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授業に潜入! おもしろ学問 植物自然史Ⅱ

2016年5月30日(月)1限(8:45~10:15) 吉田南4号館 30教室

授業に潜入! おもしろ学問

人文・社会科学系科目群 教育・心理・社会(各論)神経心理学I
記憶は脳の中でどのように表現される?
人の記憶の過程とその脳内機構

月浦 崇先生
大学院人間・環境学研究科/総合人間学部 准教授

私たちは毎日、多くの情報を頭に保存し、その情報を思い出し、利用する。「記憶」とよばれるこの一連の過程をはじめ、ヒトの多様な認知機能を脳の働きが担っている。授業計画6「記憶の障害」でとりあげるのは、脳の部位の損傷で発症する記憶障害「健忘症」。臨床の現場で患者さんの検査に関わったことのある月浦崇准教授は、健忘症の具体事例をとりあげながら、記憶と脳との関係を示してゆく

「記憶」はよくつかうことばなので、みなさんそれぞれに「記憶とはこういうもの」というイメージがあると思います。ここでは、私の師匠である山鳥重先生の「記憶」の定義を紹介します。

新しい経験が保存されて、その経験が意識や行為のなかで再生されること

「経験」とは、意識、無意識を問わず、新しい事象の取り込みのことです。目や耳などの感覚器官をとおして、新しい情報がどんどんと入ってくる。憶えようとして憶えるのは、勉強などをするときくらいです。それらを十把一絡じっぱひとからげにして「経験」といいます。

 この定義でだいじなポイントは、「意識や行為のなかで再生する」ということです。意識への再生とは、「思い出している自覚」のある再生です。「きのうはなにしたの?」と聞かれて、「友人と夜にカラオケに行った」という場合、思い出そうとして思い出していますから、これは意識への再生です。

 記憶は意識的に思い出すものだけではありません。たとえば、文字を書く。「『あ』はどう書くんだっけ」といちいち思い出すのではなく、ほぼ無意識的に思い出している。自転車の乗り方も、「右のペダルに右足を乗せて」と思い出すのではなくて、学習の結果として頭に蓄積したものを無意識に「行為のなか」に記憶を再生しています。

 みなさんがふだん「記憶」ということばをつかうときは、「意識への再生」の範囲だけを想定しているかもしれません。しかし、この授業では、「行為への再生」もふくむ、広い意味で理解してください。

憶える、憶えておく、思い出す

 記憶を時間の流れでみると、どんな記憶でも、「記銘、保持、再生」の三つの過程があります。(図1)いいかえれば、「憶える、憶えておく、思い出す」です。これは一回きりではありません。憶えて、保存して、思い出すという行為をくり返しています。

記憶の過程

図1.記憶の過程

 まったく同じ記憶が再生されるのではなく、思い出しながらもういちど記銘するのです。これをくり返しながら、私たちの記憶はすこしずつ変化します。むかしのつらい思い出も、ずっと同じかたちでのこるのではありません。なんども思い出すうちに、「あのつらさはいまの自分に役だっている」とプラスの方向に変わることもある。記憶は三つの過程をとおして、つねに再構成されています。

記憶を分類してみましょう

 憶えたことが保たれている時間(保持時間)で記憶の種類を分類すると、心理学では「短期記憶」と「長期記憶」とに分けられます。しかし、きょうは臨床神経学の考え方にもとづいて、「即時記憶、近時記憶、遠隔記憶」という分け方でとらえてみましょう。(図2)

臨床神経学と心理学における用語の時間的関係

図2.臨床神経学と心理学における用語の時間的関係

 みなさんはいま、ノートをとるために、一時的に憶えた私のことばを頭の中に思い出し、文字情報に変換しノートに記しています。これが即時記憶です。

 近時記憶は、数時間前や数日前など、即時記憶よりもすこしむかしの記憶です。この二つには明確な違いがあります。即時記憶は注意をそこに向けているあいだの記憶です。思い出すまでに干渉、つまり注意をほかに背けるようなじゃまが入れば、その時点で近時記憶です。遠隔記憶は、それ以上にむかしの記憶です。

