2021年7月8日(木) 京都大学 清風荘
巻頭鼎談
京都大学創立125周年記念企画
笹岡隆甫
華道「未生流笹岡」 家元
鈴鹿可奈子
株式会社聖護院八ッ橋総本店 専務取締役
西平 直
教育学研究科 教授
京都大学は2022年に創立125周年を迎える。この歴史を通して学問に新たな潮流を起こし、日本の知を牽引してきたと自負できる。しかし、時流の変化は大学という場に向けられる視線を変える。流れに任せてたゆたうべきか、あらがうべきか。
お招きしたのは、京都の地で伝統と文化を背負い、次代に何かを届ける役割を担う若い2人の同窓生。
受け継ぐべき「京都大学らしさ」とは何か、形のない「伝統」の輪郭を見つめる。
西平●笹岡さんは生け花、鈴鹿さんはお菓子の世界で伝統を引き継ぎながら、新たな挑戦を試みておられると聞いています。そこでまずお聞きしたいのですが、お二人は「評価」ということをどのように気にしておられるのでしょうか。
世阿弥は「目利き」と「目利かず」と言いました。実は「目利かず」を楽しませることが難しいというわけです。
笹岡●生け花は「引き算」の世界で、最小限の要素で表現するのが原則ですが、そぎ落とした美しさは万人受けするとは限りません。目利きの方に喜んでいただくのはとても幸せなことですが、たくさんの花を使った華やかな作品を好む方からは、「寂しい」と評価されることもあります。
西平●微妙なさじ加減ですね。
笹岡●迎合するわけではないのですが、不特定多数の方が喜ぶにはきっと何か理由があるはず。それを無視してはいけないと考えています。古典の美しさはそのままに、映像やSNSを使うなど、発表方法を現代的に工夫することも一つですが、型そのものも時代に合わせて変えていくべきだと考えています。わびさびの表現に華やかさをすこし加えたり、若い人たちにも喜んでもらえる要素を取り込むことで、新しい表現を生み出したい。
鈴鹿●昔の日本にはなかったお花が、今はたくさん手に入りますね。使ってはいけないお花というものもあるのですか。
笹岡●かつては「禁花」といって、死を連想させる花や毒のある花、引っ越し祝いには火を連想させる花などを避けてきました。もとはといえば、もてなす相手への配慮に基づくもの。配慮の気持ちは時代が変わっても不変ですから、場にふさわしくない花はあります。でも、現代においては「この花だからだめ」という禁花は、ほぼありません。
鈴鹿●笹岡さんも洋の華やかなお花を使われることがありますね。こういう表現もあるのかと、見ていて楽しくなります。
「八ッ橋」は現在おみやげ物として浸透しているお菓子です。お茶席で使われる上生菓子などとは違い、食されるシチュエーションや価格も含め、目利きの方のみが対象なのではなく、どちらかというと身近に感じられるお菓子のカテゴリーでしょう。ただ、上生菓子とまではいかずとも、和菓子に興味があり、こだわったものを口にしたい、という方もいらっしゃいます。こうした方に、新しいブランド「nikiniki(ニキニキ)」のお菓子などは発信してもいます。「誰に届けたいか」でイメージを分けて商品づくりをするのも、一つの方法かと思います。
西平●伝統を守るのだけど、保守的ではないのですね。
鈴鹿●そうですね。ただ、八ッ橋というもの自体は守りたいので、新しい形の生八ッ橋をnikinikiで作っても、生八ッ橋そのものは聖護院八ッ橋総本店の生八ッ橋と同じです。また、米粉とお砂糖と肉桂(シナモン)を使うという八ッ橋の定義は守りたいので、肉桂に馴染みのない方を呼び込むために肉桂を抜くということもせず、商品の形や色、店舗などでイメージを変えています。
笹岡●おみやげ物は不特定多数の方の目にふれますから、いわゆる「目利かず」の方の反応に大きく左右されるのでしょうね。
鈴鹿●万人受けする、というのは難しいのですが、目利きの方もがっかりさせず、目利かずの方にも喜んでもらえるものを作るのが大切だと思っています。
