がん抑制遺伝子によるiPS細胞の樹立抑制メカニズムを解明 -樹立法改良に結びつく知見をNatureに報告-

がん抑制遺伝子によるiPS細胞の樹立抑制メカニズムを解明 -樹立法改良に結びつく知見をNatureに報告-

平成21年8月10日


左からホン・ヒョンジョン 大学院生、
山中教授

 人工多能性幹細胞(iPS細胞)は、体細胞に多能性誘導因子を導入することで樹立され、ES細胞(胚性幹細胞)に似た形態、遺伝子発現様式、高い増殖能と様々な組織の細胞に分化できる多能性を併せ持ち、将来、細胞移植治療などの再生医療への応用が期待されています。iPS細胞の重要な課題の一つとして、樹立効率の改善があげられます。

 山中伸弥 物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター/再生医科学研究所教授らの研究グループは、このたび、がん抑制遺伝子p53の発現抑止により、4因子(Oct3/4、Klf4、Sox2、c-Myc)のレトロウイルス導入でマウスiPS細胞の樹立効率が20%に、c-Mycを除く3因子の場合でも10%に改善することを確認しました。またp53の発現抑制でレトロウイルスを用いたヒトiPS細胞、プラスミドを用いたマウスiPS細胞の樹立効率がともに改善しまた。さらに、p53遺伝子を欠損させた場合は、終末分化したTリンパ球(T細胞)からもマウスiPS細胞を樹立できました。

 網羅的遺伝子発現解析(マイクロアレイ解析)により、マウスとヒトで共通のp53関連遺伝子を同定し、それらの機能解析を行うことにより、p53-p21経路が、細胞のがん化抑制のみならず、iPS細胞樹立においても抑制弁として機能していることがわかりました。

 この研究成果は、iPS細胞とがん研究の接点を提示するのみならず、p53遺伝子の効果的な発現制御により、様々な患者さんからより確実にiPS細胞を樹立する技術開発に寄与するとことが期待されます。

 今回の研究成果は、8月9日(日曜日)午後6時(ロンドン時間)に科学誌Natureオンライン速報版で発表されました。

  • 論文名
    "Suppression of Induced Pluripotent Stem Cell Generation by the p53-p21 Pathway"
    「がん抑制遺伝子p53-p21経路によるiPS細胞樹立の抑制」
    Hyenjong Hong, Kazutoshi Takahashi, Tomoko Ichisaka, Takashi Aoi,Osami Kanagawa, Masato Nakagawa, Keisuke Okita,and Shinya Yamanaka

研究の背景

 iPS細胞は、山中伸弥教授らの研究グループがマウスの線維芽細胞(mouse embryonic fibroblasts:MEF)に4因子をレトロウイルスベクターで導入することにより、世界で初めて樹立し、2006年に発表しました。同様に2007年には、ヒトiPS細胞の樹立成功を報告しています。

 しかし、iPS細胞樹立効率の低さは解決されるべき課題の一つでした。マウスおよびヒトの体細胞に4因子を導入する場合、1%未満しかiPS細胞になりません。がん原遺伝子であるc-Mycを除く3因子で樹立する場合、その効率は一層低下します。最近の研究で、がん抑制遺伝子であるp53に対するsiRNAによりiPS細胞樹立効率が改善することが確認されています。しかしこの効果が本当にp53の抑制によるものか不明ですし、また改善効果の分子メカニズムはまだ解明されていません。そこで、様々な実験を行い、マウスやヒトiPS細胞樹立に対するp53の機能を詳細に解析しました。

研究結果

(1)マウスiPS細胞樹立効率の改善

 c-Mycを除く3因子を、p53遺伝子が普通に発現している(野生型)MEFに導入する実験を実施したところ、5,000個のMEFから3から19のiPS細胞のコロニーがみられました。対照的に、p53遺伝子が欠損されている(欠損型)MEFからは、94から456のコロニーが現われました。

 また、フローサイトメーターでの詳細解析において、p53欠損型MEFで3因子導入によるiPS細胞の樹立効率が改善することを確認しました。上記の結果から、3因子導入でp53欠損型MEFから10%のiPS細胞が樹立できました。また、c-Mycを含む4因子の場合は20%に達しました。

 次に、p53のドミナント・ネガティブ変異体p275Sを用いて、p53の発現が直接にiPS細胞樹立に関連があることを確認する実験を行いました。p275Sをヘテロ欠損型MEFに導入すると、iPS細胞のコロニー数は著しく増加し、p53制御が樹立効率改善に重要なファクターであることを確認しました。

 3因子、および4因子導入で樹立されたp53欠損型マウスiPS細胞は、ES細胞に似た形態を示し、テラトーマ(奇形腫)試験の結果、多能性が確認されました。

 一方、4因子導入で樹立したp53欠損型iPS細胞では、内在のOct3/4、Sox2の発現は低レベルにもかかわらず、外来と内在を合わせたSox2、Klf4、c-Mycの発現は顕著に高レベルでした。これは、外来因子の発現が活性化されたままであることを示しています。さらに、4因子を用いて樹立されたp53欠損型iPS細胞では、継代後、ES細胞と類似した形態を維持できませんでした。つまり、p53欠損型の体細胞から樹立されたiPS細胞の場合、c-Mycが外来因子の不活性化を妨害し、iPS細胞の特徴の獲得、維持を阻害していることを見出しました。

