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研究室でねほりはほり

2024年秋号

研究室でねほりはほり

白く長いしっぽに導かれ、標高4,000mを超える山々を行く
ユキヒョウはつなぐ国と国、人と人

木下こづえ 准教授
アジア・アフリカ地域研究研究科

白銀の毛並みに混じる黒い斑紋模様。長く太い尾を揺らし、標高4,000mを超える山々でくらすユキヒョウ。植物すら生えないほどの厳しく険しい場所ゆえに、調査が難しく、今なお謎の多い動物だ。「現在、野生下にいるユキヒョウの数は推定で3,000から8,000頭。密猟や気候変動などの影響で数を減らし、絶滅を危惧されますが、研究者が少なく、生息数の全貌は分かっていないのが実情です」。木下こづえ准教授は、そんな数少ないユキヒョウ研究者の一人。研究・調査にとどまらず、生息地域の経済・教育支援にまで活動の領域を拡げる木下准教授に、偶然の出会いから始まったユキヒョウ研究の歩みを聞いた。

「研究者ですら、野生下のユキヒョウには人生で一度出会えるかどうか。私も姿を見たのは一度きりです」。北はロシア、南はネパールまで12か国の山岳地帯をまたいでくらすユキヒョウは、世界で最も高い場所に生息するネコ科動物。「生息密度を京都府で例えると、府内に10から50頭程度。しかも、生息地はいずれも国境付近。調査しづらいゆえに生態に謎が多く、〈幻の動物〉と呼ばれています」。

(図1)自動撮影カメラで捉えたユキヒョウ
初めて調査に訪れたモンゴルでの一枚。痕跡を頼りに仕掛けた自動撮影カメラが、貴重なユキヒョウの親仔の姿を捉えていた

姿の見えないユキヒョウに迫る手がかりは、足跡や糞、岩に吹きかけられた尿、噛みちぎった草など、ユキヒョウが残したあらゆる痕跡。そうしたヒントを頼りに行動範囲を絞り込み、自動撮影カメラを設置すれば、映像からユキヒョウの行動や社会の一端が見えてくる。「これは、自動撮影カメラが捉えたユキヒョウのおやです(図1)。この地域で親仔の姿を確認できたのは初めてのこと。ほほえましい一枚ですが、この場所が繁殖できる環境を備えているという証明でもあるのです」。

カメラの匂いを嗅ぐ姿。好奇心が旺盛で、カメラを見つけるとすぐに近寄ってくるのだという

尿スプレーと呼ばれるマーキング方法。岩の壁や木などに尿を吹きかけている

近隣の動物園にやってきた、ユキヒョウをきっかけに

ユキヒョウの生息域
主な調査拠点はキルギスとネパール。「私の研究には糞の解析が必須。高山で一緒に糞を探してくれる仲間のいる国を拠点にしています。年に一度は訪ねて、それぞれ1か月程度滞在します」(The IUCN Red List of Threatened Speciesの図を元に作成)

ユキヒョウとの出会いは、繁殖学を学ぶ大学生だった2006年にさかのぼる。そもそも繁殖学への関心の芽生えは、中学生の頃に見たテレビ番組。「動物園や水族館での人工繁殖の紹介でした。絶滅危惧種に関心のあった私の心に、『絶滅から救うには、命をつなぐことが大切なんだ!』とビビッと響いた。そんな思いを胸に進学した神戸大学に、たまたま! その番組に出ていた楠 比呂志先生が着任されたのです」。楠先生は当時、希少動物の人工繁殖を手掛けられる数少ない研究者の一人。「北は北海道、南は沖縄まで、飼育施設から『発情が来そう』という情報があれば飛行機に飛び乗り、駆けつけておられました」。

楠先生の研究室への配属と同じ頃、大学近くの神戸市立王子動物園にフランスの動物園からやってきたのがユキヒョウのティアン(♂)だった。「すでに飼育されていたミュウ(♀)との繁殖を研究室で手伝うことになり、言われるがまま、これまでに見たこともなかったユキヒョウに関わり始めたのです」。まずは相手を知ることから。毎朝、動物園に通って観察した。「でも、待てど暮らせどティアンが寝室から出てこない。8か月間、尻尾しか見ない日が続きました。付けたあだ名は『引っ込みティアン』(笑)」。

ティアンを待ちながら、ユキヒョウやジャイアントパンダなどを対象にホルモンの研究にいそしんだ。動物の発情期を見極め、発情に合わせて雄との同居方法等を変え、交尾を促す努力が世界中の動物園でなされているが、観察で発情を見抜くのは至難の技。「ジャイアントパンダの発情は年に一度。しかもわずか数日です。短いチャンスを掴むことに役立つのが糞尿です。糞尿に含まれるホルモンを分析して発情期を判断。行動観察と合わせて、繁殖に適した飼育環境を導き出します」。

妹の後押しで、ユキヒョウがくらす念願の岩山に

「私のフィールドは動物園と水族館。生息地に行くなんて、考えもしませんでした」。転機は2012年、京都大学野生動物研究センターの研究員になったことだった。「センターの方々の多くが、野生下で対象動物を調査する環境です。みなさんに連れられてフィールドワークをするなかで、『私もいつか、野生下のユキヒョウを研究したい!』と思い始めたのです」。

