2021年秋号
まなび遊山
協力:杉山淳司 教授(農学研究科)
参考:『京都大学百年史』(京都大学百年史編集委員会 編)
京都大学の誇る先端研究を推進する附置研究所が居を構える宇治キャンパス。宇治川の右岸に位置し、古くは水陸交通の要衝として国内外の船が集まった。付近には古墳や古社寺の点在する伝統あるこの地と京都大学との関係は、1947年に京都帝国大学木材研究所が研究活動を始めたことにさかのぼる。木材との関わりの深い宇治キャンパス内に生きる樹木から、宇治キャンパスの歴史をのぞいてみた。
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南門から続く道路の突き当たりに、テニスコートがある。フェンスの奥には、金網からはみ出るほどの緑が生い茂る。他の樹木よりもひときわ高く成長しているのがテーダマツ。北米が原産のマツ科の樹木だ。1998年の計測記録によると、宇治キャンパスにある外国産マツは37本。試験地などを除いて、京都大学のキャンパス内にある外国産マツは、その半数以上が宇治キャンパスにある。
杉山:テーダマツは成長の早い樹木として知られています。1979年の 黒田慶子氏(現 神戸大学教授)の論文をみると、宇治キャンパスのテーダマツの植林は1964年頃と推定されます。戦後、病気に強いマツを作ろうと、外国産マツの交雑実験が日本各地で実施されました。京都大学の上賀茂試験地にも外国産マツの植栽があり、白浜試験地にもテーダマツの調査記録が残っています。こうした情勢で、宇治キャンパスにも植樹されたのかもしれません。
宇治キャンパスの最寄り駅である「黄檗」の名は、駅の東側に位置し、1661年に中国の僧・隠元隆琦が開創した黄檗山萬福寺にちなむ。黄檗とはミカン科の落葉高木キハダの別名。樹皮を剥ぐと、内側が鮮やかな黄色をしていることから、日本ではキハダ、中国では「黄柏」と呼ばれている。
杉山:内樹皮に含まれる成分はベルベリンといって、古くから健胃などの漢方、生薬として使われています。
黄檗山萬福寺の名は、隠元が僧侶をしていた中国福建省の黄檗山にある同名の寺にちなむ。黄檗山にはその名の通り、キハダの木が生い茂る。インゲンマメを日本に伝えたことで知られる隠元は日本からの懇請で来日。1658年に将軍徳川家綱に黄檗宗開宗の許可を得て、1661年に黄檗山萬福寺を創建した。
杉山:萬福寺の建物は1680年代に完成しました。中国の明朝の様式を取り入れて建てられており、柱などの部材には中国や南洋から運ばれたチーク材が使われています。
建材が陸揚げされたのは、宇治キャンパスの隣にあった「岡屋津」という港だという。現在、キャンパス内に育つキハダは、1本の成木と3本の幼木。
杉山:木質科学研究所の島田幹夫教授が2004年の退官時に、「黄檗なのにキハダが1本もない」と3本、寄付してくださいました。材鑑調査室の裏で元気に育つ成木は、そのうちの1本です。残りの2本は、2009年に広場に移植しましたが、風にさらされるなどで枯死。その後も何度かの育成失敗を経て、今はシェルターで保護しながら成長を見守っています。
宇治地区研究所本館の南側には、クロマツが並ぶ。宇治キャンパスにはあちこちにクロマツが生えており、大きな存在感を放つ。
杉山:開校時の写真を見ると、今と同じ場所にクロマツの並木があります。まだ幹が細く、おそらく植樹から10年ほど。現存るクロマツの一部には、当時のものも残っているかもしれません。
宇治キャンパスと京都大学との関わりは1947年の木材研究所の活動開始にさかのぼる。1949年の新制大学発足を機に宇治分校を設置。敷地は旧陸軍から譲り受けたもので、かつては火薬貯蔵庫や火薬廠などがあった。風の強い地域では、クロマツは防風林として家屋の周りに植えられる。クロマツの植樹は風などから火薬貯蔵庫を守る役割もあったのだろうか。1998年の計測記録によると、京都大学のキャンパスに育つクロマツの約半数が宇治キャンパスにある。名実ともに、クロマツは宇治キャンパスを代表する樹種といえるかもしれない。1954年に木材研究所の開設10周年を記念し開催された式典では、当時の瀧川幸辰総長がクロマツの植樹を見守っている。