2018年11月28日(水)3限
授業に潜入! おもしろ学問
中家 剛教授
大学院理学研究科
私たちの体をはじめ、すべての物質は原子から成り立っている。「量子」とは、原子やそれを形作る電子、陽子、中性子、さらに小さなニュートリノやクォークなど、私たちの暮らす世界とは異なる法則が働く粒子のこと。その法則は「量子力学」と呼ばれ、物理学の中でもとりわけ難しい分野とされる。
量子力学の扉をいきなりノックする前に、まずは物理学が積み上げてきた歴史や、量子の発見が世界に与えた衝撃に目を向けてみよう。目に見えない量子たちのイメージが頭の中で動き出したとき、世界の見方が変わるはずだ。
授業で取り上げる「シュレディンガー方程式」は、量子力学の基礎方程式です。量子力学は、分子や原子、電子といった小さな世界(①)の物理現象を記述する学問です。肉眼では捉えられない小さな世界の話ですが、身の周りは量子力学でなければ説明できないものばかりです。
太陽は光を発します。物を燃やせば、炎が辺りを照らします。おそらく太古の時代から、こうした経験を通して、光の存在は人びとに認識されていたはずです。17世紀になると、光の正体を探ろうと、アイザック・ニュートンをはじめ、名立たる科学者が実験を重ねましたが、決定的な確証は見つからないままでした。物体がなぜ光を発するのか。これが説明されたのは、1905年に「量子力学」が誕生してからのことです。
量子力学の話をする前に、その基本となる物理学の世界を紹介しましょう。私たちの暮らす世界の仕組みを表す最も基本的な方程式は、ニュートンの導き出した「ニュートンの運動方程式(ma=F)」です。
物理は意思のない〈もの〉を扱います。人間のように意思を持ち、自由に動きを変えるようなものは扱えません。〈もの〉の持つエネルギーと運動量から、ある時間がたったあとに〈もの〉がどこに移動しているのかを記述するのが運動方程式です。mは〈もの〉の質量、aは速度の時間変化を示す加速度です。
たとえば、時速60キロメートルというのは、1時間後に60キロメートル先にいることです。当たり前のことに思うかもしれませんが、視点を変えれば、方程式は「未来を予測する」ものであるともいえます。過去に起こった〈もの〉のふるまいもわかります。たとえば、ビックバンの起こった時点を起点にして、その後に起こる動きも予想できるのです。
1900年に量子が発見されるまで、運動方程式はどこでも成り立ちました。運動方程式を使えば、惑星やロケットの打ち上げ、車の走行など、いろいろなものの運動が説明できました。ですが、原子の世界では、この方程式が成り立たなかったのです。これは物理学における大問題でした。
もう少し具体的に説明しましょう。物理学には、粒子性と波動性という概念があります。運動方程式でものの動きを考えるときには、粒がここからここに動くというように、〈もの〉を1つの粒として考えます。これは粒子性の考え方です。
波動性は、粒子や場の振動が伝播する現象です。波は固体としては存在しませんが、波がどんなスピードで、どこを通過するのかは観測可能です。3次元の位置と時間を決めれば、波がどこから来て、どこに行くかを説明できるのです。地震の震源地を特定できるのは、こうしたことを示す波動方程式をもとに解析しているからです。
では、光は波か、それとも粒子なのか。この問いを巡って、過去に大論争が起こりました。はじめは波だとする主張が優勢でした。回折現象(②)が起こるからです。ところが、1888年にヴィルヘルム・ハルヴァックスが「光電効果」という現象を発見しました。1905年には、アルベルト・アインシュタインが「光電効果理論」を発表し、物理学者たちの認識を大きく変えることになりました。
この現象を海に浮かぶブイに例えて考えてみましょう。(③)波が来ると、すべてのブイが一緒に動きます。しかし、船や人などの個体が、1つのブイだけに衝突すると、そのブイ1つだけが大きく動きます。私たちの体を含めた物体の内部もこのブイと同じで、たくさんの電子が集まっています。光が波ならば、物体に光をぶつけると、すべての電子が同時に動くはずです。しかし、この実験では、光を当てた物質から、電子1つが飛び出したのです。
こうした実験によって導き出された解は、光は粒子と波動、両方の性質を併せ持つということです。目に見え、耳に聞こえ、手に触れられるマクロな世界には、両方の性質を持つものはありません。粒子がたくさん集まれば波動性を持ちますが、粒子1つで波動性を持つものは存在しないのです。そうして、波動性と粒子性を併せ持つ「量子」という概念が誕生しました。
万能だと思われていた運動方程式は、量子の世界では成り立ちませんでした。物理学者たちは、「粒子と波動の両方の性質を持つ方程式があるはずだ」と試行錯誤しました。そして、1926年に提唱されたのが、エルヴィン・シュレディンガーの提案した「シュレディンガー方程式」です。この方程式を解けば、原子がどのようにふるまうかがわかるのです。
量子は、あるときには波のように形がないものに見えるし、また別のときには点のように見えるという両面性を持っている。「さまざまな条件によって、波のようにふるまうこともあるし、粒子のようになることもある。観測されるまでは、波のようにふるまっていると考えてもいいと思います」
量子の世界を理解するうえで、シュレディンガー方程式の他にもう1つ、外せないのはアインシュタインの「相対性理論」です。これは物理学にとって、とても重要な理論です。
私たちは(xyz)の3次元の世界に住んでいます。物体ならば、幅、奥行き、高さという3つの指標です。ところで、次元とはなんでしょうか。みなさんはどのように理解していますか。(④)
人との待ちあわせを例に考えてみましょう。3次元で位置を指定すれば、待ち合わせ場所は指定できます。でも、それだけでは不充分です。大切なのは「時間」です。会う場所を決めても、日時が違えば、相手とは出会えない。言い換えれば、3次元の場所と時間さえ決めれば、必ず落ちあうことができるのです。
