2016年秋号
萌芽のきらめき・結実のとき
益田玲爾
(フィールド科学教育研究センター 海域ステーション 舞鶴水産実験所長/里域生態系部門 准教授)
「潜って考え、潜ってヒントをさがす。潜ってナンボ」。焼けた肌に白い歯をのぞかせ笑う益田玲爾准教授の研究フィールドは海の中。実験所の眼前に拡がる舞鶴湾や若狭湾、ときには太平洋側の気仙沼などにも遠征し、年間に80回以上も潜って、自身の目で海の生態系を調査する。そのかたわら、日本で唯一の「魚類心理学」の看板を研究室にかかげ、心理学の実験手法をつかい、魚の情動や学習機能を研究。「魚がなにを考えているのか」をひきだそうと、日々、魚と対峙する
「きょうは福井県高浜町の音海の調査でした。13年前に調査に訪れた音海に潜ったときに南方系の魚が多いと気づいたのがはじまり」。不思議に思い、地元のダイバーに尋ねると、「高浜原発の排水で、海の温度が高いからね」と教えられた。「たしかに海水温が2度上昇していました。寒いはずの冬でも、南方系の魚が多いのです」。
変化が起こったのは、調査をつづけて9年めの2012年。東日本大震災の影響をうけ、高浜発電所が運転を停止。「とたんに海水は冷たくなり、南方系の魚は死滅しました。温排水の流れこむ場所が局所的に温暖化をして、本来はいるはずのない南方系の魚が住みついていたと考えられます。人為のおよばない気候変動だけでなく、人間のふるまいも生態系に大きな影響を与えるのです。音海の変化を記録すべきだと、月にいちど潜っています」。
海水や海底の砂や泥にふくまれる生物の粘液やフンをこしとり、DNAを分析することで、そこにどの生物がどれくらい生息するのかをあきらかにする「環境DNA」という手法を取り入れている。砂や泥は水よりも長い年月の生息データを保持するため、「現在の音海には温帯の魚しかいませんが、砂中には原発稼働中の魚の痕跡がのこっているかもしれません。生態系の変化も、砂や泥だけでわかる可能性があるのです」。技術は発展途上だが、手ごたえは上々。「人が潜れない場所も、水さえあればどんな魚がいるのかわかるかも。そうなれば、潜る必要はなくなると思うと、進歩しすぎるのもさびしい(笑)」。
魚との出会いは幼少期の海水浴旅行。「出会った漁師さんが貸してくれた箱メガネで海中をのぞくと、白黒の縞模様の魚が泳いでいた。あとでイシダイだと知るのですが、『海の中はなんてすてきなんだ』と心が躍って以来、海のとりこ」。
好奇心は人一倍だが、勉強はとにかく苦手。「計算も国語もだめで、成績はいつも後ろから5番以内」。そんな少年を勉学の道に導いたのも、イシダイだった。「小学三年生のころ、『イシダイしまごろう』という本に出会い、読む楽しさを知りました。読解力がついて、算数の文章題ができるようになり、成績がのびた(笑)」。
研究者を志したのは、小学校高学年。テレビで放映されていた『クストーの海底世界』で海洋生物学者の仕事を知り、「夢みたいな仕事だ」と将来の夢リストに追加した。「『ブラックジャック』を読んで、医者にも憧れていました。将来は離島でウミガメを眺めながら医者をするぞと。そのご、医学部の見学にも行きましたが、キャンパスは内陸で海が遠いのが難点で……」。
しかし、医者への思いも捨てきれず、どっちつかずのまま一浪。二度めの受験も悩んだ末、「海に近い大学なら、海洋生物の研究者もいるはず」と静岡大学の理学部生物科に進学。「医者よりも海洋生物学者となった自分の姿のほうがはっきりと思い描けた。得意だった生きもの採集と観察に人生をかけてみようとようやく腹をくくったのが20歳。でも、入学すると海の研究者は一人もいなかった(笑)」。
ダイビングを覚えてみずから捕獲した魚をテーマに、なんとか卒業論文を書きあげ、大学院はウナギ研究の第一人者として知られる東京大学の塚本勝巳先生の研究室に進学。「のちに大きな発見をされますが、当時は、『これだけ調べても、わからないことばかりだ』という論文を書いておられた。未知の領域が多くあるなら、大発見のチャンスもたくさんあるはずだと決断しました」。シマアジの群れ行動を研究し、いまにつながる基礎を積みあげた。「ふり返ると混乱つづきでしたが、めざす将来像を信じてすすむと、思い描いた夢の半分は実った。上出来でしょうか」。
「魚には表情がありませんが、エラが動いていると不安な状態にいるなど、反応から情動がわかるのです」。「魚類心理学」の看板を掲げ、心理学の実験手法をもちいた魚の認知、発達研究もすすめる。
注目したのは、芸を覚えるなど、かしこい魚として知られるイシダイ。「イシダイは成長後、産まれた沖合から沿岸に移動します。たどりついた磯で得られるエサの種類に応じて柔軟に行動を変える必要があるため、学習能力が高いようです」。
構造物を置いた水槽と空の水槽とでイシダイを泳がせると、構造物のある水槽で泳いだイシダイは物を避けることで脳が刺激され、かしこくなることが実証された(図1、2)。「ふと疑問が浮かんだのです。ほかの魚も難解な状況におかれれば、かしこくなるのではないか。そもそも、なぜ、ほかの魚はイシダイほどかしこくないのだろう」。
ヒトの学習能力を高める効果があるといわれるDHAは、魚にも多量にふくまれ、脳や神経、筋肉の生成、エネルギー源などにつかわれる。「DHAが欠乏した魚は、脳がうまく機能しないとわかっています。ならば、イシダイほどのかしこさが必要ない魚は、脳の生成よりも、筋肉やエネルギーのためにDHAをつかうほうが生存競争に有利なのかもしれません。いっぽう、学習をつづけると、頭はよいが体は小さい魚に成長するかもしれない」。
研究のさきに、栽培漁業への貢献も見すえる。「海に放流された魚の大半は、天然の海でのくらし方を憶えるまえに外敵に食べられてしまいます。そこで、放流用の魚は外敵から逃げられるようにかしこく育て、危険の少ない養殖用は体を大きく育てるなど、目的に応じて魚を飼う提案もできるかもしれません。いつまでもおいしい魚を食べられるように貢献したい。私は魚料理が大好きですから」。
好きな魚はカスミアジ。「泳ぎが速いのに急旋回ができる。色鮮やかでおいしい完璧な魚です。私を魚に例えると、カスミアジほどかっこよくない、ただのアジかな。クラゲのそばで守ってもらいながら、ときどき、クラゲのエサのおこぼれをもらう。卓越した能力はないけれど、助けあいながら上手に生きる姿に親近感を覚えるのです」。
ますだ・れいじ
1965年に横浜市に生まれる。1990年に静岡大学理学部生物学科を卒業し、東京大学海洋研究所にて学位を取得。英国のDunstaffnage Marine Laboratoryに留学、ハワイ・オーシャニックインスティテュート(現 パシフィック大学海洋研究所)の研究員、京都大学農学部助手をへて、2003年から現職。2012年に実験所長に就任。