第27代総長 湊 長博
京都大学のさまざまな学部での学士課程を修了し、今日晴れて卒業式を迎えられる2,787名の皆さん、まことにおめでとうございます。ご来賓の井村裕夫 元総長、山極壽一 前総長、ご列席の理事、関係部局長をはじめとする京都大学の教職員一同および在校生を代表して、心からお祝い申し上げます。また、今日の卒業の日まで、皆さんを支え励ましてこられたご家族やご親族の方々もさぞやお喜びのことと思います。卒業生の皆さんに代わり、心から感謝しお祝いを申し上げたいと思います。京都大学は2022年(令和4年)に創立125周年を迎えましたが、1900年(明治33年)に第1回の卒業式を迎えて以来、124年にわたる京都大学の卒業生の数は、皆さんを含めて225,898名になりました。
振り返ってみると、大半の皆さんが新入生として京都大学に入学された2020年(令和2年)4月は、新型コロナウィルス感染症が猛威をふるい始め、全国的に緊急事態宣言が発出された時期であり、対面での入学式も中止せざるを得ませんでした。そのような中で始まった新しい大学生活では、本来講義室で教員や他の多くの同級生たちと一緒に対面で行われるはずの講義は慣れないオンラインでの配信講義に変更され、楽しいはずのクラブやサークルなどの課外活動も休止となり、皆さんは大半の時間を自宅やアパートに籠って生活することを余儀なくされました。この入学早々全く先の見えない状況に、さぞかし孤独で不安な思いをされたことも多かったと思います。ちょうど一年後の令和3年の4月には、感染症の波の合間を縫って新入生の入学式を挙行することに決めましたが、その機会にすでに2年生になられていた皆さんに対しても、一年遅れの入学式をさせていただきました。その時の皆さんが、今日このように一堂に集い卒業式を迎えられたことは、本当に感無量の思いでいっぱいです。
一年遅れの入学式における式辞の中で私は皆さんに、大学生活で最も大事なことのひとつは新しい「自己発見」であり、それはしばしば新たな「出会い」によってもたらされるとお話しました。コロナ禍という予想だにしなかった事態があったとはいえ、それまでの高校生活とはずいぶん異なる学生生活の中で、皆さんには新しい友人や先輩、魅せられた書物、心に残る出来事など、さまざまな「出会い」があったことと思います。はたして新しい「自己発見」があったでしょうか。
アメリカでは、大学の卒業式をしばしばCommencementと言います。アメリカのほとんどの大学は入学式を行わない代わりに、盛大な卒業式で祝福します。Commencementは本来、「始まり」や「開始」を意味する言葉ですが、大学の卒業式にこの言葉を充てるのは、それが「人生の開始」の儀式に他ならない、という意味合いを込めてのことであると思われます。ロンドン・ビジネススクールのアンドリュー・スコット(Andrew Scott)教授とリンダ・グラットン(Lynda Gratton)教授は、その共著 『The 100-Year Life:Living and Working in an Age of Longevity』(邦題は『ライフ・シフト-100年時代の人生戦略』)のなかで、
最良の条件下においては、21世紀に生まれた日本人の50%は優に100歳を超えて生きることになる、という統計予測を示しています。皆さんの多くはまさに21世紀の申し子であり、これから先、実に長い人生を歩んでいかれることになりますが、そこではこれまでの学生時代よりはるかに多くの、はるかに豊かな「出会い」に恵まれることになるはずです。従って、大学生活の終わりが自己発見の旅の終わりであるというわけでは決してなく、皆さんの自己発見の旅はこれから半世紀以上も続いていくことになります。大事なのは、これからも新しい出会いを受け入れる間口をできるだけ広く開けておき、臆せずそれを受け入れていくことです。それらの経験から生まれる自己発見こそが、皆さんが潜在的に持っている可能性や能力を余すところなく引き出し、本当の「自己発現」に導いてくれることでしょう。21世紀の申し子である皆さんに与えられる「100年時代の人生」は、この自己発見と自己発現のプロセスを、あわてずにじっくりと、時には何度でもやり直していくのに充分な時間を保障してくれています。