西平●新しい試みを始めると、批判的な意見も出てくるでしょうし、リスクもある。伝統に従っている方が安全ともいえる。にもかかわらず、「やるべきだ」と一歩踏み出す場合、何を信じてその一歩を踏み出すのですか。
笹岡●祖父から家元を継いで10年になりますが、最初は祖父の仕事を真似ることから始めました。代は変わっても、何も変わりませんと安心していただくためですね。ただ、襲名というのは再生の儀式でもありますし、ものの見方は祖父とは違うので、同じことをしていても全く同じにはならない。変わらないと言いつつ、展覧会の会場を展示場から古建築にするなど、微妙に変えています(笑)。
信じるのは、「これからの時代にはこれが必要だ」という自分の想い。また、私の母も生け花の仕事をしているので、その意見やサポートも大きい。譲れる、譲れない一線をすり合わせて、妥協点を探ります。
鈴鹿●私の場合、nikinikiを立ち上げたのは、八ッ橋を1人でも多くの人に伝えたい、「食べず嫌い」の方に食べてもらいたいという思いからでした。根幹にあるのは「味」、おいしさです。味には流行があり、流行りの素材というものがかならず出てきます。それを使えば1年の売り上げは上がるかもしれませんが、「まあまあおいしい」ものを売ってしまえば、その店の商品は「まあまあ」の評価が定着してしまう。「ここのお菓子はどれもおいしいね」という信頼を置いてもらえることが数年後に生きてくるので、八ッ橋と合わせてみて本当においしいかを吟味するのは、聖護院八ッ橋総本店でもnikinikiでも同じです。
笹岡●京都的な発想ですね。「目先の利益は追いません」というね。
鈴鹿●そこと、八ッ橋の定義が崩れなければ、見た目や形を変えても問題ないと思っています。
西平●「これだけは譲れない」という部分。それはマニュアルとして成り立つことですか。つまり、箇条書きで守るべきことを記しておけば、次の代にどうぞ、とバトンを渡せるのかどうか。
笹岡●江戸時代に記されたマニュアルとして「伝書」があります。技術的なこととともに心構えなどの精神面の両方が記されています。ただ、美の基準や価値観は時代とともに変わりますから、マニュアルを守るだけでよいわけではありません。
伝統と革新とのバランスがよく問われますが、私が重きを置くのは「革新」です。伝統の継承は大切ですが、家元の役割は新しいことに挑戦することだと考えています。古典は、数百年の時を経て今に残ったわけで、「確からしさ」があり、この先も残っていく強さがある。日々、革新的な花のみを生けるのは現実的ではないし、古典に則れば美しい花が生けられるのだから、普段は古典を多用します。しかし、革新を目指す思いは、常に頭の片隅にあります。
鈴鹿●お菓子でも同じですね。伝え方や食べ方を新しく考えることを革新と捉えるならば、中心にある「おいしさ」という伝統を次につなぐためにも、周囲の革新は不可欠ですね。
八ッ橋の定義は先の通りで定まったものですが、味覚は流動的で、配合もお料理と同じ、周りの環境により日々変化します。そのなかで常に「おいしい」と受け止めていただけるものにする、これを数値化するのは難しいでしょうね。
西平●味覚は日々変わりますね。
鈴鹿●社長も私も、毎日のように八ッ橋を試食しています。ときには肉桂の配合を変えるよう伝えることもあります。その方が味わったときの感覚は同じ。だからこそ「懐かしい味」と言われるのでしょう。となるとマニュアルというのは「いつも一番おいしいと思う八ッ橋を作る」ということになりますね(笑)。最後は、自分たちの舌が頼りです。
笹岡●疲れてくると糖分を欲しますし、些細なことで味覚は変わりますね。
