2012年9月24日
このたび、田家慎太郎 理学研究科大学院生と高橋義朗 同研究科教授のグループは、レーザー光を用いて作成した人工の結晶の中に極低温の原子気体(図1)をとどめることで、これまで存在していなかった高いスピン対称性を持った新しい量子状態を作り出すことに世界で初めて成功しました。
本研究成果は、極低温にまで冷却された原子の状態を非常に高い精度で制御、観測することを可能とするだけでなく、物質の性質を決める原理の解明に向けた量子シミュレーターの実現に大きな役割を担うことが期待されます。
なお、本研究成果は、英国科学雑誌Nature Physics(ネイチャー・フィジックス)に9月23日(英国時間)に掲載されました。
図1:真空容器内のイッテルビウム原子気体
写真中央の緑色の小さな点が波長556ナノメートルの緑色光を出して発光しているイッテルビウム原子の気体を表しています。原子気体は数ミリメートルのサイズです。
研究の背景
近年、光格子と呼ばれる人工の結晶をレーザー光で作る技術が確立し(図2)、物質が低温で示す特異な性質を極低温の原子気体を使って調べようとする研究が注目を集めています。本学では、よく用いられるアルカリ原子ではなく、様々なユニークな特徴を持つイッテルビウムという原子に着目し、この原子を極低温にまで冷却できる実験技術を開発してきました。今回、高いスピン対称性を持つイッテルビウム原子を光格子中に導入して、このイッテルビウム原子の状態を超高精度に制御・観測する実験を実施し、世界に先駆けた研究が実現しました。
図2:光格子とは
光格子ではレーザー光の強さにより、原子の動きを制御できます。
固体物質で主役を演じる電子は、スピン1/2を持ち、SU(2)対称性を持つ系となります。このスピンを1/2より大きなものを考えた場合、SU(N)と言われる高いスピン対称性を持った系が考えられ、これまで理論的には大変興味を持って研究されてきましたが、固体の系でこのSU(N)対称性を持った系を実現することは大変困難であり、実験的研究は行われてきませんでした。
研究の成果
今回、イッテルビウム原子に含まれるフェルミ同位体を極低温にまで冷却して光格子の中にとどめ、通常の固体物質系では極めて実現が難しく、これまで成功していなかった、SU(N=6)スピン対称性を持った新しい量子状態を作り出すことに世界で初めて成功しました。量子力学ではすべての粒子はボース粒子(ボソン)とフェルミ粒子(フェルミオン)と呼ばれる性質が異なる2種類の粒子に区別されます(図3)。今回、イッテルビウム原子の豊富な同位体のうち、核スピン5/2を持つフェルミオンを光格子の中に導入しました。その結果、6成分のフェルミオンが格子点上に1個ずつランダムに入り混じったSU(6)モット絶縁体が生成されていることを、今回の研究で確認しました(図4)。
図3:ボソンとフェルミオンとは
絶対温度のゼロ度(絶対零度)ではボソンとフェルミオンは全く異なった状態になります。
ボソンではすべての粒子が最低のエネルギー状態に落ち込んだ状態になります。一方、フェルミオンでは粒子数に応じて低いエネルギー状態から順に占有されていきます。ボソンとフェルミオンのこのような性質の違いが極低温での物性に大きな影響を与えることが知られています。
モット絶縁体 量子力学の完成後、物質が金属であるか絶縁体であるかを判別する“バンド理論”が提唱されましたが、まもなくこの理論に従わない物質があることが分かりました。モット絶縁体はその一種で、電子間の相互作用が本質的に関与する例として今も盛んに研究されています。冷却原子でもこの状態をつくることができ、高温超伝導など、物性物理学の興味深い謎を解明する足がかりになると考えられています。研究グループは従来のスピン2成分でなく、6成分を持つ新しいモット絶縁体を生成しました。 | ポメランチュク冷却 光格子中の原子の温度は光格子中の原子の分布と密接に関連しています。原子の分布は、エントロピー保存のルールで決まります。簡単に言うと、あらかじめ決まっている”並べ方のパターン数”を確保するように原子を配置しなければいけません。スピンが6成分ある173Ybは、2個の原子を2個の格子点に置くだけで6×6=36通りを確保できますが、2成分の原子では5個以上の格子点に原子をばら撒いてやる必要があります。原子が隙間なく詰まっていたほうが温度が下がるので、スピンの成分数が多いほうが原子を冷やすのに有利です。研究グループはこの性質を使って173Ybを非常に効率よく冷却することに成功しました。 |
図4(a):光格子中のモット絶縁体。モット絶縁体では、原子間の強い反発力によって原子が身動きの取れない状態になっています。これが“電流”を流さない絶縁体の性質の由来です。 | 図4(b):(左) スピン2成分の原子を4個の格子点にばら撒く方法は24通りあります。一方、スピンが6成分あると格子点2個を使うだけで36通りのパターンが得られます。これが温度の違いにつながります。(右)温度測定の結果。6成分の系では2成分の系の半分以下の温度が得られています。 |
図4:モット絶縁体とポメランチュク冷却 |
さらに、この実験において、ポメランチュク冷却という興味深い冷却機構が働いていることを見出しました。ポメランチュク冷却は、もともと超流動ヘリウム3を実現する超低温を得るために開発された冷却法ですが、この6成分のフェルミ原子系の場合、非常に強力な冷却法となっていることを、スピン成分の数を変えた比較実験を行い、確認しました。これは、光格子中の冷却法として、新しい磁性相の実現にも威力を発揮すると期待されています。
今後の展開・波及効果
今回実現された高いスピン対称性をもった新しいモット絶縁体状態は、温度をさらに下げることで多様性に富んだ磁性の状態に移り変わっていくと考えられています。この状態がどのようなメカニズムで出現するのかを解明することは、物質系の磁性や超伝導などの研究に大きな進展をもたらすことが予想されます。今後は、原子気体を冷却する技術をさらに発展させ、物質の性質を決める原理の解明に向けた量子シミュレーターの実現を目指します。
論文名
[DOI] http://dx.doi.org/10.1038/nphys2430
An SU(6) Mott insulator of an atomic Fermi gas realized by large-spin Pomeranchuk cooling、
by Shintaro Taie, Rekishu Yamazaki, Seiji Sugawa and Yoshiro Takahashi
(DOI:10.1038/nphys2430)
大きなスピンのポメランチュク冷却によって実現したフェルミ原子気体のSU(6)モット絶縁体
田家慎太郎、山崎歴舟、素川靖司、高橋義朗