2012年7月17日
左から山中教授、青井教授
このたび、梶原正俊 iPS細胞研究所 特任研究員、山中伸弥 同教授、青井貴之 同教授らによる研究成果が米国科学アカデミー紀要(オンライン版)に掲載されました。
要旨
ヒトiPS細胞から作製した肝細胞は、細胞移植治療や医薬品の毒性評価などへの利用が期待されていますが、iPS細胞から成熟した肝細胞へと分化させる技術は確立されていません。これまで、肝細胞への分化という観点からのヒトiPS細胞株間の差異についてはほとんど注目されていませんでした。今回の研究で、梶原研究員らはヒトiPS細胞を肝細胞へと分化させる手法を改良し、血液や皮膚など様々な体細胞から三つの方法(レトロウイルス、センダイウイルスあるいはエピソーマルプラスミド)で樹立した28種のヒトiPS細胞を肝細胞へと分化させました。
これらの細胞を比較したところ、肝細胞への分化特性のバラつきはiPS細胞を樹立する方法ではなく、由来細胞の種類によるところが大きいという結果を示しました。末梢血由来のヒトiPS細胞株は常に良い分化特性を示しましたが、真皮線維芽細胞由来のヒトiPS細胞は分化特性が優れませんでした。
しかし、同じ人から採取した末梢血由来iPS細胞と真皮線維芽細胞由来のiPS細胞を比較したところ、分化特性に差は見られず、ヒトiPS細胞から肝細胞への分化特性は由来細胞の種類ではなくドナー(細胞提供者)の違いに起因するところが大きいことが明らかになりました。この結果は、ヒトiPS細胞の分化特性を比較する際には、ドナーの違いを考慮することが重要であることを強く示しています。
研究の背景
ヒトiPS細胞はES細胞と同様に無限の増殖能を持ち、三胚葉の全てに分化する能力を持つことと、個性が明らかなドナーの体細胞から作製できることから、細胞移植治療や薬剤開発、病因解明の研究など、幅広い分野で期待されています。特に肝細胞は薬物代謝を担う重要な細胞であるため、患者さんと同じ遺伝子を持ったiPS細胞から肝細胞を作成することができれば、薬物代謝の個人差を克服することができると考えられます。
これまでにヒトES/iPS細胞から肝細胞へと分化させる方法はいくつも報告されてきましたが、どの方法でも体内にある肝細胞の機能を完全に再現することはできませんでした。ヒトES/iPS細胞から肝細胞へと確実に分化させるためには、分化手法と同様に使用するES/iPS細胞の品質も重要であると考えられます。iPS細胞の質に影響をあたえ得る要素としては、由来細胞の遺伝的背景や培養条件、iPS細胞樹立方法などが挙げられます。由来細胞のエピジェネティックな記憶がiPS細胞でも残っていることで、分化特性が影響を受けるのだとの指摘もあります。現時点ではまだ、これらのうちのいずれが主要な要因であるのか、確定していません。
図1: 肝細胞様細胞に分化したiPS細胞・ES細胞の姿
研究の成果
(1)ヒトiPS細胞・ES細胞の肝細胞への分化誘導
ヒトES細胞からの肝細胞分化誘導法として報告されたものに若干の変更を加え、同じ細胞から樹立した5株のヒトiPS細胞と2株のヒトES細胞を肝細胞へと分化させたところ、17日後には三つの株(iPS細胞2株、ES細胞1株)で肝細胞様の形態を示す細胞が観察されました(図1)。またそれらの細胞では、肝細胞に特徴的な遺伝子の発現も見られましたが、他の細胞ではほとんど発現していませんでした。このことから、ヒトiPS細胞とヒトES細胞を肝細胞様細胞へと分化させることができるものの、その分化特性は株によって異なることを示しています。
B: 肝細胞に分化した指標であるアルブミン分泌量(分化誘導後21日目)
C: CXCR4陽性細胞の割合(分化誘導後7日目)
D: 緑…内胚葉に分化した細胞(SOX17発現)、赤…未分化な細胞(OCT3/4)(分化誘導開始7日目)
図2: 同じドナーから作製した2種のiPS細胞の比較
(2)分化誘導方法を改良
前述の実験では、分化誘導する際、ヒトiPS細胞・ES細胞は集塊のまま培養しましたが、この方法では細胞塊のサイズや細胞間の相互作用をコントロールすることができないため、培養方法が分化特性のばらつきをもたらしている可能性が考えられました。そこで細胞をバラバラにして分化誘導する方法を確立しました。この新たな方法を用いて、(1)で最も肝細胞様細胞へ分化したiPS細胞株(201B6)と最も分化しなかったiPS細胞株(201B7)で肝細胞への分化特性を調べたところ、最終的な肝細胞へは201B6の方が201B7よりも分化しやすいという結果になりました(図2)。一方、肝細胞への分化の途中段階である内胚葉細胞への分化は、両者で同様に高い効率を示しました。