 健忘症では、即時記憶は保たれていますが、近時記憶や遠隔記憶には障害がみられます。即時記憶と近時記憶・遠隔記憶とは違う脳のシステムがつかわれているからです。記憶障害を考えるときには、臨床神経学の分類をつかうのが適切なのです。

 記憶の種類を内容で分類すると、「陳述記憶」と「手続き記憶」とに分けられます。(図3)手続き記憶は、無意識の再生に関係するものです。自転車に乗ったり、楽器の演奏など、体で憶えて、行為で再生される記憶です。陳述記憶は、ことばにできる記憶です。つまり、「思い出している」と意識できる記憶です。

内容による記憶の分類

図3.内容による記憶の分類

 陳述記憶はさらに、「エピソード記憶」と「意味記憶」とに分けられます。意味記憶は、「日本の首都は東京」などの知識に関する記憶です。入試や学期末試験で問われることの多くは、こうした意味記憶ですね。

 エピソード記憶は、ふだんの生活のなかで体験する出来ごとの記憶です。「いつ、どこで」という文脈の情報にくわえて、「なにをした」という内容の情報が組みあわさったものです。保持時間は、数分前から数十年のあいだ。近時記憶から遠隔記憶までがふくまれます。

エピソード記憶だけが抜け落ちる健忘症

 エピソード記憶のしくみと脳機能の関係を掘り下げるキーワードが、「健忘症Amnesia」です。健忘症はエピソード記憶の障害です。認知症の症状の一つに記憶障害がみられますが、空間認識の障害などのほかの症状も多くの場合で認められます。いっぽう、健忘症は、記憶障害である健忘症状のみがめだち、ほかの知的機能にはほとんど障害が認められません。つまり、エピソード記憶だけが抜けているのです。

 私は酔うと記憶があいまいになることがあります。(笑)しかし、酔っているからといって、意味のとおらない話をしているのではなく、ふだんどおりにおしゃべりしている。でも、翌朝には、「なんの話をしたのだっけ」と記憶がおぼろげになる。体験するとすれば、そんな状態にちかいのかもしれません。

 きょうお話しする健忘症状は、脳損傷によって記憶障害になったパターンです。幼少期から記憶に障害をもつ方や認知症とは違うことに留意してください。

症例H.M.の報告
 1957年に報告された「症例H.M.」への検証で、海馬を中心とする側頭葉内側面領域がエピソード記憶に深く関わっていることが確認されました。たいへん重要な症例ですので、心理学の教科書の「記憶」の項目にはたいていこの症例の記載があります。
 H.M.は側頭葉てんかんの外科手術後に健忘症を発症しました。側頭葉てんかんは通常は薬物でコントロールするのですが、コントロールできない場合は外科手術を適用します。しかし当時は、さまざまな技術がすすんでおらず、H.M.は左右両方の側頭葉内側面領域を大きく切除したために、不幸にも健忘症になってしまったのです。近年は診断や手術の技術が向上し、より限定された領域だけを切除することができるようになったので、後遺症としての健忘症が発症しないように手術が実施されています。

 健忘症にはおもに、前向性健忘と逆向性健忘の二つの症候があります。(図2)発病時点を境に、その後に経験した新しい出来ごとの再生ができなくなるのが前向性健忘です。これに対して、発病以前に体験したエピソードを再生できなくなるのが逆向性健忘です。

 逆向性健忘は、最近のことよりも、むかしのことのほうがよく思い出せるという「時間的勾配」をともなうことが多いです。若いころの話はくり返しするけれど、きのう食べたものは忘れているというお年寄りがいますね。健忘症では、そのような傾向がより極端になっているといえます。

