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特集 巻頭対談

日時:2020年12月14日(月) 場所:高等研究院本館 2階ラウンジ

巻頭鼎談

大学の磁場が育てる 独創的な個性と研究

湊 長博
第27代総長

曽我部真裕
法学研究科 教授

深澤愛子
高等研究院 物質−細胞統合 システム拠点(iCeMS)教授

日本において、「研究型大学」としてその存在感を発揮してきた京都大学。
その矜持を胸に、湊長博第27代総長のもとで新たなスタートを切った。
125年近くの間、数多くの学問の潮流を生み出し、サイエンスの世界を揺るがす発見をもたらしてきた。
語り継がれるキーワードは「独創性」。
京都大学の磁場に引き寄せられた個性は、ぶつかり、繋がってこそ、唯一無二の存在へと開花するのだ。

京都大学総長に就任するにあたって、私は「創立の理念を問い直す」、つまり本学の「研究型大学」としてのあり方をもう一度よく考え共有することを重要な課題にしました。京都大学での研究とはどうあるべきかを思索している最中です。しかも、みなさんを巻き込んで。(笑)
国から求められるような成果や実績をあげるだけで、「京都大学」の存在感を保つことはできません。やはり、「独創性」がその核でないといけない。即実用でなくともよいが、新たな価値を創出するものでないといけない。そういう可能性のある成果を生み出し、次にその価値をどう展開させるかです。

深澤私の専門は、新しい物質を分子レベルで創る有機合成化学です。多様な元素の特性を理解して新たな分子を自ら設計、合成しています。このようにして常識破りの新材料を創るのが私の夢であり、生き甲斐です。

自然界には存在しない物質の誕生が期待できるのですね。

深澤エネルギーや環境の問題の解決に、新しい考え方を物質創製を通して提供したいのです。「こんな物質があればいいな」という夢はたくさんありますが、そういうものを創ることがなぜ難しいのかという部分に、サイエンスの真髄が詰まっている。常識の組み合わせだけでは崩せない壁に、どうアプローチするかが私の研究の主軸になっています。

曽我部さんは社会科学が専門ですね。

曽我部法律の中でも、憲法の分野が専門です。自然科学とは違って何かを発見するという理念はなくて、法律が扱う価値の議論が中心です。
 憲法の重要な価値・役割は、個人、家族、社会、国家などのカテゴリーの中で、大事なのは「個人」だと定めていることです。つまり、国家を第一義に規定したことで生じた過去の反省を踏まえて、その延長線上であらゆる人権を保障している。その理解を基盤に個別の事象、主に情報化社会と人権との関わりを考えているのです。
 個人情報のデータは、医学研究などでは巧みに活用されて事象の解明や発見に寄与しています。だけど、好き勝手に利用されると、個人のプライバシーが害される。フェイク・ニュースやヘイト・スピーチにしても、どちらも「表現の自由」の権利かもしれませんが、過ぎると民主主義が脅かされるような悪影響が生じる。注意を促すだけでは限界がありますから、ルールを検討するとか提言や政策を提出するなど、議論を重ねています。

京大発の情報が生み出すトレンド

京都大学、特に人文系の人たちは、社会への発信が伝統的にとても上手でしたね。戦前の京都学派、戦後の新京都学派と呼ばれた人たちは、とにかく発信を重視していた。そうした人たちは、「外に伝えてこそ意義がある」と考えていたようですね。

曽我部学問は、なんらかの形で社会の役に立つべき役割を担っていると思うのです。しかし、すぐに貢献できるとは限らない。そこは長期的な視野で考えてもらわなければなりません。
 数十年前に「男女共同参画」を謳っても、ほとんどの人は耳を傾けてくれませんでしたが、最近になってようやく動き出した。この背景には、長年にわたってこの問題を発信し続けてきたフェミニズムの理論や議論があります。目先の結果を求められることが多いだけに、研究者は長期的な視野の必要性をきちんと説く必要がありますね。