鈴鹿●nikinikiを立ち上げたとき、父は「口出しすると、これまでと同じになるから口は出さない」と言ってくれました。後から、私だからこそそう決断できたと漏らしていました。私が幼少期から八ッ橋を食べ、聖護院八ッ橋総本店の会社も社員さんも生まれたときから見てきたからだと思います。信じられるものがあるとすれば、そうした経験なのかもしれません。
一方で、長年親しんでおり、私の生活の中でとても大切になっているお茶のお稽古を通して思うのは、型が決まっているからこそ楽しめる部分があるということ。お点前にしても、お客さまにしても、型がありどうしようかと迷うことがないからこそ、そこに楽しむ余裕が生まれてきます。お湯の沸く音にほっとし、部屋の設えから亭主の気持ちを読むなど、五感が澄まされる気がします。
笹岡●マニュアルは優れた方法論。まずは「型」を踏襲して、最終的には、型破りを目指します。
西平●「型」以前、ここでは「下地」という言葉を使いますが、お二人とも幼少期から、肉桂の香りの中で育ち、お花に触れながら育っておられます。その道に入ってから、そうした経験はどのような意味を持ちますか。つまり、稽古をする前からその空気に慣れていた、そうした下地はどのくらい影響するものなのですか。
笹岡●身体感覚や肌感覚は重要ですね。生け花教室では、大人には論理的に教えますが、私は3歳から体で覚えてきました。20歳前後になって後づけで論理を身につけました。体で覚えたものは懐が深い気がします。融通が利き、遊び心を加えやすい。
鈴鹿●体で覚えていると、何かを取り入れるときにそれほど考えずに決断できるかもしれません。ぴょんと飛び越えられる部分はある気がします(笑)。
西平●お二人は京都でお生まれですが、幼少期から馴染んできた京都という街の空気も関係するのでしょうか。
笹岡●古典の世界を地で行くと言いますか、清少納言の見た「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際」を追体験できる街に暮らしているのは幸せです。東山を見れば、当時と同じように日が昇る。
古建築もたくさん残っています。伝統文化はそうした場で育まれたわけで、その空間が失われることは生け花のルーツが消えること。たとえば、日が差し込む縁側と奥の暗い空間、空間にも陰陽があるから生け花も左右非対称なのだ、と説明をしても理解できなくなるでしょう。
鈴鹿●博物館に保存されるようなお茶道具が日常使いされていたり、古いものが日常の中に自然にありますね。SNSを見ていると、節分と水無月で盛り上がるのは京都の人だけ(笑)。たとえば節分では、吉田神社の総代を務め、明治時代から会社も節分祭に出店を出しているうちのような家だけでなく、会社勤めの友人や学生時代から京都に住み始めた人も「夏越の祓で茅の輪をくぐり夏を迎える」と投稿しているように、伝統行事が日常に根付いていると実感します。
西平●お二人は京都大学でどのように過ごされたのですか。
笹岡●建築学科の活動時間は夜中。夜になると、みんな製図室に集まりだした(笑)。
今の学生は忙しいと聞きますが、私たちの時代は時間が有り余っていたので、ドライブを兼ねて友人と建築めぐりをしましたね。神社仏閣はもちろん、新しい建物ができたと聞くと、まずは足を運びました。
鈴鹿●私は4年のうちの10か月少し、アメリカに留学しました。留学先で様々な国からの友人たちと話すと、みんな自分の育った国や街のことを文化・政治面も含め多く語り、誇りに思っているのが伝わってきました。いざ自分の番、というときに、京都のことを肌感覚では知っていても、英語で伝えるには想像以上に知識が欠けていました。帰国後はもっと自分の育った街を知りたいと思い、積極的に歩くようになり、またそれまでも続けていたお茶のお稽古にも身が入り、楽しくなりました。
それ以外の時間は、ルネで過ごしていることが多かったですね。サークル活動もルネでしていたので、集まってとりとめのない話をしていました。
