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萌芽のきらめき・結実のとき

2020年秋号

萌芽のきらめき・結実のとき

脳の動きを追跡し 複雑で多面的な人間の本性を描き出す

阿部修士
こころの未来研究センター 准教授

買い物をして、100円多くおつりを渡されたとき、あなたはためらわずに100円を返せますか。「振る舞いは、同じ『100円を返す』。でも、ためらわずにサッと返す人と、『100円くらいくすねても……』とためらいながら返す人とでは、思考のあり方は大きく違うのではないでしょうか」。阿部修士准教授は、行動や思考の個人差を「脳の動き」を通して見つめる。「人間の正直さ・不正直さ」を軸に、 未知なる「脳」の解明に挑む。

私たちの脳は、部位ごとに特有の機能が備わっている。感情に関わる領域や顔認識に関わる領域など、その役割は多様。例えば、大脳の奥深くにある側坐核(図1)は、美味しそうな料理を目の前にしたときや、お金が手に入りそうな状況など、その人にとってプラスの価値を持つ〈報酬〉を期待するときに活動する。「MRIなど様々な手法が用いられることで、脳の各部位の働きは少しずつ明らかになっています。だけど、そこにどんな個人差があるのか、脳活動の個人差が行動にどう影響するのかなど、脳はまだまだブラックボックスです」。

図1

脳の個人差をfMRIで追う

脳活動の個人差を追うべく、阿部准教授が実験に用いたのは、コインの裏表を予測する「コイントス課題」。fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を使い、課題に取り組む実験参加者の脳活動を撮像する。参加者は、コインを投げる前に予測した結果を報告する「(うそをつく)機会なし」条件と、コインを投げた後に予測結果を報告する「(うそをつく)機会あり」条件の二つの条件下で課題に取り組み、予測が当たれば、金銭的な報酬を得られる。「『機会あり』条件では、たとえ予測が外れていてもうそをつけば正解できます。『機会あり』条件の正解率が偶然の確率である50パーセントを大きく上回るときには、報酬を得るために〈うそをついている〉とみなせるのです」。

人間の〈正直さ〉は先天的か、後天的か

中国の歴史に興味があり、東北大学文学部に進学した阿部准教授。入学後は同じ文学部に教室を構える心理学に次第に惹かれていき、大学院以降の進路を決めたが、中国の文献が人間の振る舞いを理解する手助けになることもあるという。

「例えば、孟子が唱えた『性善説』は〈人間が先天的に具有する本性は善であり、成長すると悪行を学ぶ〉というもの。これを〈正直さ〉に当てはめ、〈正直さは自然と発現する〉と考えるとします。一方、荀子の『性悪説』は〈人間の本性は利己的欲望であり、善の行為は後天的取得〉。うそをついて利益を得られる状況では、うそをつくことこそが自然な振る舞いであり、この状況で正直に振る舞うには、〈意志〉が必要なのではないか」。こうした問いに脳の研究から手掛かりを得るべく、コイントス課題の実験を始めた。

実験結果から見えてきたのは、うそをつく割合と側坐核の活動との関係。〈報酬〉を期待する側坐核の活動が高い人はうそをつく割合が高く、活動が低い人はうそをつく割合が低いのだ。

加えて目を引いたのは、理性的な思考や行動の制御を担う背外側前頭前野との関係。側坐核が活発な参加者がうそをつかずに正直に振る舞うときには、背外側前頭前野も強く活動するという。(図2)「まとめると、側坐核の活動が低く〈報酬〉への反応の弱い人は、〈報酬〉を目の前にした条件下でも自然と正直に振る舞える。一方で〈報酬〉をより期待する傾向のある人は、正直に振る舞うときに理性や意志の力が必要だと示唆しています」。

図2 コイントス課題

サイコパスの人たちは、ためらいなくうそをつく?

この研究を発展させたのが「ためらいなくうそをつくサイコパスの脳」の研究だ。感情や良心、罪悪感の欠如などの特徴が認められるサイコパスの人たちは、平然とうそをつく傾向が顕著だと言われている。

サイコパス傾向のある人の割合は、およそ1パーセント。ところが、刑務所に収監される囚人の15〜25パーセントはサイコパスであるとされています。アメリカは刑務所や囚人の協力を得た脳の研究が活発。ニューメキシコ州で囚人たちの脳のメカニズムを研究するグループとともに、67名の囚人にコイントス課題を実施しました」。

予想に反し、サイコパス傾向とうそをつく頻度とに有意な傾向はみられなかったものの、うそをつく頻度の高い〈うそつき〉の参加者に着目すると興味深いデータが得られた。「〈うそつき〉の中でもサイコパス傾向の高い参加者は、うそをつくかどうかを決めるまでが早い傾向にあるのです」。注目すべきは、そのとき、脳の前部帯状回という領域の活動量が低いこと。多くの認知機能に関わる前部帯状回は、葛藤が生じたときに活動する領域でもある。(図3)

「サイコパス傾向が低い人は、葛藤を感じながら意図的にうそをついている。サイコパス傾向が高い人は、葛藤せずに素早くうそをつけると解釈できます。前者を『性善説』的な不正直さだとすると、後者は『性悪説』的な不正直さ。『正直・不正直』の単純に二面で分けられない、多様な側面を行き来する複雑さこそが人間なのかもしれません」。

図3 囚人67名に実施した課題

人間の複雑さを脳から理解する果てしなさ

個々の事例を解明した先に阿部准教授が目指すのは、誰にも普遍的に当てはまり、人間の本性を説明できる概念を見つけること。「いつもは大人しいのに、酔っ払って上司に悪態をつく人を見たとき、私たちは『〈無意識〉の部分に不満が溜まっていたのだな』と思いますよね。人間を理解する方法として、フロイトの提唱した〈無意識〉の概念は賛否両論あるものの、広く共有されています。こうした概念を見つけたいのです。例えば、悪行ばかりの人の、家族に優しい一面を見たときなど、人間の多面性に翻弄される場面に対して、客観的に説明できる視点と根拠を投げかけたいのです」。

大きな夢を描きながらも、「えらい難しいものを研究対象にしてしまった」と茫茫たる脳の研究への実感も口にする。脳の有する機能の果てしなさに直面したのは、15年前、東北大学大学院医学系研究科で脳損傷患者の認知機能を研究していた時期。

「認知症を患い、娘を〈妹〉だと認識している70代の女性の方でした」。家族関係だけでなく、名前や職業などの情報も全て置きかわる症例は珍しくないというが、この女性は娘さんの名前や職業などは答えられるし、「娘」と「妹」の言葉の理解も正確だった。「唯一、家族関係だけが置き換わる、とても稀有な症例でした。これを科学的に説明する術はなかったし、私の生きているうちは難しいだろうとも感じました。こうした僅かな脳のエラーも含めて理解し、説明できるまでは、『人の脳機能を理解した』とはいえないのだと。今でもふとした瞬間に、あの症例を思い出して、ゴールまでの距離を知る日々です」。

あべ・のぶひと
1981年、北海道に生まれる。2008年、東北大学大学院医学系研究科障害科学専攻博士後期課程を修了。同研究科助教、ハーバード大学心理学科/日本学術振興会海外特別研究員、京都大学こころの未来研究センター特定准教授などを経て、2019年から現職。著書に『意思決定の心理学──脳とこころの傾向と対策』(講談社)などがある。

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