企業は投資者に利益を配当しますが、「15年後に配当します」では誰も投資してくれない。どうしても、短期的な目標にならざるを得ない。国立大学も一部税金で運営していますから、納税者に成果を返すことは当然必要ですが、現実には短期的に返せるものはそう多くない。
 学費を払う親御さんにも、「1年後にはこういう人材になります」とは言えない。「将来の社会において、健全な市民となるよう育てます」と、数十年後の約束をしている。研究も同じですね。「来年にはここまで進歩している」などという短期的な約束はできない。こういうことを納得してもらうには、進捗状況をきちんと情報公開して、丹念に伝えていくしかない。
 大学は「公共の利益」のために存在しています。その活動をステークホルダーである一般市民に向かって伝えるべきだと思うのです。特に中堅や若手のみなさんには、取り組んでいる研究内容や夢なども含めて、外に向けてどんどん情報を発信してほしいのです。これが大学の活気にも繋がる。発信量が増えれば増えるほど、市民を巻き込んでの大きな波になる。

曽我部私は、京都大学学術情報リポジトリ『KURENAI』に、一般向け雑誌に掲載したものなども積極的に登録するようにしています。
 これをツイッターで発信すれば、専門外の研究者だけでなく、学術雑誌にアクセスできない一般の人やメディアの人にも見てもらえる。社会で起こっている問題も、法学の領域との関連で理解する視点を伝えることができれば、学生の視野を広げることにもなる。実社会と教科書とを結びつけて理解するのは案外、難しいですからね。

理系にはそうした情報発信が苦手な人も多い印象ですが、どうですか。

深澤実は、私も活用しています。ツイッターやインスタグラムで、研究者の何気ない日常や研究成果を発信しています。

そうか、使えていないのは私だけでしたか。(笑)

深澤私たちの世代には、SNSで研究成果を発信する仲間は多いですね。海外の研究者との交流にも活用できます。

これまでの京都大学は、研究にも発信にも長けていた。この両輪で学問のトレンドを生み出してきました。トレンドに飛びつくのではなくて、他人が取り組まない領域を発掘していると、いつの間にか新しい道ができてきて、トレンドとなる。そういう流れ、伝統が途切れていないというのは心強い。
 そうはいっても、未知の領域の研究には不安が付きまといますね。

深澤不安は抱えつつ、迷いながらも走っています。そういう中で意識しているのは、違う景色が見える場所に動くこと。同じプロジェクトを5年ほど続けると、いつの間にかトレンドの真っただ中にいたりする。

ありますね。仲間同士の競争が生まれたりして、しんどくなる。

深澤これに気付いたときは、勇気を出して一歩踏み出すときでしょうね。そうでなければ新しい発見はできないし、ましてトレンドなんて生み出せない。

いかにも京都大学的な研究スタイルですね。(笑)
 自然科学の知見を基盤に新物質を創るという深澤さんの発想を聞いて、私の時代とは違う新しい科学が出てきたと感じました。私の時代の研究は、今思えば随分原始的だった。生物がいるという所与の事実があって、専ら、それがどのような仕組みで機能するのかを、事実に即してできる限り正確に解釈し理解しようとするものでしたからね。

右側に写るのが博士後期課程1回生の頃の深澤教授。2004年の夏。実験中の様子を捉えた写真は少なく、貴重な1枚

科学は変容する社会にどう立ち向かえるか

これまでの科学は、論理的に解答を導けば自ずと合意が形成でき、社会の福祉や人類の進歩に繋がりました。ところが、気候変動や大規模自然災害などの現代の重要課題は、そう簡単ではない。科学だけでは解決できない。新型コロナウイルス感染症のパンデミックもその一つの例です。
 合意形成の過程で生じる利害にしても、とにかく多岐にわたる。感染のメカニズムは科学で客観的に問えるが、それだけでは最適解は出せない。そこで、社会科学の出番です。

