2019年秋号
まなび遊山
監修 山村亜希(人間・環境学研究科 教授)
吉田キャンパスの本部構内は、1897年の京都帝国大学の創立以降、120余年の歳月を積み重ねてきた。学徒動員、大学紛争、国立大学の法人化など、大学を巡るさまざまなドラマの舞台となったキャンパスには、その歴史を刻む石碑や功労者の胸像、遺構などが点在する。日常の風景に同化し、顧みられることは少ないが、その由緒を探れば、京大生たちの学生生活が鮮やかに蘇る。
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正門から構内に足を踏み入ると、まず飛び込んでくるのがクスノキと時計台。Ⓐ 木陰での談笑や、待ち合わせ、課外活動に励む学生たちの姿は、京都大学の〈いつもの光景〉だ。このクスノキ周辺に植樹や銅像の設置がなされたのは80年ほど前のこと。それまでは、往来する学生たちを総長の銅像が見守ったかつての図書館前の空間Ⓑ も、〈京大の顔〉だった。図書館が火災で全焼したので、胸像は時計台周辺に移設されたが、戦時下の金属類回収令で胸像を供出。鋳造用の原型が保存されていたものが戦後に再建された。
旧土木工学教室本館 Ⓒ 周辺は、記念植樹と植樹年などを記した石碑が密集するエリア。土木工学教室本館が建設(1917年)された大正時代末期から昭和初期に設置されたものが多い。石碑の記載から、学生が毎年のように、卒業時に校舎周辺に植樹を繰り返したことがわかる。木々はみごとに成長し、校舎を彩る緑の景観を作り出している。
文学部東館の中庭には、同窓会の寄付で設置された噴水とポンプの遺構がある。 Ⓓ 地面には白いコンクリートが敷きつめられ、イスラム建築の人工的な中庭空間を連想させる趣があった。このように、校舎自体は大学が建設するが、校舎周囲の植樹や中庭の整備は、卒業生や同窓会が担っていた。
旧土木工学教室本館の裏 Ⓔ に残る、コンクリート製のテニスの審判台跡。在校生たちの要望に応えて、卒業生からの寄付金で1920年にテニスコートが造成された。近年、コートは駐車場に変わり、審判台だけが残された。かたわらには整備用の大型ローラーも残る。
山村●かつて大学で主流であった〈ロの字型〉の校舎の中央には、テニスコートや噴水、中庭など、学生・教員の憩いの場が作られました。校舎とその敷地内は「学部学科のもの」というテリトリー意識がうかがえます。ちなみに、卒業生・同窓生による石碑や植樹は文系学部よりも理系学部に圧倒的に多く、理系学部の学科・研究室の紐帯の強さを物語ります。
どこにも繋がっていないコンクリート製の階段がある。Ⓕ 説明板には「京大建築純粋階段」の文字。「純粋階段」とは、前衛芸術家の赤瀬川原平たちが提唱した「トマソン」という概念の一つ。建造物の増改築や更新を繰り返す中で機能を失い、まるでオブジェのように取り残された階段をそう呼ぶ。かつては研究室のアトリエにつながる階段だったが、アトリエは1984年に解体・撤去された。
山村●土木工学教室の審判台も一種の「トマソン」といえますが、そこに説明板はありません。この物体に命名し、評価・説明を加えるところに、建築学教室の学問的思想がうかがえます。
京大生は、勉学・研究のみならず、課外活動や友人との交流などを通して、10代から20代の多感な時期の多くを本部構内で過ごします。「青春」を過ごした場所への強い思いと誇り、アイデンティティが、卒業後の寄付や記念植樹につながるのではないでしょうか。100年以上の歴史を持つ京大ならではの景観といえます。