2010年4月19日
京都大学とドイツアーヘン工科大学(エルンスト・シュマクテンベルク 学長)の研究グループは、固体中に存在するナノサイズの細孔の形が変形して効率よく小分子を取り込む物質の特性を調べ、その粒子サイズを極限まで小さくすることで、分子を取り込む強さをコントロールする事に成功しました。この知見は、環境への負荷の少ない分離プロセス技術の開発などに大きく貢献できるものと期待されます。
物質-細胞統合システム拠点(iCeMS=アイセムス)の北川 進 副拠点長、アーヘン工科大学ドイツ・ウール研究所(DWI)の田中 大輔 博士と ユルゲン・グロル 博士らの研究グループは今回、分子の取り込みにあわせて細孔の形を変えるナノ孔物質の合成および微粒子化を行い、粒子サイズと分子を取り込む仕組みの相関を解析しました。
約1nmサイズの規則的な細孔を持つ多孔性金属錯体の中には、ガス分子を取り込む際に細孔の形をガス分子にあわせて包み込むように変化させるものが存在することが知られています。このように、ターゲットとなる分子にあわせて分子レベルで孔の構造が変わる物質は、排気ガスに含まれる二酸化炭素などの温室効果ガスや窒素酸化物(NOx)のような有害な小分子を効率的に取り込む分離剤として注目されています。しかし一方で、孔の形が変形する際に重要となるファクターは未だ明らかにされておらず、分離に向けた精密な材料設計の指針を立てることが大変困難である、という問題も存在していました。本研究では、新たに開発したナノ~メゾ領域(5~100 nm)の粒子サイズの合成手法を用いることで、このような多孔性金属錯体のナノ粒子を簡便に合成することに成功し、そのガス分子を取り込む仕組みを明らかにしました。開発したナノ粒子は、通常の合成方法で作成した0.1mm程度の粒子と比べ、異なる中間状態を経由して格段に早く孔の形を変化させ、分子を効率よく取り込むことを発見しました。物質の粒子サイズを変えるだけで吸着特性を簡便に制御することができる本手法は、さまざまな多孔性金属錯体に適用でき、新たな分離材料の合成に役立つことが期待されます。
今回の研究は、JST戦略的創造研究推進事業 ERATO型研究「北川統合細孔プロジェクト」(研究総括:北川 進)の一環として行われ、英国時間4月18日(日本時間4月19日)付けの英科学誌「Nature Chemistry(ネイチャー・ケミストリー)」オンライン速報版で公開される予定です。
研究成果のポイント
- 簡便で汎用性が高い方法で多孔性金属錯体ナノ粒子の合成の開発に成功
- 均一なナノ粒子ではバルクと比べガス分子の吸着挙動が大きく変化した
背景および目的
近年、環境への負荷を可能な限り低減させる技術の開発はその重要性をさらに増しています。特に、二酸化炭素やNOxなどの小さなガス分子を効率よく分離・除去する技術は、その分離性能に多くの課題を抱えており、低環境負荷社会を実現するためのキーテクノロジーの一つとして盛んに研究されています(図1)。
- 図1. 分離技術:化学的、物理的手法を使って分子を分ける技術
化学産業のエネルギー消費の4割を占める。
従来、小分子の分離には、ゼオライトや活性炭といった、ナノサイズの細孔を持った「多孔性物質」が用いられてきました。これらの物質は、その細孔サイズがターゲットとなる分子の大きさに近接しているため、ガス分子のわずかなサイズや形の違いを利用して、細孔内に選択的に分子を吸着することで、分離特性を実現しています。しかし一方で、その構造の単純さなどから、高い分離能を実現するには限界も存在しています。
一方最近、非常に小さな細孔を規則的に持つ多孔性材料として、多孔性金属錯体と呼ばれる新たな物質が開発されました。これらの物質の持つナノサイズの細孔は、分子一つと同じ程度の大きさであり、さらにターゲットとなる分子にあわせて細孔の形を変えることができるため、非常に高い分離特性が実現できるのではないかと期待されています(図2)。しかしながら、多孔性金属錯体が細孔構造を変化させるという特性は近年発見されたばかりで、未だその詳しい機構は明らかになっていません。特に、このような構造変化の挙動は一般に、物質の粒子サイズがナノメートルオーダーに微小化されることで大きく変化することが知られていますが、多孔性金属錯体のナノ粒子に関する研究報告はほとんど存在しませんでした。本研究では、このような特性を持つ多孔性金属錯体の粒子サイズを十ナノメートルから数百ナノメートル程度に微小化する技術を開発し、その分子の取り込み特性に関する基礎研究を行いました。
- 図2. 分子の取り込みにより構造を変える多孔性金属錯体のイメージ図
ゲスト分子の吸着に伴い細孔は押し広げられる。
研究手法
