2020年秋号
京都大学をささえる人びと
坂田文恵さん
大学院薬学研究科・薬学部/有機微量元素分析総合研究施設(元素分析センター)
実験データの正確性は、論文や執筆者の信頼度を大きく左右する。有機微量元素分析総合研究施設(元素分析センター)は有機化合物を構成する元素の種類と重量比率の分析に特化した施設。1960年の設立当初は、分析方法そのものの開発も手掛けていた。化学組成の分析手法や装置の開発が進んだことで、受託件数は減ってはいるが、その一方で、分析の難易度は高まるばかり。 卓越した技術と豊富な経験を有する元素分析センターは、その存在感を増している。
「一度の依頼につき、これくらいあれば〈たっぷり〉な量です」。坂田文恵さんが取り出したのは分析用のサンプル。(写真1)言葉とは裏腹に、小指ほどの大きさのサンプル瓶には黄色っぽい粉がほんの一つまみ。
有機元素分析とは、サンプルを1,000度近い高温で燃焼分解して気化し、発生したガス中に含まれる元素ごとの重量比率を測定する分析手法。とりわけこの元素分析センターは、一般的な炭素や水素、窒素に加えて、他施設では測定のできない酸素やリンなどを含めた10元素を扱う。学外の依頼にも対応する門戸の広さと、一つのサンプルを様々な装置で測り、複数のデータを提供できる多様さが強みだ。
坂田さんは化合物を果物の盛り合わせに例えて説明する。「物質は様々な元素が組み合わさってできています。私たちは、色々な果物が載った大皿ごと受け取って、そのうちのイチゴだけの正確な重量比率を測るのが仕事です。燃えにくいもの、空気に触れるだけで壊れてしまうものなど、分析対象の性質に合わせて上手く燃焼分解が可能な方法を考えます」。
物質を分析装置に入れたらすぐに測定ができるのではと思われがちだが、実際は一筋縄ではいかない。分析装置は生きもののごとく環境の変化に敏感だ。「望ましいのは、温度、湿度、気圧が一定な環境です。加えて日々のメンテナンスも重要で、昨日まで調子が良かったはずなのに油断するとたちまちご機嫌斜めになる。台風が近づく日は分析作業を控え、調子が悪い日は複雑なサンプルの分析は避けます。装置のご機嫌伺いが日々の仕事です(笑)」。電子天秤の値が定まらずに変動し続けるので調べてみると、アラスカで地震があったということも。無機質な装置のご機嫌を感じ取れるのは、毎日接していればこそだ。
装置の扱いに加えて重要なのはサンプルの純度。溶媒や他物質が少しでも残っていると正確な重量比率は測れない。「依頼者から『元素分析の結果が他の測定方法のデータと合わない』と指摘されたときのこと。再測定のために燃焼分解してみると、容器には何も残らないはずなのにキラッと光るものが……。よく見ると熱で溶けたガラス片でした。サンプルの精製に使用したガラス製のろ過フィルターが一部欠損して粉末状になり、サンプルに混じっていたんです」。
分析手法の中でも正確な数値を出すのが難しい元素分析。元素分析センターではサンプルの精製方法の相談に乗るなど、研究者へのきめ細かなサポートにも積極的。「かつては論文に元素分析のデータの掲載が必要でしたが、最近は必ずしも必要とされなくなっています。しかし、元素分析データの載った論文は信頼度が増すだけでなく、〈実験の腕が良い研究者〉という評価も加わり、論文の格が上がるのです」。
パズルを解くようなおもしろさが分析化学の魅力と語る坂田さん。「依頼者が困っているほど私は嬉しい。(笑)難題を抱えるほど張り切ってしまいます。元素分析を続けて20年以上が経ちますが、未だに発見が尽きない不思議な仕事です」。扱いが難しいサンプルの分析にも柔軟に応えるには、個人の力量はもちろん、学内外の技術者仲間との繋がりも欠かせない。「測定方法や装置の不具合など、情報や知恵をギブ・アンド・テイクできる仲間の存在は心強いです」。
設立から60年が経つ元素分析センターはこの分野では言わば老舗。依頼者との信頼関係を壊してはならないという責任は大きい。「『元素分析センターがあって良かった』と言ってもらえるのが何よりの喜び。あらゆる依頼に応えるために、分析技術に磨きをかけて正確さを極めたい。どんなサンプルでも結果を出せる施設だと世に知れ渡らせるのが目標です(笑)」。はにかみながら冗談交じりに締めくくる坂田さん。朗らかな人柄と、どんな変化も見逃さない観察力を頼りにしている研究者はきっと多いはずだ。
さかた・ふみえ
1972年、大阪府豊中市に生まれる。
甲南大学理学部化学科卒業。1996年から現職。