〈いつ〉〈どこで〉〈なにを〉が錯乱する

 前向性健忘と逆向性健忘は健忘症の中核となる、よくみられる症候ですが、ほかにも記憶錯誤という症状がみられることがあります。定義上は、誤記憶と偽記憶と重複記憶錯誤の三つに分けられます。

 誤記憶は、過去の経験や事実を誤って追想することです。人の名前や場所を間違えるのは誤記憶の一種といわれています。恋人と出かけて、「ここは前にも来たよね」、「来てないわ」と。(笑)前の恋人との記憶が混在し、いまの恋人との記憶として誤って再生される。私たちの生活でもありうることですが、健忘症の方はこれが頻繁に起こり、なにがほんとうの記憶なのかわからなくなる場合があります。

 偽記憶は、過去に経験していないことを実際にあったこととして追想するものです。前にあったことをベースにつくられるのが誤記憶であるのに対して、偽記憶はなかったことをあったかのように思い出してしまう。

「いつ、どこで、なにをした」という出来ごとは、かならず一回きりです。時間は一つしかないから、同じ出来ごとを二回は体験できません。毎日カラオケに行って、まったく同じ曲を歌っても、気分や感情はもちろん、時間が違います。

 にもかかわらず、重複記憶錯誤は、一つしかないはずの場所や人物、出来ごとがもう一つ存在するという主張です。「現在、私がいるこの病院は、隣の街にも同じものが存在している」のようなことです。「実際にはありえないとわかっている」と患者さんは言うこともあるのですが、とにかく感覚として、異なる場所に同じ場所や人物が同時に存在する気がするのです。

事実と異なる記憶がつくられる

作話

 作話さくわとよばれる症状で、事実ではないことをあたかも現実の出来ごとのように思い出すことがあります。脳の損傷をうけて、記憶が断片化し、それを補完するために、ないことを事実としてつくってしまうのではないかと考えられています。

 作話は当惑作話と空想作話に分けられます。当惑作話は、質問された内容に関する記憶がない場合、過去の経験の一部を取り入れた記憶が出現して、答えを補うというものです。本人に嘘をついている意識はありません。いっぽうの空想作話は、過去に経験のない空想的な内容です。

 作話は記憶錯誤と同じような表現型をとるので、区別はむずかしいのですが、健忘症のなかでも特定の脳の領域に損傷をもつ人によくみられます。症状のメカニズムはあきらかでない点も多いのですが、時間に関係する情報が正しく処理されないことと関係があるかもしれないと考えられています。

 作話の検査では、「わからない」と答えるはずの質問を投げかけて、そう答えない場合に「作話である」とするものがあります。たとえば、「1985年11月5日はなにをしていましたか」と質問をします。なにかの記念日でもないかぎり、30年もむかしの話をピンポイントで覚えていることは少ないですから、「わかりません」と答えるのが正しいのですが、作話の症状があると話をつくってしまう。

見当識障害

 そのほか、見当識の障害もみられます。見当識は、おおざっぱに状況をつかむ能力です。「いまは昼ですか、夜ですか」と聞かれたら、正確な時間はわからずとも、午前中だとわかります。あるいは、目の前に人がいて、名前まではわからずとも、見ためや服装から年齢や立場はなんとなく認識ができます。健忘症の方のなかには、このような見当識がうまくできない場合があります。

脳の部位と記憶との深い関係

 脳の部位のなかでも、海馬や海馬傍回とよばれる側頭葉内側面領域は、記憶と深い関係にあります。(図4)海馬と海馬傍回は脳の左右に一つずつあります。ここが損傷すると、健忘症になることが知られています。

 かつて私がお会いした50代の女性患者さんは、ヘルペスウイルスが脳に入り、炎症を起こしたのちに、強い健忘症の症状がみられました。1か月間、ほぼ毎日患者さんのもとに通って検査をしましたが、最後まで私の顔と名前は憶えてもらえませんでした。「私と会ったことがありますか」と毎回たずねるのですが、「初めてです」と返答される。