アーヘン工科大学DWIの研究グループは今回、界面活性剤を用いてナノサイズのエマルジョンを作成し、その内部を反応場として多孔性金属錯体ナノ粒子を合成しました(図3)。特に、この反応溶液に超音波を照射することで、通常は1日程度かかる反応時間を10分以下に短縮することに成功しました。さらに、京都大学のグループが、今回合成したナノ粒子と、従来の手法で合成した0.1mm程度の大きな粒子サイズを持つ物質の、ガス吸着挙動を評価、比較しました。その結果、ナノ粒子は従来知られていた相とは異なる中間状態を経由して、格段に早く構造を変化させ分子を取り込むことを発見しました。
- 図3. 従来の合成方法(左)と本研究で開発した合成手法(右)
界面活性剤と超音波照射を併用して、反応溶液をエマルジョン化し、
内部を反応場とすることで均一なナノ粒子の合成することができる。
研究成果
今回の研究で大きく二つの成果を得ました。
一つ目は、簡便で汎用性が非常に高い多孔性金属錯体ナノ粒子の合成手法を開発したことです。従来の多孔性金属錯体の合成法では、高温、高圧を要求する過酷な反応条件や、数日を要する長い合成時間を必要としていたため、この材料のナノ粒子化を実現するのが難しく、その基礎的な分子吸着特性に関する研究も充分に行うことが不可能でした。本研究で開発した界面活性剤と超音波照射を併用する方法は、従来の手法で制約となっていたナノ粒子調製の制約を大きく緩和させることを可能にします。この手法を用いることで、今後より多くの多孔性金属錯体ナノ粒子の特性が研究されていくことが期待されます。
二つ目は、均一なナノ粒子化に成功したことによって、ガス分子の吸着挙動が大きく変化した点です。本研究では、固体材料の粒子サイズをナノレベルまで微小化するだけで、分子を包み込む強さと速さが大きく変わることを示しました。粒子サイズが不揃いであると細孔への吸着速度も遅い部分が生じてしまいます。均一なナノ粒子化したことにより、ガス分子は迅速に細孔内へ吸着され、非常に速い応答速度を得ることに成功しました(図4)。また、分子を取り込む強さも、粒子サイズによって変化することが示されました。粒子のサイズを変えるだけで吸着挙動が大きく変わるという性質は、他の吸着剤では報告されていません。これは本研究で始めて明らかとなった、多孔性金属錯体特有の非常にユニークな特性です。この手法を応用することで、これまで分離が困難であった小分子ガスを簡便に除去する技術が開発されることが期待できます。
- 図4. 吸着速度の変化の様子
均一なナノ粒子化した多孔性金属錯体はバルク錯体と比較し、
ガス分子は迅速に細孔内へ吸着され、応答速度は非常に速くなる。
今後の期待
これまでは多孔性物質によるガス分離には主に炭素材料である活性炭や無機材料であるゼオライトなどが用いられてきました。これらの材料は古くから知られており、安定した使用が可能ですが、高い分離能を実現するには限界が存在します。一方、無機-有機ハイブリッド材料である多孔性金属錯体は、より精密な認識能を持った分離剤として近年注目を集めています。しかし、その特性をコントロールする手法はまだまだ模索段階です。本研究で報告した粒子サイズのナノ化は、この新しい材料を分離として用いる上で非常に重要な技術となることが予測されます。
今回得られた合成指針に基づき、今後さらに研究を進めることで、これまで達成が難しかった分離プロセスへの応用が期待できます。たとえば、スペースシャトル内では水が存在する雰囲気下で極めて低濃度の二酸化炭素ガスを分離する必要があり、現状では化学的に吸着しリサイクルはできない状況にあります。また身近な産業としては高性能なPSA装置の開発など、低環境負荷技術の開発に大きく貢献する材料が、本研究成果を元に達成できると考えられます。
- iCeMSウェブサイトでのニュースリリース:
http://www.icems.kyoto-u.ac.jp/j/pr/2010/04/19-nr.html
用語説明
1: 分離材料
他の例としては、化石燃料から発生するCO2を回収・貯留する技術の実用化に有用とされているCO2分離材料や、水素ガスの高い分離効率により燃料電池用の水素生成装置に有用とされている水素ガス分離材料など。
2: 界面活性剤
一つの分子の中に、水になじみやすい部分と油になじみやすい部分の両方が存在する物質の総称。洗剤は代表的な界面活性剤である。
3: エマルジョン
界面活性剤により安定化される、水中での油の粒状会合体(もしくは油中での水の粒状会合体)の総称。界面活性剤の濃度や種類を変えることで、会合体の粒子サイズをナノメートルスケールで変化させることができるため、近年ナノ材料の合成に活発に用いられている。
- 京都新聞(4月19日24面)、日刊工業新聞(4月19日18面)および日本経済新聞(4月19日11面)に掲載されました。