令和4年度卒業式 式辞

第27代総長 湊 長博

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京都大学の様々な学部での学士課程を修了し、今日晴れて卒業式を迎えられる2,808名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご来賓の井村 裕夫 元総長、ご列席の理事、関係部局長をはじめとする京都大学の教職員一同および在校生を代表して、心からお祝い申し上げます。また、今日の卒業の日まで、皆さんを支え励ましてこられたご家族やご親族の方々もさぞやお喜びのことと思います。卒業生の皆さんに代わり、心から感謝しお祝いを申し上げたいと思います。1900年に第1回の卒業式を迎えて以来、123年にわたる京都大学の卒業生の数は、皆さんを含めて223,071名になりました。

新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から自粛を続けてまいりましたが、感染症もようやく小康状態となり、3年ぶりに、各卒業生にお一人という限定ではあるものの、ご家族や親しい方々もお招きすることができました。本当に良かったと思います。

皆さんの多くは西暦2000年以降、すなわち21世紀に生まれた人達です。最近のロンドン・ビジネススクール経営学教授のリンダ・グラットンとアンドリュー・スコットによる“The 100-Year Life:Living and Working in an Age of Longevity”によれば、少なくとも我が国を含む先進諸国においては、西暦2000年以降に生まれた人達の半数以上は、100歳を超えて生きることになるだろうと書かれています。皆さんのご両親は20世紀後半に生まれ、世紀をまたいで生きてこられてきたわけですけれども、皆さんは丸々21世紀という世紀を生きていくことになります。その21世紀も最初の四半世紀をほぼ過ぎたわけですけれども、21世紀はこれから一体どのような世紀になるのでしょうか。国連経済社会局によれば、地球上の人口は昨年末に遂に80億人に達し、それは2080年代には約104億人のピークを迎えると推計されています。他方で私達人類は今、地球の気候変動とそれに伴う大きな地球環境の変化に直面しており、その進行は、大規模災害や食料・エネルギー問題を含め、社会・政治・経済のすべてにわたって、21世紀全体に及ぶグローバルな課題を突きつけてくることになるかもしれません。

100歳までの人生を生きていくということは、もちろん皆さんにとっては随分先の話であり、あまり現実味はないかもしれません。しかし、それは皆さんのこれからのライフ・ステージにとって、大きな変化をもたらすことになるでしょう。これまで私達のライフ・ステージは、大きく3つのステージ、つまり教育期(Education)、就労期(Career)、そして退職後(Retirement)に分けられてきました。そして今皆さんの多くは、この人生の第一のステージをまさに終えようとしています。もちろんこれから大学院へ進学される皆さんも多くおられますけれども、大学院は既にアカデミアを含むキャリア形成の一部であり、次のステップとみなすことも可能です。これまで我が国の社会では、このライフ・ステージの移行は、かなり厳格に行われてきました。しかし、人生100年となると様相はかなり変わってくることになるでしょう。先に述べた“The 100-Year Life”の中でグラットン教授とスコット教授は、21世紀を生きる若者たちの第二のステージ、つまり就労期は、単に延長されるというよりは、マルチ・ステージ化されることになるだろうと述べています。つまり、一旦就労した後でも再度一定の教育期に戻り新しい仕事に就いていくということが、次第に普通になってくるのではないかというわけです。

事実、海外、特にアメリカでは、こうしたいわゆるリカレント教育はかなり普通になりつつあるようです。数年前に私は、ある知的財産つまり特許ですが、これに関わる国際裁判で、証人としてアメリカの法廷に出廷し証言した経験があります。その際に、アメリカの弁護士事務所の知財専門の弁護士達とずいぶん打ち合わせをする機会がありました。その案件は生命科学に関わることでしたが、弁護士たちが生命科学についての専門的な知識が非常に豊富で理解力に優れていることにたいそう驚きました。そこで、法律の専門家なのになぜそんなに生命科学の知識を持っているのか聞いてみたところ、彼らは、大学で生命科学を学び大学院で学位を取得し、さらにそのうちの一人は博士研究員まで務めた後に、あらためてロー・スクールへ入り法律の勉強をして、科学専門の弁護士になったということでした。さらに、そのように大きく人生の進路を途中で変更したことについてどう思っているのかを尋ねると、「全く抵抗は無かった。自分はようやく本当にやりたいことを見つけたと満足している。自分達のように人生のキャリアを途中で大きく変更していくことは、アメリカでは決してめずらしいことではない」という答えでした。

