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特集 巻頭対談

対談日:2019年8月26日(月) 対談場所:京都大学百周年時計台記念館1階 大学文書館長室
撮影場所:附属図書館

遊んで、悩んで、ことばに沈む
現実と虚構に生きる作家という仕事とその日々

ゲスト●いしいしんじ
作家 1989年文学部卒業

ゲスト●青羽 悠
総合人間学部2回生
※青羽さんは「触発ギャラリー」にも登場しています。

進行●廣野由美子
人間・環境学研究科/国際高等教育院 教授

「…ぼくはあっちがわにぐいとひきよせられる。でもね、かくんだよ。ぼくはかくの、あしをふんばって。おねえちゃんのわらいごえをきくためにね。おねえちゃんのこえはこっちがわにある。…」

いしいしんじ『ぶらんこ乗り』
(理論社、2000年)から抜粋

あの銀色に光るドームの中でなら、僕はどこまでも行けた。月へも、太陽へも、この太陽系の外、きっとカシオペヤ座にだって。
何が変わってしまったんだろう。

青羽 悠『星に願いを、そして手を。』
(集英社、2017年)から抜粋

2000年の『ぶらんこ乗り』での長編小説デビュー以降、自身の率直なイメージをみずみずしく書き綴るいしいしんじさん。高校2年生で書いた『星に願いを、そして手を。』で小説すばる新人賞を最年少受賞した青羽 悠さん。作家たちは、生きることの喜びや悲しみ、不安など、かたちにならない感情や時間の流れを〈物語〉としてかたどる。はたしてそれは、自分のためか、それとも人に読んでもらうためか。
対話を通して見えてきたのは、意外にも、二人のカラッとした生きざま。物語とたわむれ、楽しむ二人のことばは、人生はもっとおもしろいのだ、と私たちに教えてくれるようだ。

いしいしんじさん

廣野いしいさんの初期の小説には、何かに取り憑かれて生きている人が登場する作品が多いですね。『トリツカレ男』は題名どおり、何にでも取り憑かれてしまう人が主人公です。いしいさんご自身の生き方もそういうものですか。(笑)

いしい振り返ると、ぼくが書いたものには、たしかにそのときに自身が置かれていた状況が表れています。最初の3冊(『ぶらんこ乗り』、『トリツカレ男』、『麦ふみクーツェ』)を書いた2年間は自室に引きこもって、まさに取り憑かれたかのように書いていました。しかも、『トリツカレ男』の執筆時は恋愛にも取り憑かれていて、大恋愛中やった。(笑)
 そういう自分を意識して書いていたのではなくて、時間がたってから、「あんときは、ああやったな」。今は自分の生き方と小説の世界との距離はほどほどにとれていますが、自身の姿が今の小説にどう反映されるかはわかりませんね。(笑)

青羽「取り憑かれて書いた」という感覚は、とてもしっくりきます。ぼくも「どうして小説を書き始めたの」とよく聞かれますが、「書くしかないと思った」としか言えないです。
 16歳で書いた『星に願いを、そして手を。』の中で、自分と小説との距離はゼロでした。当時は、自分の「夢」が何かわからず、決められなかった。そして、いざ夢が見つかっても、夢が叶わなければ辛いだろうし、叶ってしまえば宙ぶらりんになってしまうかもしれない。とにかく不安でした。一方で「何かをしなければ」という焦りのようなものを自分で持て余していました。だから「夢というものについて、抱えるであろうことは全て書いてしまおう」と書き始めた。

廣野青羽さんの新鮮な作品には、冒頭部から技巧性に惹きつけられました。語り手は一人称ですが〈僕〉、〈私〉、〈俺〉の3人が入れ替わる。一つのことを多元的に捉える手法ですね。構想に時間がかかったのではないでしょうか。

青羽ベースは一か月ほどで書きあげました。3方向からものごとを見たいとは考えていて、その挑戦があの形式に……。

いしい読んでいると、「ああしか書けない」という感じがしますよ。書きたいことが一番伝わる方法を考え、ひらめいた構造がこれだった。16歳だからこそ、軽々と計画を超えて、ビャッとつかめた瞬間があったのだろうと。