曽我部研究者は学問的な知見を提供し、政策決定者はその知見を踏まえて、経済への影響などに配慮しながら総合的に判断するというのが適切な姿です。こうしたあり方を確保するような政策決定プロセスの設計が重要ですが、日本はそれが十分でないのが実情です。

政策決定の基準の一つが憲法や法律。パンデミックを経験した現在では、強権的体制と比較したうえで、「民主主義に絶対的な価値があるのか」という議論まで噴出していますね。

曽我部そこは長期的な視野で見ないといけないと思います。民主主義のメリットは、問題点を修正しながら改善していけることです。批判の自由が認められるので、それを受けて修正が重ねられていくのです。また、多様なステークホルダーがいると、一つの決断に得する人、損する人がどうしても出る。これは仕方がないとしても、唯一の正解というものがないなか、なぜその決断をしたのか、その決定プロセスを正しく説明できないといけません。そういう積み上げが選択の正しさを保証するのだという考えもあります。

目の前の課題は一時的に解決できても、民主主義のプロセス自体が崩れるともっとひどい未来がくるかもしれないと。世論調査の集計結果などからは、現代の若者は変化を求めない傾向にあるようですが、どうなのでしょう。

曽我部現状に大きな不満がないことが原因の一つだといわれていますね。変化の結果もっと悪くなることが不安、そういう気持ちの方がむしろ強い。

深澤経済的にも精神的にも、「何かが足りなくて辛い」というハングリーな状態を多くの若い人たちはあまり経験していないのかもしれません。
 そういう反面、研究・学問の面では、大学ごとの気質の違いをすごく感じます。京都大学では、教員が「こうしなさい」と指示しても、学生はまずそのとおりには動かない。よい意味で斜に構えた雰囲気です。自分の頭でしっかりと考えるからこその行動だと思います。十数年ぶりに戻ってきてもこれは変わっていなかった。

それは頼もしいですね。

学生と教員が醸すキャンパスの活気

お2人は、高校時代から必ずしも京都大学的なマインドの持ち主であったわけではないと思います。京都大学の環境で過ごす中で身に付けたマインドのはずです。あちこちからいろんな刺激が飛び込んでくる京都大学の環境は、それだけ貴重です。
 それにしても、オンライン授業でそうした理念を伝えることは、どうしても難しい。もどかしいですね。

深澤オンライン授業が続くとすれば、教員も工夫しないといけませんね。対面授業と同じように90分間一方通行で話し続けるだけでは、学生は退屈も落胆もするでしょう。

謦咳に接する意義をどう代替するかも課題ですね。双方向の情報交換をシステム化するかも難しいですね。

深澤私は同僚と協力して、ラジオのような対話型の授業をしました。1人がメインで講義をしながら、もう1人が質問をしたり茶々を入れたりする。(笑)反応は上々でしたし、何より私たちが楽しい。

オンラインならではの利点もあるのだから、前向きに活用できる方法もあるはずです。講義内容のクオリティをどう上げていくか。

深澤教科書、文献を読むだけでは理解しにくいことを伝えてこその講義ですよね。

学生時代、先行して自分で教科書・文献を読んでいても、一つの言葉の意味が分からないだけで理解が止まったものです。自習は講義ほど効率的ではない。それに、学生同士の人間関係までが分断されていることも重大です。

曽我部京都大学の特徴は、日本の各地から学生が集まっていること。京都は生活コストが比較的安いので、大学周辺に下宿する学生も多い。勉学の場と生活の場とが重なっていて、一つのコミュニティが形成されている。

そういうコミュニティで仲間と議論することが、人間形成や思想形成に大きく貢献する。京都大学は、大人の社会と触れ合える街に出るにも便利な位置にあるから、この効果も大きい。街の活気が大学の活気に繋がる環境は大きなアドバンテージです。

