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主役は表現・創作活動に励む学生たち。
一つの作品を起点に、
「いろ・おと・ことば」のバトンをつなぎます。
感化され、刺激され、ときには反発をしながら、
生み出された作品のコラボレーションを
お愉しみください
演奏者:リコーダー同好会
「音楽の父」と称されるJ.S.バッハが、2台のヴァイオリンのために作曲した協奏曲。高音が頻出し、演奏者は指だけでなく足をも駆使して演奏することになるため、高い技術が求められる。二つのパートによって交互に奏でられる旋律の響き合いに注目してほしい。
書道部 原 誠人さん
(京都大学大学院理学研究科 修士課程1回生)
(expression)とは内に迫り来し(impress)ものを外に押しだす(express)ことと思います。「私は何を感じたか?」を詩書全体で表したかったのですが、未熟にて腹ふくるる出来。精進します。
点訳サークル
書はそのかすれ具合、字の繋がりなどから、見る人の想像力をかきたててくれます。一方、点字は単調な文字の並びです。書かれている内容だけでなく、その書きぶりも点訳する、そうすることで(「おと」と相まって)「いろ」の印象を少しでも伝えられたら幸いです。
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演奏者:リコーダー同好会
書道部 藤井基弘さん
(京都大学大学院地球環境学舎 博士課程修了)
宮澤賢治のこの詩は、「音(声)」が外部に向かって発せられたものでなく自分自身の胸の内に大きく放たれた「音(声)」だと私は解釈します。
「重み」をもった「音(声)」の響きを私は感じます。
第三者に向けて発せられる「音(声)」でない「音(声)」も存在するものと考えます。
京大の書道部の夏・冬の展覧会に今まで、楷書、草書、篆書、隷書体などを出展してきました。今回、調和体(漢字かな交じり)には取り組んだことがなかったので今回が初めてです。私がこの詩を書くにあたって工夫したのは、段落をどこで区切るかという点でした。
この詩には、自然の中で、人間がいかに小さいものかを謳っており、日々の生活は質素で、何事も、自分が一番最初だという「我」を捨て、控えめな存在におり、「隣人愛」を率先して実行しょうと謳っている
―こういう者に私はなりたい!―と
点訳サークル
※ 助詞の「は」は、点字では「わ」を打つことになっているので、
墨字の部分も一応「わ」と表記しました。
書は、意味内容と筆跡が互いに影響しているように思います。ただ、その関係についての個人的な解釈は点字で伝えることではない気がして、視覚に訴えてくる情報を、できるだけ簡潔に表現するよう努めました。
書道部 藤井基弘さん
(京都大学大学院地球環境学舎 博士課程修了)
ひっそりと奏でられていて、朴訥な演奏が感じられます。「風楓夜泊」から聞こえてくる「鐘」の音と重ねて聞いても違和感がしませんし、むしろ適合感すら感じます。
この漢詩は、我々日本人が年末に聞く「除夜の鐘」を聞く様子と同じような気持ちを彷彿させます。月が沈み、しんしんと夜が更ける頃、漁火を望む河岸近くの船に、霜が降り冷気が漂い、寒山寺で打たれる鐘の音が伝わってきた、というものです。
私は、この作品を京大書道部の2015年の冬樟展(於・建仁寺)に出品しました。1994年夏に、ミネソタ州のミネアポリスのコンコルディア言語村に日本語を教えに行きました。夕食後約一時間、大食堂で約120人の小学生から高校生のアメリカ人に書道を教えました。これがキッカケで私は書道にのめり込みました。その時、他人に教える以上或る程度自分自身に「書道」に関する知識・経験が必要と思いました。丁度、職場からの帰路の途中に「書」の個展を開いている方があり、事情をお話しその方の教室に通うことになりました。その後、2000年夏に蘇州に三週間「書」の勉強に行きました。その時に「寒山寺」を訪れたのです。
こういった事情で、私の書道部の初出展にこの漢詩を選んだのです。