2021年秋号
萌芽のきらめき・結実のとき
大塚 淳
文学研究科 准教授
データをもとに科学的な結論を導く統計学。学術的な論文から世論調査の結果を伝えるニュースまで、八面六臂の活躍を見せる。人間の認識を俯瞰的に問う哲学の視点から眺めれば、〈正しさ〉や〈真理〉の姿は蜃気楼のように揺らぎだす。統計的データの処理・分析方法が進展し、人工知能が台頭する時代に、〈正しさ〉の在り方はどう変化するのか。哲学者が担う役割を模索する。
自然科学やビジネス、社会調査など、多岐にわたる分野で活躍する統計学。主張に科学的な説得力をもたせるには欠かせない存在だ。その発想は一般市民にも共有されており、「統計的に有意です」と聞くと何となく信頼できると感じる人は多いはず。それでは、なぜ統計学は正しさを保証できると考えられるのか。その問いに挑むのが大塚淳准教授。「私の専門は科学という営みを分析・考察する科学哲学。科学の在り方の思索を重ねるうちに、その正しさを支える統計学は哲学にとって重要な問題だと感じました。一見すると異色の組み合わせですが、古代以来確かな知識の在り方を問う哲学の視点は、統計学に潜む一筋縄ではいかない問題を浮かび上がらせます」。
統計学の魅力は、データから母集団の特徴を推測したり、将来を予測したりするのに役立つこと。近年ではビッグデータの分析や人工知能の深層学習など、技術分野への応用も盛んだ。「分野を問わず活躍する統計学ですが、その本質は『帰納推論』。平易に言えば、既知のことから未知のことを推測する思考法です。気象データから明日の天気を予測したり、治験結果から薬効を判断したりと、身のまわりの判断はほとんどが帰納推論によるもの。しかし、哲学者は帰納推論の正しさに疑いを投げかけてきました」。
18世紀イギリスの哲学者デイヴィッド・ヒュームは、「太陽は明日も今日と同じように昇るだろう」と考えるのは人間の思考の癖でしかなく、正しさを根拠づけることはできないと考えた。「1+1=2」のような演繹推論は前提から必然的に導かれるのに対し、帰納推論は個々の事実から未知のことを結論する。「帰納推論は本質的に不確実なものなのです。帰納推論を武器とする統計学も、当然この問いを避けられません」。
それでは統計学はどのように推論の正しさを保証しているのか。統計学の考え方は、大きく頻度主義とベイズ主義に分けられる。頻度主義は古典統計学の立場で、仮説の真偽を判断する仮説検定で知られる。他方のベイズ主義は、確率で表現した仮説の信頼度をデータによって更新する理論で、迷惑メールフィルターや人工知能にも活用されている。
「哲学的に見ると、これらの考え方はそれぞれ外在主義、内在主義という考え方で特徴づけられます」。内在主義とは、根拠が把握できていることを正当化の条件と考える立場。「このあと雨が降るだろう」という信念は、「何となくそう思ったから」ではなく、「外に出たときに雲が黒かったから」などの根拠から推論されている。データという根拠に基づいて仮説の信頼度を更新するベイズ主義は、内在主義的といえる(図1)。
対して外在主義では、推論主体の外部にある知識を獲得したプロセスの信頼性こそが信念を正当化すると考える。「高知県は日本で最も年間降水量の多い県だ」という信念は、「社会科の教師に教わった」などの信頼できる経緯によって正当化されるのだ。真偽の判断の正当性を有意水準などの基準によって支える頻度主義の仮説検定は、外在主義的といえる(図2)。
「統計学の正当化の方法は一枚岩ではありません。帰納推論を正当化するのはそれだけ難しいのです。この難問を巡って統計学と哲学の発想が重なるのは、立ちはだかる壁の大きさと、それを乗り越えようとする人類の格闘を物語ります」。理路整然とした大塚准教授の語りに、常識的な〈正しさ〉は普遍的な難問へと姿を変える。
さらに統計学と哲学の重なりは、推論の目的さえも揺さぶりにかける。私たちがある推論を評価するとき、その推論が真理を正確に捉えていることが重要だと考える。ところが、統計学にとって真理は必ずしも第一の目的ではないという。「統計学の特徴をよく表すのは、統計学者ジョージ・ボックスの『全てのモデルは偽であるが、そのうちいくつかは役に立つ』という言葉。この見方では真理に忠実であるよりも、役に立つかどうかが重視されるのです」。
たとえば、がんを発病するメカニズムには、影響の大小を度外視すれば、食生活や運動習慣など無数の要因を挙げることができる。その全てを真なる要因として仮説に反映するよりも、喫煙や飲酒などの要因に絞っておおまかに捉えるほうが、予測や判断の精度は高まる。帰納推論で真理に迫るのは困難だが、現実には判断の指針が求められるからこそ、統計学は真理よりも有用性を重視するのだ。この逆転の発想は、「正しい考えが役に立つのではなく、役に立つ考えこそが真理だ」とする19世紀末にアメリカで生まれたプラグマティズムの哲学に近づく。「哲学的に考えだすと、『知識の正しいあり方はこうだ』と言い切れない歯切れの悪さがつきまといます。それでも世界は全くの闇ではありません。人間に知りうることは何かを地道に探究する日々です」。
哲学との出会いは高校の「倫理」の授業。課題が簡単だと聞いて履修したが、主体的な社会参加を訴える20世紀の実存主義思想に惹かれ、哲学の道に進んだ。「哲学は時代を超越するものという考え方がありますが、時代精神との格闘の産物とも言えます。統計学が隅々にまで浸透した現代社会の課題に、哲学も向き合う必要があります」。
大塚准教授は、「日立京大ラボ」のエンジニアと協力して、ITシステムの社会実装に伴う哲学的・倫理的な課題の検討にも取り組む。その原動力は、変化が目まぐるしい時代にこそ、哲学的なリテラシーが必要になるという使命感だ。「人工知能がさらに発展すると、人間の判断よりも信頼できると感じるようになるかもしれません。でも、人工知能の判断はどのように正当化できるのでしょうか」。
人工知能の高度な推論は、その過程がブラックボックスになることも意味する。採用活動に人工知能を導入したところ、過去の採用実績に潜む担当者の偏見を「女性は減点する」というルールとして学習し、女性志望者を不利に評価した事例もある。「機械学習の高度化は、人間の偏見を覆い隠したり、その判断を盲目的に信じてしまう危険性も秘めている。だからこそ、正しいとされる判断でも、『なぜ正しいと言えるのか』と問う哲学的な発想が求められます。未来の社会の姿を議論するための土台を、哲学なら用意できるはずです」。
おおつか・じゅん
1979年、東京都に生まれる。2011年京都大学大学院文学研究科哲学専攻博士後期課程を修了、2014年インディアナ大学科学史科学哲学科博士号、同大学応用統計学修士号を取得。日本学術振興会海外特別研究員、神戸大学大学院人文学研究科准教授などを経て、2017年から現職。著書に『The Role of Mathematics in Evolutionary Theory』(ケンブリッジ大学出版局)、『統計学を哲学する』(名古屋大学出版会)などがある。
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