対談日:2020年1月9日(木) 場所:旭化成株式会社 本社 応接室
特集 巻頭対談
吉野 彰
旭化成株式会社 名誉フェロー(左)
山極壽一
第26代京都大学総長(右)
山極●ノーベル・ウィークの時期、12月のスウェーデンは寒かったのではないですか。
吉野●総長から事前に、「寒いから気をつけろ」とアドバイスをいただいていましたから……。12月のスウェーデンはほとんど曇天ですが、授賞式の10日だけは晴天でした。気温も暖かくて、現地の方も「こんな天気はめったにない」と。
山極●1年前に受賞された本庶佑さんのお供をしましたが、授賞式の日は雪でした。ものすごく寒かった。(笑)
ノーベル・レクチャーでは、やはりノーベル化学賞を受賞された福井謙一さんのお話をされましたね。吉野さんは福井さんの弟子の米澤貞次郎さん(京都大学名誉教授)の研究室のご出身で、学生時代には福井さんの講義も受けられたとか。
吉野●ええ、福井先生の孫弟子にあたります。私の開発したリチウムイオン電池も、ルーツは福井先生の理論にたどり着くのですよ。
福井先生は「フロンティア軌道理論」の功績で、1981年にノーベル化学賞を受賞されました。それから19年後の2000年に、福井先生の理論にもとづいてポリアセチレンという導電性の化合物を発見された白川英樹先生(筑波大学名誉教授)がノーベル化学賞を受賞された。それから、やはり19年後に同じ賞を受賞したのが私です。(笑)
私も、1980年代初め頃はポリアセチレンを研究していたのですよ。小型軽量で大容量の新型の二次電池の需要が高まっていた時期で、新しい電池の電極に使える素材に研究者たちは頭を悩ませていました。私はそれまでの研究をとおして、ポリアセチレンが負極に使えると考えたのです。ポリアセチレンにはさまざまな機能がありますが、私はこれを「新型二次電池の負極」にターゲットをしぼって攻めようと電池研究に方針を変えて、それで1983年にリチウムイオン電池の原型ができた。
福井先生の理論研究は、基礎研究中の基礎研究。白川先生はこれをもとに具体的な化合物を見いだされ、産業界の私がそのバトンを受け取ったということです。産学連携の1つのパターンだと思います。この間に38年を要しましたが、福井先生の基礎研究がなければ、このリチウム電池は生まれなかった。
山極●3世代をかけて、電池エネルギーの世界を変えることになったのですね。
吉野●「19年」という数字は、まったくの偶然でしょうけれどね。(笑)これから19年後の2038年にノーベル賞を授与されるのは、リチウムイオン電池や蓄電技術を応用して、エネルギーと地球環境にブレークスルーを起こす研究ではないかと期待しています。(笑)
山極●日本は産業界でのイノベーションがなかなか起こらず、世界に遅れをとっている現状があります。その産業界からは、「大学はもっとイノベーションを意識する人材を育てるべきだ」と指摘されています。大学のシーズをいかに産業界で実装に結びつけるのかは課題ですが、吉野さんはそれを実践し、環境問題にも大きな威力を発揮された。
吉野●大学での研究のパターンはだいたい3つ、純正の基礎研究と応用研究、開発研究です。産業界もほぼ同じで1、2人が基礎研究に携わり、次につながる可能性のあるものを見つけたら、開発の研究者が世の中に出せるレベルに改良する。その先が、世の中にマーケットを立ちあげる事業化研究です。
どこまでが大学の役割で、どこまでが産業界の役割なのかは、あまり明確ではないのですが、私のイメージでは産業界の基礎研究は大学の応用研究と重なりあう。アカデミアで生まれたものを産業界の研究者が基礎研究として取りあげ、マーケットにまでつなぐ。大学での開発研究・事業化研究は難しいでしょうからね。
山極●マーケット作りから始めることになりますからね。(笑)
吉野●マーケットを生みだすには、5年、10年先の世の中がどんなものを必要としているかを的確に予測しなければいけない。産業界の研究者の一番の悩みどころです。日ごとに変動しますから、予測を的中させるのは難しい。(笑)
山極●しかも、大学には事業投資をするようなシステムはない。
吉野●ですから、大学では人の役に立つことを考えず、真理や個人的な好奇心を徹底的に探究してほしい。純正の基礎研究から画期的なものが見つかる確率は低いかもしれませんが、100人に1人くらいは当たりくじを引くはずです。産業界はそれを待っています。白川先生が大学でされたような応用研究も、それをどう製品にするかを考える必要もない。それは産業界が進めればよいことです。
山極●吉野さんは、京都大学の学生時代は考古学研究会に所属しておられて、「研究も考古学も〈宝探し〉だ」とおっしゃったのですね。(笑)
吉野●私の学生時代には、専門分野以外のことも積極的に身につけるべきだという風潮がありました。ならば、私の専門から最も遠い場所にある考古学がおもしろそうだと……。(笑)