一般にある選択(チョイス)を行うということは他の選択肢(オプション)を消し去るということでもありますから、適切なチョイスを行うためにはオプションは多いほどよいということになるでしょう。皆さんの前にある進路(コース)は、決して一本ではありません。生き方のオプションを広げる最も効果的な道は新たな環境に自分をさらすということ、つまり意識して新たな出会いや可能性への契機(チャンス)を作り出すことだと私は思います。その意味では、世界に目を向けて、思い切って海外へ出てみることは、新しい自己の発見と開拓の重要な機会のひとつになり得ると私は思います。しばらく前に私は、建築家の安藤忠雄さん、実業家の似鳥昭雄さんとお話をする機会がありましたが、その折に私を含めて3人に共通の経験があることが分かりました。それは3人共、20代の若いときに海外へ、安藤忠雄さんはヨーロッパへ、似鳥昭雄さんと私はアメリカへ、意を決して飛び出したという経験です。各々動機は異なるものの、お二人が共通して仰ったのは、その時の新しい経験がその後のお二人の人生の歩みに決定的に重要な影響を及ぼしたということであり、その思いは私も全く同じでした。

本学医学部を卒業して、医師資格の義務である臨床研修を修了し、大学院へ進学するか、臨床医として専門的研修に入るか迷っていた私は、たまたまアメリカ、ニューヨークの大学研究室への研究留学の機会を得て、渡米をしました。この突然の第三の道は、大学院や専門医研修に比べてかなり不確実性が高く、不安が全くなかったといえば嘘になります。しかし、このようなチャンスはそうそうないかもしれないと考えて渡米する決心をし、20歳代の後半をアメリカの大学の研究室で過ごすことになりました。そこでの様々な経験、とりわけ世界各国から集まった考え方も生活スタイルも全く異なる同世代の学生や研究者達との切磋琢磨の日々と友情は、ただ単に研究というものへの真摯な向き合い方にとどまらず、その後の私の考え方や生き方に、決定的な影響を与えたことは疑いを入れません。安藤忠雄さんは、ヨーロッパ各地の建物に実際に自ら手を触れて歩くという何ヶ月にもわたる長い旅路に出られ、似鳥昭雄さんは、新しいビジネスの考え方を模索してロサンゼルスでの苦しい生活を送られましたが、お二人ともそこで同じような強いインパクトを残されたのだろうと私は推測しています。そういう意味では、これらの20代の旅立ちは、どれも偶然の機会のように見えながらも、一人一人にとっては自ら決断してチョイスしたオプションであったという意味で、必然であったのだろうと思います。

もちろんオプションということでは、海外に限ったことではありません。様々な人や書物との出会い、あるいは予期せぬ出来事なども、皆さんのこれからの人生に大きな影響を与えるオプションとなり得るでしょう。先ほどのグラットン教授とスコット教授の著書でも、オプションをより長く抱き続けることの重要性が説かれています。そういう意味では、皆さんのこれからの長い人生は、文字通り天からの贈り物と考えるべきであろうと思います。

皆さんへの卒業のお祝いの最後に、毎年卒業生の皆さんにお贈りしているモンゴメリー夫人の『赤毛のアン』ことアン・シャーリーの言葉を、皆さんにも贈りたいと思います。原文では“I love bended roads. You never know what may be around the next bend in the roads.”私はこれを、「私は曲がり角のある道が大好きだ。次の角を曲がったら、一体どんな景色なのか、どんな人と出会いどんな出来事が待っているのか、わくわくする」という風に解釈しています。この大河小説の底流に一貫しているのは、人生と自然への自由で尽きない好奇心と他者への限りないエンパシー、そして底抜けに明るい楽観主義です。これから先の皆さんの人生には多くの「曲がり角」が出てくると思いますが、その人生の長さを考えれば、必ずしも最短距離やましてや近道を選んで歩く必要はありませんし、回り道や遠回りをすることを躊躇する必要もないと思います。これから皆さんが歩く道にも、おそらく「曲がり角」はあるはずです。けれども、「曲がり角」を曲がった先には、いつも思いも掛けぬすばらしい出会いや出来事が待っているかもしれません。それらを大切にして、力強く羽ばたいていかれることを心から期待をして、私からの祝辞に代えたいと思います。

本日はまことにおめでとうございます。