今から13年前の2011年の3月に, 本学の経済学部を卒業された皆さんの先輩にあたる青山愛(あおやま めぐみ)さんは、放送局に就職されて社会人としての生活をスタートされました。学生時代には、アメリカの大学への1年間の留学をはじめ、世界各地でのボランティア活動やホームステイなど活発な海外での活動を経験される中で、「いつかは国際機関で働いてみたい、国際公益のために働きたい」という憧れが強くなっていたそうです。卒業後すぐに就職された放送局では、アナウンサーやニュースキャスターとしてテレビを中心としたマスコミの世界で大いに活躍されましたが、学生時代の思いを捨てがたく、2017年にアメリカの外交大学院に入学し国際関係学の修士学位を取得された後、ジュネーブに本部のある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に渉外担当官として入職されました。先の東京パラリンピックでは難民選手団とともに選手村に滞在し彼らの支援にあたられましたが、ロシアのウクライナ侵略勃発後は直ちにウクライナに入り、現地での人道支援の任務にあたられました。現在は、パリのユネスコ本部に派遣され、ウクライナに隣接する周辺国での難民支援のための活動を進められているとのことです。国際公益のために働くことに憧れ、30歳を前に報道キャスターをやめて海外の大学院に進み、そして今まさに目まぐるしく変化する不安定な国際情勢の中で、国際機関の第一線で難民支援のために働いておられます。青山愛さんが、その活動の中でさらにどのような自己発現の旅を続けられていくのか、私も非常に楽しみにしています。
この青山愛さんの場合のように、新たな出会いをもたらしてくれる最も良い方法のひとつは、海外へでかけることです。皆さんの中には、海外旅行の経験のある人も少なくないとは思いますが、大事なことは、たとえ短期間でも海外の全く新しい環境の中で実際に日常生活をしてみることです。私自身も、本学の医学部を卒業後、当時インターンと呼ばれた臨床研修に入りましたが、機会を得て研修終了後すぐにニューヨークにある大学の研究室へ留学しました。この研究留学は、学生時代にたまたま読んだ一冊の免疫学の書物に魅入られて医学部の研究室を訪ね、見よう見まねで実験をさせていただいていたことがそもそものきっかけでした。当時の私は物理や化学の実習が大の苦手で、自分は実験科学には向かないと思いこんでいました。しかし、初めてトライした生物学の実験が実に面白く、性に合っていることに気がつきました。こうして実験にのめりこんでいるうちに、これもたまたま日本の学会に招かれて来日していた、後に私の生涯の師となる先生に出会う機会を得て、その先生の研究室に留学することになったわけです。結局、私は20歳代後半の丸3年間をニューヨークで暮らすことになりましたが、そこでの日々の生活はそれまでとは全く違うものであり、文字通り日々新しい出会いの連続でした。それまでどちらかというと内向的な性格だと自分で思っていましたが、ニューヨークの研究室では「データマシン」というニックネームで呼ばれるほど実験に明け暮れ、さまざまな国から来ていた多くの若い研究者とはいつも喧々諤々の議論を繰り返したものです。そのうちの何人かとは、今でも親密な友人関係が続いています。
私の場合も、すべての始まりは、学生時代の一冊の書物との出会いであり、それがなければ私の自己発見はなかったかもしれません。また、それを契機に訪れた、当時としてはかなり冒険的とも思われた20歳代半ばでの海外留学に思い切ってチャレンジしなければ、その後の私の人生も大きく違ったものになっていたように思います。皆さんにも、ぜひともチャンスを捉えて、海外での生活を経験されることを強くお勧めしておきたいと思います。若ければ若いほど得られる将来へのアスピレーションは大きいことでしょう。ちなみに私は、学生時代以来の赤や青の無数のアンダーラインでぼろぼろになったその書物を、今も本棚の真ん中においています。
これから先の皆さんの長い旅の道のりは、決して見晴らしのいい一本道とはかぎりません。むしろ、先の全く見えないたくさんの曲がり角が待っていると思います。そこで、毎年の卒業生と同様に、皆さんにも、新しい旅立ちに向けて、100年以上前に発表されたカナダの小説家ルーシー・モード・モンゴメリーが『赤毛のアン』の主人公アン・シャーリーに語らせた言葉を贈りたいと思います。
“I love bended roads. You never know what may be around the next bend in the roads“ 「私は曲がり角のある道が大好きだ。次の角を曲がったら、一体どんな景色なのか、どんな人と出会いどんな出来事が待っているのか、わくわくする」
この大河小説の底流に一貫しているのは、人生と自然への自由で尽きない好奇心と他者への限りないエンパシー、そして底抜けに明るい楽観主義であり、不遇な少女時代を過ごしたアン・シャーリーの、これから出会うかもしれない素晴らしい人たちやさまざまな新しい出来事への期待と興奮が感じられます。
これから皆さんの長い人生にも多くの「曲がり角」が出てくると思いますが、必ずしも近道や最短距離を歩く必要はありませんし、回り道や遠回りをすることを恐れる必要もないと思います。繰り返しますが、本日の卒業式は、新しい人生のCommencement、つまり始まりです。これから皆さんが進まれる道が、さらなる研究への道であれ実社会での新生活であれ、私は皆さんに、健全な批判的精神と他者への繊細な共感、そして自由で底抜けに明るい楽観主義を備えて自立した社会人として、力強く羽ばたいていかれることを心から期待をして、私からの祝辞に代えたいと思います。
本日はまことにおめでとうございます。