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授業に潜入! おもしろ学問

2017年12月5日(金)5限〈国際高等教育院棟 32号室〉

授業に潜入! おもしろ学問

人文・社会科学科目群 地域・文化(各論)都市空間保全論
景観に潜在する歴史のレイヤーをあぶり出す

増井 正哉先生
国際高等教育院 教授

歴史的な遺産や景観を保存、活用することは、地域活性化の重要なツールとして認識されつつある。いっぽうで、きちんと評価のされていない遺産や景観は、整備事業の過程で価値が失われたり、適切に活用されないまま、まちの風景に埋もれていることもある。埋もれた価値を掘りおこすべく、増井正哉教授は「重層性」の視点から、景観の奥底に積み重なった歴史に目をむける

「重層」ということばを、このごろよく耳にしませんか。論文検索サイトでは、「重層性」や「重層的」の単語を含む論文がたくさん並んでいます。多様性(ダイバーシティ)もまた、はやりのことばです。重層性と多様性は、きょうの授業のキーワードです。

以前の授業で「奈良文書」をとりあげましたね。「その文化遺産がオリジナルであるかどうかは、その遺産に固有な文化に根ざして考慮されるべき」との見解を示す国際宣言で、1994年に採択されました。それまでのヨーロッパ第一主義の評価基準に一石を投じるもので、文化の多様性を尊重した保存の重要性を主張しています。

新旧の時代が共存するまちの景観

「重層性」とは、字義どおり「いくつもの層が重なっている」状態のことです。文化遺産の保全や活用、町並み保全にたずさわる私の研究分野では、「重層性」を「ほめことば」としてつかうことがあります。

これは長野県の奈良井宿の町並みです。(図1)中山道の宿場町で、木製品の製造を生業としてきたまちの歴史性や物語が、現代の景観にはっきりと現れていますから、こういう風景はだれもがほめやすい。では、この写真はどうでしょう。(図2)新旧さまざまな時代の建物が道沿いに混在していて、「白壁の町家と赤いタイル貼りの建物とがマッチしていますね」とは、ほめづらいですね。(笑)こちらはイングランドのコッツウォルズです。(図3)「英国の原風景」、「はちみつ色のかわいい村」などと称される町並みですが、じつは新しい建造物がかなりまじっています。

長野県塩尻市にある奈良井宿の町並み

図1 長野県塩尻市にある奈良井宿の町並み

香川県高松市中部にある仏生山地区の町並み

図2 香川県高松市中部にある仏生山地区の町並み

イングランド中央部に拡がるコッツウォルズの町並み

イングランド中央部に拡がるコッツウォルズの町並み

図3 イングランド中央部に拡がるコッツウォルズの町並み

現代の町並みにさまざまな時代の建造物が共存するのは当然のことで、どんな景観もすくなからず重層的です。そうした町並みを、「各時代の建物が〈重層的〉に存在していますね」などという表現で評価することがあります。

これまでの町並み保全では、「○○時代の町並み」として古い建物をそのまま残すことが基本でしたが、近年は、歴史的な建造物や地区にまつわる物語を手がかりに、現代的な感覚を取り入れて、新しい魅力として発信する事例が増えています。

さきほどの「ほめづらい」といった写真は、高松市仏生山町のとある路地の風景です。仏生山町は、松平家の菩提寺、法然寺の門前町として栄えました。仏生山街道の町並みは、いまではすっかり崩れてしまったのですが、その一角で、江戸時代からつづく老舗の呉服屋さんが古い店舗の一部を改装してカフェを始めました。目玉商品のサンドイッチは、地元の人たちだけでなく観光客にも大人気です。

地域ならではの新たなビジネスを展開したり、企業や商品の付加価値を高めたいときに手がかりになるのは、やはり歴史的な特徴です。とくに特徴のないように見える町並みも、「昭和の景観」として再評価する動きもあります。

こうした流れのなかで、「重層性」は重要な切り口です。景観が重層的であることを積極的に活用して、そこに新しい価値を見出すことができる。この考え方にたつと、「なんでもありだ」と思うかもしれませんが、重層的だからこそ、そのなかでなにを選び継承すべきかを、より深く考えなければなりません。