研究のアプローチにも参考になるのが、発掘のトレンチ調査です。トレンチは「溝」のことです。「このへんに遺跡らしきものがありそうだ」と調査をするときに、むやみに掘っては遺跡を潰すことにもなりかねない。まずは、幅1メートルくらいの溝を東西南北に四本掘ります。すると、「ここはなにもない」、「ここではかけらが見つかった」と目星がつきます。これを繰り返して全体像を把握し、宝物のある場所をしぼり、全面発掘するのです。
山極●私はゴリラを観察するとき、大きな問いと小さな問いとを頭の中に浮かべてから始めます。すると、思いがけない発見があるのですね。溝を掘るというのは、私の大小の問いをつなぐような話ですね。研究や開発には、小さな発見をつなぎながら大きな問いに結びつける作業が必要。これをおもしろがるようでないと、研究はできない気がします。
吉野●そうだと思います。その一方で、なにもないことを証明することも大事です。実験でネガティブ・データが出るとがっかりしますが、なにもないことがわかっただけでも進歩ですから。
山極●それを失敗と呼んではいけない。期待した結果が出ないのも結果。これまで思い描いていた事象が間違いであることを発見したということです。
吉野●若い人には、自分なりの仮説をたてるトレーニングをしてほしいのですよ。1、2年で結論が出るような仮説がよい。たとえば、2020年の東京オリンピックで、「今は無名の日本人選手から、金メダルを取る人が1人出る」という仮説。(笑)伸びざかりの10代で、オリンピックのときに成長がピークになる選手がいるのではないかと。これは半年後に答えが出ます。そうした選手が出なければ、どこが間違っていたのかを考える。
山極●スポーツや芸術の世界では、幼い頃に才能を見いだされ、1つの方向に努力するようしむけられたりしますね。しかし、学術の世界はマラソンのようなもの。いつどんな発見があるのか、どんな能力が発見に結びつくのかもわからない暗中模索の道。いろいろな道のりを頭に浮かべ、多様なことに挑戦するしかない。
吉野●たしかにマラソンです。
山極●私は自分なりの問いを立てて、その答えを見つける作業を繰り返します。うまい問いを立てれば、よい答えが返ってくる。そんな訓練を続けてきたのですが、吉野さんはいかがでしたか。(笑)
吉野●私は、大阪の吹田市の千里山の生まれ。1970年の日本万国博覧会の会場になる前は竹やぶばかりで、トンボ釣りやカブトムシ採集をして遊んでいました。その頃に、なんとなく問いかけていたのは、「どうしてトンボは池の周りをまわっているのだろう」とかね。
山極●ふしぎに思ったり、疑いを持ったりと、関心が拡がった……。
吉野●好奇心が、子どもの私のエネルギーでしたね。
吉野● ノーベル賞の受賞者は、ノーベル・ウィークの期間中にスウェーデンの小中高校をまわり、生徒にレクチャーする役割があります。私は四校を訪ねて、リチウム電池と環境問題について、「将来、こんな世界が可能になる」というシナリオを動画で伝えました。「すばらしい世界だ」、「楽しみだ」という反応を想定していたのですが、返ってきたのは「安心した」、「ほっとした」という言葉。環境問題に恐怖心を抱いているのですね。
山極●吉野先生が京都大学の修士課程を修了されたのは1972年。私が京都大学に入学したのが1970年です。1970年の日本万博をはじめ、科学技術に大きな期待が寄せられていた時期でしたね。未来に希望を抱きにくい現状と、私たちの青春時代とは大きく違っていますね。「ほっとした」という気持ちもわかる気がします。「社会も経済も、地球環境までも悪くなっている」という時代の気分に、今の若者は直面しています。
吉野●地球環境問題の抜本的な解決方法は「人類が滅亡することだ」という言い方もあるくらいですからね。
山極●人口が減れば、地球の負担も軽くなります。
吉野●とはいえ、大人には今日、明日の生活がありますから、ホンネとタテマエとを使い分けることも必要。子どもたちは、ヒトとして生まれたことが地球環境に影響を与えている事実に、「この先、生きていてもよいのですか」という素朴な疑問を持っている。いずれにしても、道筋だけは示してあげたいと思うのですよ。
山極●リチウムイオン電池には、太陽光や再生可能エネルギーと組み合わせることで環境問題を解決するイノベーションを起こすのではないかという期待があります。1973年にエルンスト・シューマッハーが、「スモール・イズ・ビューティフル」という言葉で、世界にパラダイムの転換を呼びかけました。石油や石炭に依存する社会に警鐘を鳴らしましたが、リチウムイオン電池はまさに「スモール・イズ・ビューティフル」。
吉野●「産業革命」という言葉には、みなさんどちらかといえばネガティブな印象ですね。産業革命とともにCO2の濃度が増えたのは紛れもない事実で、科学技術への不信感を多くの人が共有している。しかし、今後の人工知能やIoT技術などによる第4次産業革命は、環境対策の大きな武器にもなると思うのですよ。
山極●蒸気機関という新しいエネルギーで生産力をあげるのが第1次産業革命でした。それが過剰になり、大量生産・大量消費の第2次産業革命をへて自然資源を痛めてしまった。次はバランスをうまくとりながら、循環させる時代です。