強力な後押しとなったのが、双子の妹で広告会社に勤める木下さとみさんの存在。「動物園に行くと、ユキヒョウを指して『チーターだ』、『トラだ』と話す来園者に遭遇するんです。『ユキヒョウだと知ってほしいなぁ』。そんな気持ちでこぼしたつぶやきをきっかけに、妹の作詞で『ユキヒョウのうた』が完成(笑)。さらには、〈ユキヒョウさん〉というキャラクターが生まれました」。さとみさんの力も借りて、多くの人にユキヒョウの魅力を伝えて保全活動につなごうと、「まもろうPROJECT ユキヒョウ」を共同で設立。2013年には、ユキヒョウの生息地に念願の初渡航。姉妹でモンゴルへと降り立った。

姿こそ見られなかったものの、木下准教授を感動させたのは雪山のあちこちに残る痕跡。「足跡を見て、本当にここにいるんだと実感して胸がいっぱいでした」。現地調査では、学生時代の6年間、毎日のように通った動物園での観察経験を存分に発揮。「『私がユキヒョウならここで爪を研ぐ!』という勘が私も知らぬ間に身についていた(笑)。ユキヒョウの気持ちになって、『ここだ』という場所にカメラを仕掛けると、映像には高確率でユキヒョウの姿がありました」。野生下だからこそ見えてくる新しいユキヒョウの姿も多数。「動物園での飼育や繁殖の新たな提案につなげたい」。

ユキヒョウを通して気づく、地域の文化と暮らし

野生下のユキヒョウとの初対面を果たしたのは、2016年、インドでのこと。「顔を上げると、民家の裏山を悠々と歩く姿。美しさにとにかく見惚れていました。一方で、かつては人里にほとんど降りなかったはず。このかいこうの背景には、ユキヒョウによる家畜の被害があるのです」。

2016年、インド・ラダック地方での調査でついに出会った野生のユキヒョウ

ユキヒョウは、生息地域の多くで生態系維持の象徴種。12の生息国では、紛争地帯を含むにもかかわらず、数年に一度、保全会議が開かれる。大切に扱われる一方で、ユキヒョウに家畜を襲われた住民による報復殺が頻発。個体数減少の原因となっている。「ユキヒョウの餌動物などの密猟も絶えません。現地調査を通して、野生動物の保全には人々の暮らしを守ることが重要と感じました」。

そうして、ユキヒョウの魅力発信から始まったプロジェクトは、生息国の産業から生まれた「ユキヒョウさん」グッズの販売、地域の子どもたちへの環境教育の支援などに活動の幅を広げている。「ユキヒョウを通して、生息国の文化や暮らし、価値観に触れました。日本の人たちにも同じ体験を提供して、生息国と自分たちとのつながりに目を向けるきっかけになれば。それが巡り巡ってユキヒョウの保全と、人々の暮らしを守ることにつながるはず」。

研究を始めた当初は、日本で唯一のユキヒョウ研究者だったが、今は仲間も増えている。「繁殖は、環境が整わなければつながらない。動物が命をつなぎ続けるためには、動物自身だけでなく、彼らを取り巻く環境も知らないといけない。世界は自分のフィルターを通してしかのぞけませんが、だからこそ他の人には見つけられない、見られない世界に出会えるものです。これからも感覚を研ぎ澄ませて、国境を軽々と越えるユキヒョウのように、ボーダーレスの研究を生み出したいです」。

「ユキヒョウさん」
「ユキヒョウさん」はイラストレーターの馬込博明さん作。「キャラクターを通して特徴や他のネコ科動物との違いを知ってもらうことも目的。斑紋模様の違いなど、かなり忠実に再現しています」

「ユキヒョウさん」グッズ
キルギスの産業である羊毛を使い、キルギスの女性たちがひと針ひと針手作業で制作する。「一つひとつ表情が違います。コロナ禍で調査に行けない時期、キルギスから届いたダンボールを開けると、箱いっぱいのユキヒョウさんがこちらを見上げていて……。キルギスとつながる実感が嬉しかったですね」。ウェブショップのほか、日本各地の動物園でも販売。利益はすべて保全活動や地域経済の活性化に役立てられる

ユキヒョウさんのSNOW HONEY
ユキヒョウがくらすキルギスの山の近くで採れた、白いハチミツ。これらのグッズは、地域の素材で製品を作り、地域経済活性化に貢献する、JICAの「一村一品プロジェクト(OVOP)」に賛同して生まれたもの

1980年以降、ユキヒョウの毛皮の国内輸入は禁止。この毛皮は1960年代頃に日本に持ち込まれたものを譲り受けたもの

ユキヒョウがよく噛む植物の枝。木下准教授らの研究で、糞の分析を通して肉食のはずのユキヒョウが空腹時には特定の植物を食べていることが示唆された

子どもたちをつなぐ試み
ユキヒョウを通して、日本とキルギスの子どもたちをつなぐ試みも。「まず、キルギスの子どもたちに、自分たちとユキヒョウが暮らす岩山の絵を描いてもらいます。それを日本に持ち帰り、岩山の絵の上に日本の子どもたちが動物園で観察しながら描いたユキヒョウの絵を合わせるんです」

研究仲間とキルギスで
標高4,000mを超える高山地域での調査研究は過酷。「酸素濃度が低くて高山病になったり、電気ガス水道もない極寒で冷え性に悩まされたり……。『もう辞めよう』と何度思ったか(笑)。でも、調査と活動を通じて出会った地域のみなさんに会いたくて、日本に帰るとすぐ、あの過酷だけど壮大で美しい岩山が恋しくなるんです」


きのした・こづえ
神戸大学大学院農学研究科 博士後期課程修了。京都大学野生動物研究センター 特別研究員、助教などを経て、2023年から現職。

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