西平●何をなさっていたのですか。
鈴鹿●創作サークルに入っていて、文章やイラストなどそれぞれが好きな創作活動をしていました。私は文章を書くのが好きで、物語を作っていました。
笹岡●サークルといえば、2014年に京都大学に華道部ができました。コロナ禍で新入生の勧誘が充分にできないようですが、続いてほしいですね。
ところで、今の学生さんはヤンチャですか。
西平●ヤンチャ──ではないねぇ(笑)。
鈴鹿●私が京大に行きたいと思ったのは、石垣にヘビが描いてあったからなのです(笑)。その石垣はもう低くなり、絵も消されてしまったのですが、なんて楽しそうで自由な場所なんだと近くに住みながら思っていました。時代とともに景観は変わりましたが、各々が好きなことに没頭できる京都大学の雰囲気は失われてほしくないですね。私も小さい頃から自分の世界に入ってしまうタイプでした。そんな生き方が許される場であってほしいと思います。
西平●そうであってほしいと思います。
笹岡●自分で学んでこそ、勉強は楽しくなりますからね。
京都は学生をかわいがってくれる街です。学生のうちにいろいろな場所に出向いて、本物に触れてほしい。私が学生時代に印象的だったのは、文学部の古文書実習で、本物の『教王護国寺文書』を使ったこと。国宝レベルの古文書に学生が普通に触れた(笑)。
鈴鹿●本物に触れるというのは、そのとき貴重さを実感していなかったとしても、大切ですよね。お菓子の世界でも、本当においしいものを食べると興味の幅が広がると思います。その分野だけでなく、季節の草花を意識し始めたり、季語を知ったり、さらに茶の湯など文化面にも興味がわいたりします。現代はインターネット上にたくさんの情報があって、経験せずとも知ったつもりになれますし、批判的な意見を見るとそれだけで触れなくなる人もいるでしょう。けれども、まずは、きちんとそのものを知ってほしいです。京都はその機会も多いです。
先生から見た京大生はどうですか。
西平●ぼくは15年前に東京から京都に来ました。ですから、ここで学生生活を送れるなんてうらやましい(笑)。でも、その贅沢さをみんなわかっているかなぁ。
笹岡●たしかに、自分でも当時は贅沢だなんて思っていなかった(笑)。
西平●それでよいのかもしれませんね。ありがたいなんて思う必要はない。
鈴鹿●楽しかった瞬間がふと蘇ることは、今もありますし、それが一番大切かもしれません。
西平●夢中で過ごした時間を大人になってから振り返って、「あのときは気が付かなかったけれど、こんなに……」と。それでよいのだろうと思います。本日はありがとうございました。
ささおか・りゅうほ
京都市に生まれる。1999年、京都大学大学院工学研究科修士課程修了、2000年、博士後期課程中退。2011年、三代家元を継承。舞台芸術としての生け花の可能性を追求し、海外での公式行事などで、生け花パフォーマンスを披露。2016年には、G7伊勢志摩サミットの会場装花を担当した。
すずか・かなこ
京都市に生まれる。2005年、京都大学経済学部卒業。京都大学在学中にカリフォルニア大学サンディエゴ校エクステンションでPreMBAを取得。長い歴史と伝統の味を守り受け継ぎながらも、新しい商品づくりに日々努めている。2011年、新しい形で八ッ橋を提供する新ブランド「nikiniki」を立ち上げる。
にしひら・ただし
1957年、甲府市に生まれる。東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。立教大学文学部助教授、東京大学大学院教育学研究科助教授、准教授を経て、2007年から現職。専門は、教育人間学、死生学、哲学。思想研究による「人の一生」研究を志し、宗教心理学・東洋哲学における「宗教性(スピリチュアリティ)」研究を継続中。近年はブータンに通う。