(2)Tリンパ球からのiPS細胞の樹立

 p53遺伝子の発現を抑止して、レトロウイルスで4因子を終末分化したマウスTリンパ球(T細胞)に導入したところ、iPS細胞の樹立に成功しました。p53野生型では樹立できませんでした。樹立されたiPS細胞は、高い増殖能をもち、ES細胞に類似した形態を示し、キメラマウスの誕生にも寄与しました。しかし、p53の欠損と外来遺伝子の不活性化が不完全であったため、7週間以内に腫瘍形成によりほとんどのキメラマウスが死亡しました。この腫瘍はiPS細胞から発生したことが確認されています。

(3)ヒトiPS細胞の樹立効率改善

 p53の発現抑止がヒトiPS細胞樹立の効率改善に有効であることを確認しました。例えば、ドミナント・ネガティブp275Sまたはp53DDを、4因子、または3因子と一緒に成人の線維芽細胞(human dermal fibroblasts:HDF)に導入したところ、樹立されたiPS細胞コロニー数は著しく増加しました。マウスのみならずヒト細胞でもp53がiPS細胞樹立を抑制していることが分かりました。

(4)p53ターゲット遺伝子の同定

 iPS細胞樹立効率改善に関係するp53のターゲット遺伝子を調べるために、マイクロアレイで、p53野生型とp53欠損型MEFの間で、またHDFとp53の発現を抑止したHDF間での遺伝子発現を比較解析しました。すると、マウスとヒトに共通で、発現増加した遺伝子8個、発現減少した遺伝子27個、合計35個の共通遺伝子を見出しました。共通の発現減少遺伝子にはp53、p21が含まれていました。

 これらの遺伝子のうち、p53またはp21を強制発現した場合に、p53shRNAによるiPS細胞樹立促進効果が、打ち消されることがわかりました(下図)。また野生型の線維芽細胞に、4因子または3因子を導入するとp21タンパク質発現レベルが上昇しました。しかし、p53欠損型MEFでは、3因子、または4因子を導入した場合でも、p21発現の増加はみられませんでした。この結果から、iPS細胞樹立過程において、p21がp53のターゲット分子であることが分かりました。

    

  1. a. 研究結果(4)で、マウスとヒトに共通で、発現増加した遺伝子4個、発現減少した遺伝子7個を4因子と一緒にHDFに導入し、24日後に確認できたiPS細胞株の数。
    b. 同様に、マウスとヒトに共通で、発現増加した遺伝子4個、発現減少した遺伝子7個を4因子とp53shRNAと一緒にHDFに導入し、28日後に確認できたiPS細胞株の数。
    注: a、 bにあるDsRedは蛍光の赤色たんぱく質。

(5)プラスミドを用いたマウスiPS細胞樹立効率

 さらにプラスミドを用いて4因子を、p53野生型、p53欠損型MEFに導入しマウスiPS細胞樹立を試みたところ、p53野生型では、培養28日目でもiPS細胞株の出現は見られませんでした。対照的に、p53欠損型からは約100コロニーが得られました。その中から、ランダムに12株を選び分析したところ、7株にはプラスミドのゲノム導入はありませんでした。また、このiPS細胞からキメラマウスが作製できました。因子導入方法によらず、p53欠損はiPS細胞樹立を促進することが分かりました。

今後の展開

 昨年、中国の研究者グループがp53siRNAを導入することで、iPS細胞樹立効率が改善することを報告していました。本研究では、iPS細胞樹立過程におけるp53の機能を詳細に解析し、p53-p21経路がマウスやヒトiPS細胞の樹立を抑制していることを見出しました。

 しかし、p53を恒常的に抑制することはiPS細胞の品質を損ないます。将来、iPS細胞の医療応用を考えると、siRNAやその他の方法により、一時的にp53遺伝子発現を効果的に抑制し、ゲノム挿入のないiPS細胞を樹立する方法を確立することが重要と考えられます。

6.本研究への支援

 本共同研究は、下記機関より資金的支援を受け実施されました。

  • 文部科学省「再生医療の実現化プロジェクト」
  • 独立行政法人科学技術振興機構(JST)「山中iPS細胞特別プロジェクト」
  • 独立行政法人医薬基盤研究所(NIBIO)「保健医療分野における基礎研究推進事業」
  • 独立行政法人日本学術振興会(JSPS)

 

  • 朝日新聞(8月10日 1面)、京都新聞(8月10日 1面および3面)、中日新聞(8月10日 3面)、日刊工業新聞(8月10日 1面および15面)、日本経済新聞(8月10日 1面)、毎日新聞(8月10日 3面)および読売新聞(8月10日 2面)に掲載されました。