経験こそが、血の通った文章につながる

廣野由美子教授

廣野いしいさんの作品はリアリズムのしばりがなくて、〈大人のメルヘン〉というような感じがしました。擬音語や擬態語もおもしろくて、独特のユーモアがある。

いしい「自分はこんな物語を書いている」という自覚はないのです。自分が作家だという意識もないのです。最初の長編作『ぶらんこ乗り』は、ぼくが4歳半の頃に書いた「たいふう」という話のノートを実家で見つけたから。それまではライターとして旅日記や評論、短編小説などを書いていて、当時は「自分はなんでも書ける」と思いあがっていたくらい。
 でも、20年ほど前、34歳の頃に心と体を壊して実家に帰ったときに、「たいふう」を見つけた。これに比べると、これまで書いてきたものはまったくダメだと思いましたね。

青羽ライター時代には、プロ意識はあったのですか。

いしい求められる以上のものを書こうとは思っていましたが、振り返れば注文されたものを提出していただけ。自分の内側から出てくる〈よくわからないもの〉を出すことはほとんどなかった。
 「たいふう」は、生きてきた自分の34年間で唯一、〈よくわからないもの〉を出していた。世界と自分との間にある〈埋まらない溝〉と向きあい、一所懸命にことばで埋めようとしていた。今もまだこれを続けているだけで、新しい表現を切り拓いている感覚はありません。

廣野4歳半の自分が原点なのですね。

いしい4歳半の「いしいしんじくん」に顔向けできないものは書きたくない。

廣野青羽さんの小説は、ミステリー性がありますね。「フェンスが一部くぼんでいる」という描写が繰り返し出てきて、きっと何かありそうだと、ドキッとさせられる。

青羽 悠さん

青羽ぼくは「贅沢な読み手」で、作者が読み進める手助けをしてくれる物語でないと、なかなか読み進められない。だから、自身が書くなら、最後まで読み手を飽きさせないだけのエンジンを積まなきゃ、と。自分がおもしろいと思うものを考えるうちに、こういう作風になった。でも、読み手や観客を意識しているかというと、「そんなものは背負いたくない」というのが本音。(笑)
 でも、自分と距離をおいた物語を書くことを、今はじめて意識しています。フィクションを書いている実感はありますが、どうしても自分から逃れられない。

いしいきっと出てきてしまうと思いますよ。イアン・マキューアンというイギリスの作家にしても、テーマは多彩ですが最後は、「おまえたちはこう思っているが、人間の本当の姿はこれだ」と突きつけてくる。いろいろと書こうとしても、そうとしか書けない。狙ってできることではないのです。

青羽そのようにして自分の型が生まれてくるのですね。

廣野いしいさんの『麦ふみクーツェ』では、楽団の風景がよく描けていますね。いしいさん自身も音楽をされていたのでしょうか。

いしい楽器も絵もやって、下手だから小説を書いているようなものです。(笑)

廣野音に満ちているうえに、視覚的なイメージも強烈。『ぶらんこ乗り』からはシャガールの絵が浮かんでくるようでしたが……。

いしいシャガールはめっちゃ好きですね。書いているときは考えもしませんが、自分が強烈に好きなものは詰め込んでしまう。

青羽ぼくは宇宙や星が好きで、『星に願いを、そして手を。』の舞台はおのずと、科学館になりました。

いしい意識せずとも、自分の体験が後を追って表れてきますよ。
 ぼくは、京都大学に入る前に芸術大学の試験に落ちて、高校卒でデザイン事務所に入ったのです。楽しく働いていたのですが、ある日、社長さんに言われました。「きみ、この暮らしを続けていたら、間違いなく道端で野たれ死にするぞ」。20歳も年上の人が真剣にそう言う。「普通の大学に行きなさい。絵がうまい奴が書くサーフィンの絵よりも、サーフィンの経験のある奴の絵のほうが100万倍くらいええのができる。そういうもんなんや」って。