曽我部暮らしがもとに戻っても、オンライン授業を全廃する流れにはならない。見方を変えれば、オフラインならではの特徴を活かしたモデルを再構築する機会でもありますね。

ともかく、これまで学生に不親切な部分が大学にあったかもしれない。私たち教員も学生との接触にもっと力を割く、ともに遊ぶ機会を増やすべきですね。

2005年、医学部での免疫学講義

2018年、本庶佑特別教授のノーベル賞授賞式に共同研究者として同行。山極壽一前総長と3人で特別鼎談を実施したときの1枚

1975年、ニューヨークのアルバートアインシュタイン医科大学に留学。メンターのB.R.Bloom教授(免疫学)と

1969年、医学部1回生。たびたび訪れた真如堂で

発見に責任を負うのは科学者の責務

研究のための技術は非常に進歩しました。よく「この技術はすごいでしょう、こんなことまで分かりますよ」と自慢される。でも、「だからどうしたの?」とも思う。この人は、何に突き動かされて研究しているのか、その原点となる疑問や好奇心がなければ、技術は使いこなせないだろうとも思う。
 随分と昔のことですが、『サイエンス』を発行するアメリカ科学振興協会が「科学」と「技術」とを区別しましたね。科学は、自然の姿を明らかにするもの。技術は、科学の延長線上にあって人間が制御できるもの。大きく違うのは、科学は人間の考え方や行動に拘わらず事実として存在しえますが、技術は人間がそれを「使うか、使わないか」を選択できる。
 核融合反応で爆発が起こる現象は、自然界に存在する事実です。しかし、これを人間が使うかどうか、あるいはどう使うかは技術の領域。決断も含めての技術なのですね。

曽我部善いことにも、悪いことにも使える技術には、ルールの制定が必要。新しく生み出すものに関わった人間の責任はどこまで及ぶかの問題もある。法学の出番です。ただ、AI技術やロボットの研究者には、「法律家に頼めばルールなんかすぐにできる」と考える人も、「法律家が出てくると研究ががんじがらめになる」という反応をする人もいる。法や法学に対する過剰な警戒感や期待があるようにも思われ、学際的なコミュニケーションの難しさを感じるところです。

深澤極端な例ですが、私の研究の過程でも偶発的に毒を生み出してしまうかもしれないという怖さは意識しますね。製造物に、私はどう責任をとれるかと自問する。

ところが困ったことに、毒の一部を使えば難病の治療薬になることもある。研究者はやはり発明・発見の扱い方、責任の取り方まで考えるべきでしょうね。「私の役目はここまで、あとはよろしく」ではすまない。

大学2回生、1994年の夏休みにフランスに一人で1か月の貧乏旅行をした。パリのポンピドゥーセンターから撮影

遠い未来を描くことを原動力に

すると、研究者として実現したい夢は、どういうものですか。

深澤有機化合物を使っての材料の現在の研究は、ホットスポットです。有機ELなど、昔は夢のようだった次世代エレクトロニクスが次々実現していて、すでに社会実装にまで到達しています。でも、「すごいぞ、すごいぞ」と喜んでその改良にばかり取り組んでいてもおもしろくはない。「絶対に無理だよ」と笑われるけれど、私はいつか有機化合物でも使い物になるような超伝導物質ができないか挑戦したいと思っています。現在は無機化合物の一人勝ち状態なのです。夢に繋がる道を本気で描いて、私は研究しています。

そういう熱意と信念があれば、大抵のことは実現できますよ。

深澤誰もが「無理だ」と思うことこそ、挑戦してなんぼの世界です。

大きな挑戦をすると、その道中で必ず、何かが生まれます。本命を外れたところにも期待できる。残念ながら、私のやってきた免疫学のように生命の仕組みをできるだけ正確に理解しようとするタイプの研究者は、大きな夢を描きにくい。ちょっと羨ましい(笑)