吉野●「地球環境にやさしい技術・製品が必要」なことは、みなさんが納得している。しかし、この思想にもとづく製品がなかなか広まらない。値段が高くなったり、すこし不便になったりするからですね。この点を調和させれば、「地球にやさしい技術・製品を」との提唱に、誰も文句をいわないはず。それが技術であり、イノベーションです。
山極●「理想ばかり言われても困る」という声は、たしかにある
吉野●そう、このバランスがとれた世界を生み出すことが大事です。
吉野●先日、テレビ番組で青山学院大学陸上競技部の駅伝選手の1人から質問を受けました。彼は、卒業後は陸上を引退して就職するそうです。ついては、「これまでとは違う場所で、新しい道に挑戦する怖さに、どう向きあえばよいのですか」と。「将来のゴールを作ってはどうですか」と、私は瞬間的に答えました。
駅伝もマラソンも、明確にゴールが決まっています。ゴールを設定すれば、人生は駅伝と同じ。壁に何度もぶつかると嫌になりますが、ゴールがあれば壁を乗り越えただけゴールに近づく。すると、早く壁がきてほしくなるし、壁にぶつかることも前向きに捉えられる。
山極●私は逆に、まったくゴールがないタイプ。(笑)壁にはよくぶつかるのですが、壁があるということは、「この先にきっとおもろいことがあるに違いない」と思ってしまう。自分を変えるチャンスだと。その結果、めざすゴールが近づく、あるいは探していたゴールが見えてくる。
吉野●なにかをひらめくには、まずは真剣に壁と向きあうこと。もちろんベースとなる知識は必要です。私の学生時代は、こぞって福井先生の研究されている量子力学に憧れ、授業を受講したものです。当時の最先端の学問領域でした。すると、福井先生に叱られた。(笑)「お前たちは言葉に惑わされている。まずは古典力学を勉強せぇ」。古典力学をマスターせずして、量子化学は理解できないと。
知識をベースに向きあった先に、「火事場の馬鹿力」でひらめきを見つけるパターンもあれば、とことん考えてもうアカンとボーッとしているときにアイデアが生まれることもある。(笑)
山極●しゃにむに対象と向かいあっても、にっちもさっちもいかない。だけど、「ある日、天からふっと答えが降りてくる瞬間がある」とよくいわれますね。
吉野●総長も同世代だと思いますが、私はニューミュージック世代なのです。(笑)
山極●そうです。(笑)
吉野●ニューミュージックは、松任谷由実など自分で作詞・作曲をするシンガー・ソングライターが中心のムーブメントです。自分で楽曲を作るから、個性的で独創的なものが生まれる。これは研究者も同じです。それに、世の中の人を共感させる曲を作る。研究者も同じく、世間の人たちが欲し、必要とするものを見つけなければなりません。きっと彼らがメロディを作るときも、なかなか出てこないから嫌になって、ボーッとしたときにひらめいたりするのだろうと。(笑)
山極●リチウムイオン電池の基礎を発見されたときも、そんな感じでしたか。
吉野●そうだったかもしれません。「セレンディピティ」という言葉がありますね。予想外の宝物に偶然に出会うような意味ですが、一般的に理解されている意味とは、ほんとうは違うと思うのです。目の前には、万人に同じ情報が飛び交っているのですが、普通の人は素通りしてしまう。けれど、真剣に取り組んで悩んでいる人には、その情報は天が与えてくださったかのように突如として降りてくる。
山極●こだわっているからですね。
吉野●そう、せっかくの情報がただ通りすぎるか、セレンディピティになるか、あるいは天から降りてくるかは、こだわりや問題意識しだいということですね。
山極●吉野先生に、次のゴールは見えていますか。
吉野●ノーベル賞の受賞理由は、リチウムイオン電池のモバイルIT社会への貢献と、リチウムイオン電池を使ったエネルギー問題の解決にふれられています。前者はすでに完成していますが、後者はまだですから、「次のマラソンレースに出場しなさい」といわれている気持ちです。(笑)これをいろいろな人たちと協力して考えるのはとっても楽しみ。
持続可能な社会とはなにか。それをどう進めるのか。答えは簡単です。地球環境やさしく、なおかつ安価な製品・技術を作ること。これが難しい。それでも、技術の力を借りれば実現できるはずです。リチウムイオン電池だけでなく、人工知能やIoT技術など多くの技術の力を借りて、誰も文句のない持続可能な社会をめざす。多様な人たちと考え方をぶつけ、意見を交わしながら、誰かがなにかをひらめくことに貢献したい。それが私の次のゴールです。
山極●技術は可能性を拡げます。技術の組み合わせは新しい世界を生みだしますが、組み合わせ方を間違えるとえらいことになる。(笑)ぜひ、そうしたことを大きな声でおっしゃっていただきたいです。
吉野●はい。それがこれからの私のミッションだと思っています。
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