廣野それで京都大学に入学したのですか。

いしいその社長は、京大のiPS細胞研究所のロゴマークを作った人で、3年前まで京都大学の客員教授をされていた奥村昭夫さん。巡り合わせだなと。

廣野いしいさんの文章には、細かな部分に「この世界を知っている人だ」と思わせる質感のようなものがしっかりとあります。

青羽ぼくも今、音楽の話を書いています。音楽を作るのも好きなんです。いしいさんは、なんでもやりたいという気持ちは強くありませんか。

いしいそうです、本当にあります。

読んでもらうために書くのか、自分のために書くのか

いしいぼくは、自分の本が何十万部も売れるとは思わないし、日本の文学の流れの上にほこりがちょっと乗った程度の作家です。でも、300年前のインディアンの女の子や、700年後のアイルランドのおじいちゃんが読んでも、「おもしろいな」と心が動いたり、読んでいる間は嫌なことを忘れたりできるかもしれない。そういう人が一握りでもいるなら、ぼくが書くことで物語と読者とがつながる。ささやかだけれど、「ぼくがいてよかった」という錯覚を信じていたいがために書いている。

廣野錯覚ではないですよ。かりに世界に一人しか読者がいなくても、その人と一瞬でもつながれば、何かが伝わる。物語はそういうものではありませんか。

いしい国語学者の大野晋さん(故人)が『古語基礎語辞典』で「物語」ということばを定義しています。物語の〈もの〉は、「もの悲しい」、「もの思いに耽る」、「もののあわれ」などの〈もの〉と同じだと。この〈もの〉は「人間にはいかんともしがたい巨大な流れ──季節の移ろいや身分、死、病など」のことで、「ものがたり」は「巨大な流れに巻き込まれたかのように書いてしまうもの」だと。

青羽……ハッとする話ですね。最近、作品の中に力強く押し流されるような流れがあることをよく実感します。これまでは技巧的な部分や、構成の作り方に目が向いていたのですが……。

いしい読んでいて、わけもわからないのに「すごい!」と思うことがある。

青羽ありますね!

廣野これはすごいと感じた瞬間、全てを忘れさせてくれる。「あれもこれも、大切」という迷いが消える瞬間に出会わせてくれるのが、物語の力ですね。

青羽一文だけで、心を持っていかれることがありますね。
 本を読むとき、人間はもちろん文字を見ていますが、何か別のもの――自分の中に浮かびあがってくる像が見えている気がします。この像を生む力こそ小説の特徴だと思います。
 例えば、バスの中で読んでいた本を閉じて降りて歩きだしたとき、思考はまだ物語に持っていかれている。「自分の場合だとどうだろう」、「こういうことを言っているのかもしれない」と引きずられて考えている。この瞬間が、文章を読んでいるとき以上に「読書をしている」瞬間だと感じます。

いしい読書中の時間の流れは川のようなもので、読むことはその川に飛び込んでびしょ濡れになることです。読み終わって河原に上がり、自分の水辺に飛び込むのですが、やはり水が「うつる」のです。

廣野物語の「水滴」がくっついてくる。

いしい古典と呼ばれるものは、何百年たっても、別の言語に翻訳されても、その水が薄まることはないのですね。プルーストも夏目漱石も、ことばにならない巨大な塊を抱えているからこそ書く。あらすじやセリフだけでなく、そのむこう側にあることばにならない部分から滋養をもらっている実感もあります。

青羽文章は氷山の一角。小説を読むことは、その下の塊にぶつかることだと思う。だから最近、読書をすると自分の軸がぶれてしまいそうで怖い……。

いしいぼくは、最初の数冊を書いたときは、他の人の小説は読まなかった。

青羽16歳で書き始めて、今は19歳。この3年は、価値観が一か月単位で変わる感覚を肌身に感じています。作品と自分との距離が近すぎると、スタート地点とゴール地点とであまりにも価値観の違う自分が反映されて、作品として成立させるのが難しくなる。今はそれが悩みです。

廣野青羽さんの所属は総合人間学部。文理のどちらも学べて、多彩な分野から専門が選べる学部です。理系にも興味があるとのことですが、創作と研究とは距離をおきますか。

青羽〈ぼく〉という存在が真ん中にいて、そこから延びるノードに執筆や学問、サークル、友人がある。創作と学問とはすでに分かれている感覚です。

廣野それなら、何をしても大丈夫。中心にしっかりとした自分があるのなら。

青羽ただ、その自分がそうとう揺れている。(笑)