深澤でも、ドミノ倒しのように、遠い大きな壁に向かって目の前の小さな壁を一つずつ倒していくという点では、「理解」も「創出」も同じではないでしょうか。

「何を知りたいか」の目標が明確にあれば、すべきことも、手順も見えてくる。先は描ける。そのために資料を集め、勉強もするし、技術も導入する。難しいことを教わるのも楽しい。

深澤そうした道のりを歩める研究ができると、研究者は幸せですね。

曽我部さんの夢はどうですか。法学の世界では難しいのかな。

曽我部対象が抽象的ですから......。(笑)でも、私の理解では、憲法の理念は、「誰もが自分らしく生きられる社会の実現」。社会のルールや法的な制度はそのためにあります。このあるべき姿を、不合理なルールを改善することも含めて追究していきたいと思います。

社会科学の研究は、ただ「自分がどう思うか」というだけでは大きな力にはなりませんね。「社会の仕組みはこうあるべき」と思っても、社会が反応してくれなければ力を発揮しようがない。漠然とした社会と不特定の群集にどう受け入れられるかは、その仕組みも含めての考察と構想力が必要になる。自然科学の研究者のマインドセットは自主と意志の世界ですから、「楽」といえば楽。たとえ「無理だ」と言われようとも、「私はやりたい、やります!」でよい(笑)。
 科学研究は辛酸も舐めながらの世界ですが、どうすればこの楽しさを若い人たちに伝えられるでしょうか。

曽我部研究の楽しさということには限りませんが、法学は実学という側面もありますので、研究の成果、あるいは学生目線でいえば講義で扱ったことが、実際の訴訟や立法でこのように生かせるのだ、と理解してもらうことは意識しています。意欲ある学生には刺激になると思います。その意味では、京都大学に入学すること自体を目的にして入ってくるような学生は困りますね。

本庶佑先生が医学部長を務めていた頃、「京都大学医学部を卒業したことだけが自分のプライドです、と言うことだけはやめてほしい」と卒業訓辞で述べられていたことを思い出しました。
 いわゆる世界レベルの大学には、小さな頃から塾に通っていた学生が多い。これには、それなりの周りの支援が必要であり、もちろん努力はしただろうけれど、自分の力だけでここにいると思うのは大きな誤解です。課題はその先にあると理解すべきです。「ここまできたのだから、転げ落ちないように」では前進はない。

曽我部知識はどんどん陳腐化しますから、絶えず学び続けないといけません。学生の間にそうした姿勢を身に付けてほしいですね。

深澤現状は、「自分には無理だろう」と思い込んでいる若者のなんと多いことかと......。若いときの私にも、やはりそうした面はありましたが、「私がこれに挑戦しても......」と、自分で可能性を狭めるのは、すごくもったいない。得意なことや好きなことがあるなら、その気持ちに正直になって、夢を追いかけてほしい。「叶うかどうか」でなく、「叶えたいかどうか」。

守りはいけないね。夢なんて、「ダメもと」でいいのですよ。


みなと・ながひろ
1951年、富山県に生まれる。専門は医学、免疫学。京都大学医学部卒業。医学博士。京都大学大学院医学研究科長・医学部長、京都大学理事・副学長、プロボストなどを歴任。本庶佑特別教授との共同研究は、新しいがん免疫療法として結実し、本庶特別教授の2018年ノーベル賞受賞にも繋がった。

そがべ・まさひろ
1974年生まれ。出身は神奈川県。京都大学法学部卒業後、司法修習生。2004年、京都大学大学院法学研究科博士後期課程中途退学。同研究科講師、准教授などを経て、2013年から現職。専門は憲法、情報法。情報法と憲法とが交錯する領域に関する諸問題について研究。

ふかざわ・あいこ
1979年、奈良県に生まれる。京都大学大学院工学研究科博士後期課程中退。名古屋大学博士(理学)。名古屋大学大学院理学研究科助教、准教授を経て、2018年から現職。 2019年から京都大学大学院工学研究科物質エネルギー化学専攻協力教員。専門分野は有機合成化学、物理有機化学。

 

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