健忘症に関係する脳の部位
図4.健忘症に関係する脳の部位

 IQは平均レベルで、知的機能は落ちていませんから、おしゃべりはふつうにできますが、記憶だけが抜けているのです。20代の息子さんがおられましたが、「息子さんは何歳ですか」と質問すると、「小学生です」と答える。息子さんをさして、「だれですか」と問うと、「わかりません」。この方は、純粋健忘という症状です。洞察力は保たれていて、作話症状はあまり強くなく、逆向性健忘が比較的短いという特徴があるとされています。

損傷した部位ごとに異なる健忘症状

損傷部位と症状の関係

表1.損傷部位と症状の関係

 側頭葉の損傷を原因とする健忘症のほかに、間脳や視床の損傷によって健忘症が起きることがあります。視床が限局的に壊れた場合には、側頭葉内側面領域の損傷による健忘症と似た症候を示すこともありますが、異なる症候がみられることがあります。

 よく知られているのはコルサコフ症候群です。コルサコフ症候群で起こる健忘は、洞察力が欠如していて作話傾向が強く、比較的長い逆向性健忘を示す特徴があります。

 前脳基底部の損傷による健忘症でも、特徴的な健忘がみられることが知られています。記憶の再生には障害を示すいっぽうで、再認で記憶が評価された場合には、障害が比較的改善するのです。

 再生とは、「昨日の夜はなにをした?」と聞かれて、「カラオケに行った」と自分で思い出すことです。いっぽう、「昨日の夜はカラオケに行ったの? デパートに行ったの?」と提示された選択肢から参照する場合は再認です。このことから、おそらく前脳基底部は、記憶の記銘ではなく、再生のしくみに関係すると推測できます。

再生

再認

 そのほかに、左右の脳をつなぐ脳梁の後ろの脳梁膨大部後方が壊れたり、脳弓が損傷した場合に健忘症を発症した例があります。

記憶をつかさどる回路
Papez回路とYakovlev回路  記憶は脳内のネットワークによって担われています。記憶の重要な回路として知られているのがPapezパペツ回路です。Papez回路は海馬を中心とした神経ネットワークです。海馬から脳弓を経て、乳頭体、視床、帯状回を通って海馬にもどります。健忘を起こす脳の部位のほとんどがPapez回路にふくまれています。Yakovlevヤコブレフ回路という扁桃体を中心とした回路もあります。この回路は、情動や感情に関係する神経ネットワークとして知られています。
 嬉しい、楽しい、悲しいのような情動に関する記憶は、むかしのことでもよく憶えています。海馬と扁桃体は隣どうしにある部位で、おたがいに密接に関係し、Yakovlev回路とPapez回路が相互作用することで、感情的な記憶がよく記憶されるのではないかと考えられています。

 きょうは記憶と健忘症について話しました。私の専門はヒトの記憶機能なので、どうしても饒舌になってしまいます。(笑)

 記憶と脳の関係は、脳損傷の患者さんを対象とした研究だけでなく、健康な方の脳の活動を計測する「脳機能イメージング」の研究でも多くのことが証明されてきています。これらは、おたがいの方法論の利点と欠点を補いあい、異なるアプローチでヒトの記憶と脳の関係に迫ります。異なる方法から、方向性の同じ結果が得られると、本質にもっと迫ることができるのかもしれません。

 私の研究室では、この両方の研究を同時にすすめて、ヒトの記憶の脳内メカニズムの全容に迫ろうとしています。きょうの講義をとおして、「記憶と脳の関係っておもしろい」と記憶していただければうれしいです。

つきうら・たかし
1972年に宮城県に生まれる。東北大学大学院医学系研究科博士課程を修了後、独立行政法人産業技術総合研究所脳神経情報研究部門研究員、米国デューク大学認知神経科学センター客員研究員、東北大学加齢医学研究所脳機能開発研究分野准教授などを経て、2011年から現職。

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