これは、量子を扱う場合も同じです。2つの原子がぶつかったときの反応を調べたい。それには、待ち合わせの例と同じく、(xyz)の座標と時間の情報が必要なのです。そこで、アインシュタインは(xyz)の座標に4つ目の次元、時間tを入れて、方程式を立て直したのです。
私たちは、どんな場所、どんな状況でも時間の流れは一定だと思っています。これは絶対時間と呼ばれる考え方です。古典物理学の方程式はこの考え方にもとづき、3次元座標だけが違うとして考えていたのです。
相対性理論は、時間は相対的なものだと考えます。物体が止まっていれば時間の流れは同じだけれど、動いているときには3次元座標だけでなく、時間の流れ方もそれぞれ異なっているという考え方を導入しました。(⑤)
これは、物理学の常識を覆す発見でした。
量子力学では、原子の動きをより正確に記述するときに、相対性理論と量子力学とをあわせた相対論的量子力学を使います。シュレディンガー方程式に相対性理論を組みあわせれば、さらに新しいことがわかる可能性を秘めているのです。これはすでに、「Dirac(ディラック)方程式」で表現できることがわかっています。
授業では、シュレディンガー方程式が生み出された過程を、順を追って説明します。大学受験を照準にした勉強では、みなさんはきっといくつかの方程式を暗記して、「この問題はこの方程式を使えば解ける」と考えていたはずです。なぜその方程式が出てきたのかを考えたことはありますか。物理学の方程式の解は、イメージと式とが合致してはじめて理解できます。波の方程式を解いたからといって、波を理解したことにはなりません。方程式の解は、イメージを助ける道しるべとなります。
たとえば、波はサインカーブで表現されます。サインカーブから、海面に波が起こる現象をイメージしてみましょう。海の水はたくさんの原子が集まってできています。この原子が風などの影響で一方向に押されると、原子と原子の幅が狭まり、その間にある原子は、スペースをなくして上に持ち上がります。その後、もう一方向に押されると、今度は原子と原子の間に隙間ができ、原子は下に下がる。こうしたイメージが描けてはじめて、波がどのくらいの速度で動き、どれくらい揺れるかを表した波の解の式も理解ができるのです。(⑥)
さて、これまで説明してきたことは、量子力学の入り口です。シュレディンガー方程式の扉を開けて、量子力学の世界に足を踏みいれてみましょう。シュレディンガー方程式が理解できれば、身の周りの量子力学の現象のほとんどは説明できるようになります。
授業に潜入!
シュレディンガー方程式の成り立ちに迫る前に、粒子性と波動性をおさらいしましょう。
粒子が伴う性質は、質量や速度、エネルギー、運動量です。エネルギーというのは、「何にどれだけの仕事をさせられるか」を測るものさしです。お湯を温めたり、モーターを回転させたりするその量がエネルギーです。運動量は、「どのくらい重いものが、どのくらいの速度で動いているか」を示すものです。
波の伴う性質は、波の山がいくつあるのかという波数ベクトルk や周波数ωです。これらを表す波動方程式を解くと出てくる解が平面波の式です。海の波のように平行に進む波を「平面波」といい、波を理解するための最も重要な性質です。
粒子性と波動性との関係は、アインシュタイン─ド・ブロイ関係式で表せます。
頭の準備体操が終わったところで、いよいよシュレディンガー方程式を考えましょう。小学校の算数の授業でも、平面の図形よりも、立体の図形を考えるときは式が複雑になります。物理学でも同じです。はじめは、1次元から考えてみましょう。
量子は波と粒子の性質を併せ持つので、波の関係式を使って、粒子の情報も含め、方程式を考えてみましょう。つまり、波の関数から、エネルギー(Ε)と運動量(p)を引き出すのです。平面波の式を使い、簡略化するために関数ψ(プサイ)で表しましょう。
Ê はエネルギーではなく、あくまでも演算子です。エネルギーΕは決まった値を持ちますが、Ê は値ではなく、時間の偏微分をするという演算子です。これで、粒子と波の2つの性質を持つ量子を取り扱うことができます。
こうして導き出された式こそが、シュレディンガー方程式です。ここに出てくる関数ψをシュレディンガー方程式では、「波動関数」とよびます。この波動関数をさまざまな状況に当てはめて解けば、量子のことがわかるのです。たとえば、3次元で位置エネルギーV ()を電磁力のポテンシャルに変えて、方程式を解けば、電子の状態を表す原子軌道が導きだせます。
説明を聞いただけでは、演算子やψが表すものを理解するのは難しいでしょう。はじめて習った概念をすぐに理解できないのは当たり前のことです。大事なのは、方程式がどのように量子のふるまいを記述しているのか、視覚的にイメージすること。方程式で書かれていることを等身大の世界に当てはめて考えることが重要なのですが、この宇宙がどう変化するのか、現象がどうふるまうのかをイメージするのは、30年物理学に携わっている私でも一筋縄にはゆきません。でも、科学者を続けていると、これまでとは異なる見方で世界を捉えられる瞬間がやってきます。量子力学はとりわけ、そうした瞬間にたくさん出会えるおもしろい学問です。ちょっとやそっとでは出会えないからこそ、やめられない。わからないままでも、考え続けることが科学者には大切です。
なかや・つよし
1967年、大阪府に生まれる。大阪大学大学院理学研究科博士後期課程修了。2009年から現職。2008年から東京大学カプリ数物連携宇宙研究機構の客員上級科学研究員。加速器やスーパーカミオカンデを用いたニュートリノ実験に取り組んでいる。
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