物語のゆく末は制御できない

廣野私の指導学生に、ミステリー作家の橘ユマさんや、ファンタジー作家の天川栄人さん(ともに人間・環境学研究科修士課程修了)がいます。在学中に、橘さんは第1回「カクヨムWeb小説コンテスト大賞」、天川さんは第13回「角川ビーンズ小説大賞審査員特別賞」を受賞して、作品を出版しました。文学を研究しながら創作活動をするのは、学ぶことも多い一方、切り替えにも苦労したのではないかと思います。論文は明快で論理的な文章で書かなければなりませんが、小説はわかりやすければよいとはかぎらない。

いしい2015年の『悪声』という小説で、河合隼雄財団が運営する「河合隼雄物語賞」をいただいたのですが、3名の審査員が顔を合わせての一言めは、「『悪声』、わかった?」だったそうです。(笑)一文一文は10歳の子でも、おじいさんでもわかるように書いているのですが、小説の構造全体を見るとわからないようです。自分でもそうで、毎日、手もとだけ見ながら薮を切り分けているから、どういう山道を歩いているのかわからない。振り返って刈りとった跡を見てはじめて、かたちがわかる。もちろん、きちんと構図を決めて最後の一行から書く人もいます。最後にこのセリフが出てくるなら、こういう場面、展開になるはずだと。

青羽ぼくは先に構図を決めるタイプです。でも、わかりにくいけれどおもしろい小説は、筋が通っていておもしろいものを書くより難しい気がします。わからなくても引き込まれるものは、絶対に的はずれな方向には進まない。執筆中には書いているシーンだけを意識していても、つねに全体のバランスを本能的に維持しなければ、わからなくておもしろいものは生まれないと思うんです。

いしいその方向感覚を鍛えるには、他の小説を読むことです。読み続けていると、「こうきたら、こう」、「あっ、足もとが崩れてきたな」とわかる。
 今日も午前中に書いていると、「なんやこれ、どうなるんや」というエピソードが出てきました。でも、やみくもではなく、「きな臭い感じは保たなければ」と、使えない色や音のイメージは遮断しながら進んでいる気はします。

青羽ぼくも、今日の午前は執筆していました。計画しないと書けないので、朝に時間を作っています。

いしい毎朝書いていると、小説がひっぱってくれることもありますよ。本をずっと読んできたので、「本は終わるものだ」と信頼して、思い込んでいて、自分の書いた小説も「このまま最後まで進むはずだ」と。とにかく、寝ぼけているときが書くには一番よい。(笑)

青羽寝ぼけながら、コーヒーを置いて、椅子に座ればこちらのものです。逆に、目が覚めている午後は椅子に座るまでが遠い。(笑)

いしい夢や無意識が開く「眠り」の状態は、まだことばになっていないイメージが頭に吹き込んでくる気がします。青羽さんのことばはきれいで、間違いもないのですが、無意識に開いている気配があります。そうした気配はぼくとも共通していて、それが朝に書くことに通じているのかもしれません。

廣野日常生活の中に、虚構の世界を生み出す仕掛けづくりが必要なのですね。

いしいぞんざいにすると、小説はそっぽを向きます。「〈です〉じゃなくて、〈だった〉かな」と、ちょっとした部分をちらっと見てやるだけでも違う。盆栽みたいに、毎日少し枝を切るだけでも世話したことになるようなところがある。

青羽旅行中も、一瞬でもよいから書くようにしています。

いしいぼくも旅日記をつけると、一日に大学ノート5ページ分になる。(笑)

2019年7月にトゥバ共和国を旅したときの日記。子どもの頃から旅行先では日記をつけていた。ライター・デビューは、「シーラカンスを釣りたい」と会社を休んで行ったコモロ島旅行で書きためた旅日記が注目を集めたことがきっかけ

さまざまな縁に引き寄せられて決めた町屋の住まいにて。左に写るのは長男のひとひくん(2013年撮影)