(3)血液細胞から樹立したヒトiPS細胞の肝細胞への分化特性
改良した分化誘導方法を用いて、線維芽細胞(aHDF)・歯髄細胞(DP)・末梢血細胞(PB)そして臍帯血細胞(CB)から樹立した様々なヒトiPS細胞とES細胞から肝細胞への分化特性を調べたところ、末梢血細胞から樹立したiPS細胞で肝細胞の特徴を示すマーカーであるアルブミンの分泌量が顕著に高いレベルを示しました。この結果は、末梢血由来iPS細胞が肝細胞への分化には適した細胞であるとの結論を導くかに思われました。
(4)ドナーによる肝細胞への分化特性の違い
ところが、(3)の実験では線維芽細胞由来のiPS細胞は全て同じドナーから樹立した細胞で、血液細胞は2名のドナーから樹立した細胞だったので、細胞を採取したドナーの違いによって分化特性に差がでてくる可能性を否定できませんでした。そこで、同じドナーから採取した線維芽細胞由来のiPS細胞と末梢血由来のiPS細胞を作製し、それぞれ肝細胞への分化特性を調べました。3名のドナー(パーキンソン病患者さん2名と健康な方1名)から樹立したiPS細胞を用いたところ、いずれの細胞も内胚葉への分化を示すCXCR4-陽性細胞への分化は高い確率で起こりましたが、肝細胞への分化を示すアルブミンの分泌量は、由来となる細胞による違いがほとんど見られず、むしろドナーの違いが肝細胞への分化特性に大きな影響を与えていることが明らかになりました。
(5)分化特性の違いを予測し得るDNAのメチル化や遺伝子発現のパターンは見出されなかった
分化特性の違いが、どういう分子メカニズムに起因するのか特定するため、肝細胞様細胞へよく分化したiPS細胞株(201B6)とほとんど分化しなかったiPS細胞株(201B7)とで遺伝子の発現パターンを比較しましたが、ほとんど違いが見られませんでした。また、同じドナーから採取した線維芽細胞由来iPS細胞と末梢血由来iPS細胞で比較しましたが、やはり差は見られませんでした。DNAのメチル化状態についても肝臓に特徴的な転写因子が結合する部位を中心に検討を行いましたがいずれも、比較したiPS細胞株間で差は見られませんでした。
まとめ
本研究では、ドナーの遺伝的背景が、ヒトiPS細胞の肝細胞への分化に大きな影響を与えることを明らかにしました。これまでの研究では様々なドナーからiPS細胞を樹立し、比較したものがありますが、これらの研究で見られた差は由来となる細胞の違いよりはドナーの違いによるものである可能性が考えられます。今回の結果は、iPS細胞の性質を比較する際にはドナーの違いによる影響が大きいので、考慮に入れる必要があることを示しています。
iPS細胞やES細胞の特性の多様性に関する多くの研究がおこなわれている中、本研究はそれらの研究のあり方や報告された結果の捉え方に一石を投じるものであると考えられます。
論文名と著者
- [DOI]http://dx.doi.org/10.1073/pnas.1209979109
- 論文名
“Donor-dependent variations in hepatic differentiation from human-induced pluripotent stem cells” - ジャーナル名
Proceedings of the National Academy of Science - 著者
Masatoshi Kajiwaraa,b, Takashi Aoia, Keisuke Okitaa, Ryosuke Takahashic, Haruhisa Inouea, Naoya Takayamaa, Hiroshi Endoa, Koji Etoa, Junya Toguchidaa,d, Shinji Uemotob, and Shinya Yamanakaa,e - 著者の所属機関
a: 京都大学iPS細胞研究所(CiRA)
b: 京都大学大学院医学研究科
c: 京都大学大学院医学研究科
d: 京都大学再生医科学研究所
e: グラッドストーン研究所
本研究は、下記機関より資金的支援を受けて実施されました。
- 内閣府「最先端研究開発支援プログラム(FIRST)」
- 文部科学省「再生医療の実現化プロジェクト」「科学研究費補助金」
- 厚生労働省「再生医療実現化研究事業」
- 京都新聞(7月17日 3面)、産経新聞(7月17日 22面)、中日新聞(7月17日 25面)、日刊工業新聞(7月17日 17面)および日本経済新聞(7月17日 11面)に掲載されました。