでしょう。
1897年に設置された京都大学は、本年創立125周年を迎えました。この間京都大学は大きな変化を遂げてきましたが、とくに近年変化が大きかったのは大学院です。25年前、創立100周年当時の京都大学には、11の大学院研究科があり、大学院生数は約6,900名でしたが、現在大学院研究科は18にのぼり、大学院生数は入学準備の研究生を含めると約10,000名へと大きく増加しました。これに応じて常勤の教職員総数も7,500名に迫り、博士研究員(Postdoctral Researcher)に至っては、その総数は約850名に上ります。この四半世紀の間に京都大学は、明らかに「研究大学」としての特性を強めてきたことがわかります。本学からは11名というアジアでも最多のノーベル賞受賞者が生まれていますが、そのうちの7名の方が直近の四半世紀に受賞されているということも、この傾向を裏書きしていると思います。
さる6月18日には、創立125周年記念行事の一環として、本学ゆかりの6名のノーベル賞受賞者による記念フォーラムが行われました。これらの方々はその学術分野こそ、物理学、化学、医学・生理学と全く異なっていますが、セッションの中で私は、三つの大きな共通点を感じました。ひとつは、その科学と思想の基にある強靭な独創性への志向です。それは決して時代の流行を追いかけるのではなく、未知の領域や課題に果敢に挑んでいくという強い姿勢と言えるかも知れません。本庶佑博士はよく、トレンドは乗るものではなく作り出していくものであると言われます。二つ目の共通点は、その独創性を支える自由な精神です。野依良治博士は、優れた研究者は場所にこだわらない、本当にやりたい研究ができるところなら世界中どこへでも出かけていくものだと言われます。私自身、現役時代にはアメリカ、関東、関西と研究室を異動しましたが、それが自身の研究の幅を広げる大きな原動力になったと思っています。そして最後の共通点は、真に独創的な研究はかならずや社会的な価値の創造につながるものであるという強い信念です。これらノーベル賞受賞者の独創性の基礎にあるのは決して独断的なものではなく、むしろ普遍的なものです。その独創的な研究成果は、やがて素粒子学、有機化学、分子生物学などの研究領域に新しい展開をもたらし、さらには様々な難病に対する新しい治療法やエネルギー変革のための中心的技術開発につながってきています。私たちは、これらの優れた科学者の並外れた独創性の背後に、ゆるがない普遍性への確信を見ることができると思います。
さて、「学位を与える教育課程としての大学院」という教育制度は、19世紀後半にアメリカのジョンズ・ホプキンス大学に始まり、その後この新しい制度は急速に全米の主要大学に広がりました。20世紀以降、アメリカが世界の学術・研究で主導的役割を果たしてきた背景には、世界各地から集まった優秀な大学院生が最先端の研究に従事してきたという事実があったと言われています。アメリカや欧州には、高い競争力を誇る大学院において教育を受けたthe Best and the Brightest「最良の、最も聡明な人々」が、アカデミアのみならず政治や経済など社会の広範な領域で中心的・指導的役割を担ってきたという歴史があります。そのため、学位がパワーエリートの必要条件と考えられてきたのは自然であったのかもしれません。他方で最近ハーバード大学のマイケル・サンデル(Michael Sandel)教授は、その著書「能力の専制(The Tyranny of Merit)」の中で、このような高学歴者に浸透している過剰な能力主義Meritocracyについて論じ、これが大多数の市民へのエンパシーの喪失や公共益への貢献という使命感の希薄化をもたらしているのではないかという懸念を示しています。同書は「実力も運のうち―能力主義は正義か?」のタイトルで翻訳されているので、読まれた方もおありでしょう。学歴は能力の証とみなされますが、同書によれば、ハーバード大学の学生の3分の2は所得で上位5分の1に当たる家庭の出身だとされています。しかし、高学歴者の多くは自分が入学できたのは恵まれた環境よりも、自らの努力と勤勉さのおかげだと思っているというわけです。サンデル教授は、こうした能力主義社会を正義にかなう共同体へと変えることを訴え、次のように主張しています。「我々が人間として最も充実するのは、共通善Common goodに貢献し、その貢献によって同胞である市民から評価される時であり、人々から必要とされることである」。
このような光と影を孕みつつも、欧米諸国における学位保持者の数は、今日でも毎年増加してきています。ただ、わが国では少し事情が異なっています。今日我が国の学位保持者の数は、人口比で見てもOECD加盟先進諸国の中で極めて少なく、しかもそれは欧米諸国とは逆に近年減少傾向を示しているのが現状です。本学も例外ではありません。文部科学省も深刻な危機感を持って受けとめており、最近奨学金を始めさまざまな対策を打ち出してきているところです。大学院生数が減少した要因については多くの指摘がなされていますが、端的に言えば、我が国では学位保持者がその資質と能力を遺憾なく発揮しうるような社会的環境が必ずしもまだ十全に醸成されて来ていないということは否めないでしょう。学位保持者に期待される資質には、その専門とする学術領域を問わず共通した能力があると思います。それは学位研究のなかで培われてきた学識と論理的な研究遂行のリテラシーを基礎にして、様々な課題に創造的に立ち向かう強い心構えでしょう。
今日私たちは、気候変動と大規模災害、感染症パンデミック、人口・食料問題、貧困と社会格差など、数多くのグローバルな課題に直面しています。皆さんの真価は、様々な学術の専門領域で培われてきた学識や科学的リテラシーを駆使して、これから皆さんがどのような働きをされていくかにかかっていると言えます。たとえ遠い道のりであっても、皆さんがその確固とした学識と創造的な思考力によって人々と社会に貢献していただき「同胞市民から必要とされる」ことによって、我が国における学位保持者の位置づけもより確固としたものになってくるものと信じています。
これから皆さんは、社会の様々な任地へ向けて旅立ちをされます。繰り返しますが、このたびの学位の授与は、到達点ではなく新しい出発点です。新しい世界で、これまでの修練で培われた力を遺憾なく発揮して活躍されることを、心から期待し、応援して、お祝いの言葉に代えたいと思います。
本日はまことにおめでとうございます。