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萌芽のきらめき・結実のとき

2024年春号

萌芽のきらめき・結実のとき

一人ひとりに恩恵を。
AIを駆使して拓く医療戦略の新地平

井上浩輔
白眉センター/大学院医学研究科 特定准教授

健康長寿を推進する現代社会において、健康診断は欠かせない。その基本にある発想は、病気のリスクが高い人を発見し、適切な生活指導や治療につなげるというもの。医療の常識といえるほど普及しているアプローチだが、AIや機械学習の発展に伴い、いま大きな転機を迎えている。その先陣を切るのが、井上浩輔特定准教授。AIを活用した治療戦略「高ベネフィット・アプローチ」を提唱し、医療界の常識を塗り替える、新たな風を吹かせている。


医療費の増大や医療従事者の不足など、医療にまつわる課題が山積する今日。科学的な根拠に基づいた効率的な医療体制が求められている。こうした状況に新風を吹き込むのが、井上特定准教授だ。

現在はもっぱらパソコンの画面に鋭い視線を走らせる日々だが、大学卒業後は研修医としてスタートを切った。「患者さんと接していると、同じ治療でも人によってなぜ効果が違うのかと、疑問がいくつも浮かびます。でも、それを理論的に深める術を知りませんでした」。ヒントを求めたのが、統計学の手法を活用して病気の原因や対策を考える学問・疫学。「まずは動いてみるタイプ」と、この分野で最先端を走るアメリカに飛び込んだ。

そうして出会ったのが、「因果推論」という統計的手法だ。「例えば糖尿病の患者さんがほかにも疾患をもっているとして、糖尿病を治せばその疾患も治るでしょうか。疾患の原因は糖尿病とは無関係かもしれません。つまり、有効な治療には原因と結果の関係の正しい把握が欠かせない。因果推論はそのための方法論だと知り、『これだ!』と思いました」。

〈高ベネフィット〉という発想の転換

当時の日本では、因果推論を応用した医学研究はほとんど未開拓。しかし、留学先でその有効性を強く確信し、帰国後は疫学の道に進んだ。「従来の考え方は、例えば高血圧だと心筋梗塞になるリスクが高いので、早期に発見して治療しようというもの。でも、『リスクの高い人=治療効果の高い人』とは限らない。同じ治療をしても効果の低い人もいます。こうしたばらつきを踏まえたアプローチが必要だと考えました」。

そこで提唱したのが「高ベネフィット・アプローチ」。経済学分野で開発されたAIを活用し、「リスク」ではなく「ベネフィット」、つまり治療効果を推定する方法を確立。治療効果の高い人にターゲットを絞った効率的な治療戦略を提唱した。「言葉にすると単純ですが、推定には年齢や血圧などの膨大な要因が治療効果にどう関係するかの分析が必要です。この複雑な計算は、ビッグデータ・AIの進歩があればこそ実現しました」。同時に、リスクは高いが治療効果が低いと推定される人には、より適切な治療の必要性が見えてくる。一人ひとりに合わせた医療提供を大きく進展させ、医療費抑制などの社会的課題の解消への道を拓いた。

Innovators Under 35 Japanの受賞者プレゼンテーションでの講演

新たな医療戦略である高ベネフィット・アプローチ

課題はつねに現場とともにあり

臨床の道から疫学研究に転身したが、いまでも週に一度は外来診療を担当する。「理論上は年齢や性別などの変数が多いほど、治療効果の推定精度は高まります。でも、遺伝情報は費用を考えると簡単には集められませんし、分析結果が現場に混乱を招かないよう配慮も必要です。理論で現場に貢献するには、現実とのギャップを意識することが欠かせません」。

統計的手法はめざましい発展をみせるが、あくまで道具。どう扱うかこそ課題だ。「『もし○○ならどうだったか』と想定する『反実仮想』が因果推論の特徴です。これは人間だけが備える想像力の働き。現場の感覚に根差してこそ、有効な社会実装につながります」。


教科書に載るような医療の常識を目指す

高ベネフィット・アプローチが評価され、2023年には日本医師会医学研究奨励賞及び「MIT Technology Review Innovators Under 35 Japan」*1 の「AI/ロボット工学」部門に選出。疫学・医療以外の分野からも注目されるなか、その瞳は次の目標を見据える。「今回の成果は医療と統計学との異分野融合によるもの。でも、社会に浸透させるにはその二点を単純に線で結ぶだけではだめで、あいだに様々な立場の方がいることが重要です。多くの方とこのアプローチを共有し、医療戦略の常識を更新したい。目標は医学の教科書に載せることです」。

博士課程を過ごしたUCLA構内にて。緑豊かなキャンパスを友人達と歩きながら議論することで、様々な研究アイデアがこの場所から生まれた

分野や立場の壁をものともしないバイタリティは学生時代に培った。「医師になるという目標が定まっていた分、意識的に視野を広げたくて、周りの学生がしないようなアルバイトに挑戦しました。朝の満員電車の乗降を補助する仕事やテーマパークのキャストを務めた経験は貴重な財産です。京大生たちにも殻を破って飛び出してほしい」。躍進を続けるその足取りはまだまだ緩みそうにない。



  • *1 「MIT Technology Review Innovators Under 35 Japan」
    マサチューセッツ工科大学のメディア部門が主催する国際アワードの日本版。テクノロジーによる課題解決に貢献する人材を発掘し、世界へと発信することを目的に、2023年度は200件を超える応募から10名が選出された。

いのうえ・こうすけ
1989年、東京都に生まれる。東京大学医学部医学科卒、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)公衆衛生大学院博士課程(疫学)修了。2023年から現職。

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