京都と京都大学を遊びつくす

廣野いしいさんは大阪生まれで京都大学に進学され、東京、神奈川、長野と移り住んだ後、京都に戻ってこられたのですね。

いしい京都には不思議に引き寄せられた感覚でした。嫁さんの助言もあって京都に決めたのですが、家の下見に行くと、ディックさんというオランダ人が半年前まで住んでいたと。「待てよ」と日記を読み返すと、8か月前にオランダ人のディックさんと宴会をしていた。(笑)縁を感じて引っ越すと、3日もしないうちにたまたま外食した隣の席がKBS京都のプロデューサーで、ラジオ番組のレギュラーが決まった。
 その年は祇園祭の山鉾町の長老が集う宴会に同席することにもなり、これはもう、「奥までちゃんと見せたるから、京都を書け」と言われているのだと。だから、京都で書いた本は全て京都のお話。京都はただの場所ではなくて、自分のご主人のような感じです。(笑)

廣野私も大阪出身で京都大学に行き、その後いったん外に出ました。京都は充電してエネルギーを帯びなければ寄せつけてくれない土地のように感じます。エネルギーを蓄積しなければと、今は京都から奮起する力をもらっています。

青羽さんは、学内のジャグリング・サークルに所属。中学生からの趣味の一つで、京大の11月祭などで披露している

青羽京都は「因果が煮詰まっている」感じがします。狭い範囲にたくさんの学生がいて、そこでぐるぐるとかき混ぜられているイメージです。(笑)喫茶店で隣り合った人が知りあいの知りあいで、そのまま遊びに行くこともありました。毎日いろいろなことが起こって、とても楽しいです。

廣野私は1980年前後の世代の京大生。その頃の「自由」は、「やりたいことを、やりたいだけやりなさい」という感じでした。独文学専攻でドイツ語との格闘でしたが、京都大学交響楽団に入っていたので、練習にもかなりの時間とエネルギーを注ぎました。自由であるためには、自分で考えることに責任を持つという厳しさもありますね。

いしい後押しをしてくれた奥村先生の、「きみはいろいろな経験をしなさい。そのために大学に行くんやから」ということばを意識して、在学中は文学部だけでなく、医学部や工学部、法学部、あちこち訪ねました。「現代ギリシャ語と古代ギリシャ語とはどう違うのか」を思いついたから聞きに行ったりもした。それでも、どこもよそ者扱いせずに、面倒をみてくれた。いろいろな世界に混ぜてもらえたことは大きかった。今の京都大学でも、できることだと思います。

青羽昨年(2018)は元宇宙飛行士の土井隆雄特定教授が主催する「有人宇宙学ゼミ」に参加して、無重力体験をしました。今は地球科学のゼミにいて、置いてある工具を使って、思いついたものを作ったりしています。京都大学にはいろいろ経験できる場所がたくさんあるので、「遊びつくしてやろう」と思っているところです。(笑)

廣野有用性にとらわれず、おもしろさを追求することを誇りに思うのは、今も昔も変わりませんね。

いしい自分に何が合っているのか、何が間違っているのかではなく、まずはやってみること。そうして過ごした4年間が今の自分の下支えをしてくれています。18~22歳の若者に、周りの大人がそのように対応してくれたことが自分の芯として残っていて、他人が自分を少しでも必要としているなら、いくらも使ってくださいと思っています。そういう自由が培われました。

青羽「自由の学風の危機」といわれますが、学生にも責任があるかもしれません。とりあえずやってみる。交流イベントに参加したり、教授に話しかけてみたり。ぼくはそういう姿勢でいたいし、そういう人間こそ京都大学に来ると楽しいはずです。

廣野これからも、お二人のご活躍に期待しています。


いしい・しんじ
1966年、大阪市に生まれる。京都大学文学部仏文学科を卒業。2000年に『ぶらんこ乗り』で長編小説デビュー。2003年に『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞。2012年、『ある一日』で織田作之助賞、2016年『悪声』で河合隼雄物語賞を受賞。その他、『トリツカレ男』、『ポーの話』など、著書は多数。

あおば・ゆう(ペンネーム)
2000年、愛知県に生まれる。高校在学中の2016年、『星に願いを、そして手を。』で第29回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。同賞の最年少受賞記録を更新した。

ひろの・ゆみこ
1958年、大阪府に生まれる。京都大学文学部独文科卒業。英文学に転向後、神戸大学大学院文化学研究科博士課程、学術博士。山口大学教育学部助教授、京都大学総合人間学部助教授をへて、現職。文部科学省科学官。イギリス小説を専攻。著書に、『批評理論入門――「フランケンシュタイン」解剖講義』他多数。

 

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