見える歴史と見えない歴史

景観の重層性には、歴史的重層性と文化的重層性とがありますが、今回は歴史的重層性を考えます。(図4)

歴史的重層性と文化的重層性

図4 歴史的重層性と文化的重層性
文化の交流と歴史の積み重なりが、まち・むらの景観をつくりだす。積み重なりを読み解くことが、景観を理解し活用する手がかりになる。

私たちの研究内容やその手法を、専門家以外の一般の人たちに説明すると、「それは『ブラタモリ』ですね」とかならず言われます。タレントのタモリさんたちが地元の歴史や地理の専門家とともにまちを散策しながら、町並みの歴史的な特徴をおもしろおかしく紹介するNHKの人気番組です。

私たちがここ数年調査をつづけている奈良市の「ならまち」が、この番組でとりあげられたことがありました。ならまちは世界遺産の元興寺の旧境内あたりを中心に発展したエリアで、人気の観光スポットです。顔なじみの地元の人たちは番組を見てよろこんでおられたのですが、私はちょっと複雑な気持ちでした。

「ブラタモリ」は、いま目に見えるものをとおして、歴史的な重層性を発見するというものです。まちの見方としては、おもしろい視点ではありますが、私たちまちづくり研究の専門家は、「おもしろい」だけではすまされません。歴史や文化の重層性を見つけるだけでなく、それをどのように読み解き、現代のまちづくりに活かすかが、私たちのしごとです。

まちを歩いていると、いろいろな時代のものが目にはいりますが、歴史的重層性には、見えるものと見えないものとがあります。「ブラタモリ」でとりあげるのは、見える重層性ですが、さらに奥深くとらえれば、見えない重層性もあることに気づきます。

遺跡などはそのひとつですね。ここ京都のまちの地中には平安京の遺構がたくさん埋まっています。その面影は地表にはほとんど見当たりませんが、まちづくりを考えるうえでは、「見える重層性」だけでなく、そうした「見えない重層性」も重要なのです。

意外な成り立ち! 出羽島の集落

これは徳島県牟岐(むぎ)町の出羽島の航空写真です。(図5)北側にある漁村は、2016年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。私たちはその保存計画づくりのために、2014年から2年かけて、この漁村を調査しました。その過程で、多くの発見がありました。

徳島県海部郡牟岐町出羽島(地図データ:Google Earth)

図5-1 徳島県海部郡牟岐町出羽島(地図データ:Google Earth)

住居の構造は一般的に、時代とともに背の低いものから高いものに変わると考えられています。もとは平屋だったものが、厨子二階になり、さらに本二階建てになる。そういう基準で集落を見渡して、背の低い建物が集まっている西側がいちばん古いのだろうと考えていました。ところが、さまざまな古地図や史料を照らしあわせてみると、どうも違う。私たちには先入観があったのです。

そこで、すべての家の棟札を調べることにしました。棟札というのは、建築物の造営や修復のさいに、その年月日や大工さんの名前などを記した木製の札で、屋根裏の棟木のいちばん高いところに打ちつけてあります。それを一軒ずつ調べてまわりました。すると、古いと思っていた集落の家屋は、明治時代の後半に建てられたものだとわかりました。いろいろな高さの建物が残っている島の東側あたりがいちばん古くて、江戸時代にできた場所だったのです。

これは現在の宅地割を建てられた年代ごとに色分けしたものです。(図6)道の両側に宅地が規則正しく並んでいますね。じわじわと人が移り住んだのだとしたら、こうはなりません。どこかの時点で、計画的なまちづくりがなされたのです。

2016年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された漁村(地図データ:Google Earth)

宅地の開発時期を示した図

図5-2(上) 2016年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された漁村(地図データ:Google Earth)

図6(下) 宅地の開発時期を示した図(赤に近づくほど古く、紫に近づくほど新しい)

古地図や古文書などと照合した結果、江戸時代にはすでに、この島には20軒ほどの集落があったことがわかりました。ところが、安政南海地震(1854年)の大津波で、港の周りの多くの家が流されてしまった。島民たちは、集落を取り囲むように防波堤を造り、内側に道を整備して、その両側に計画的に家を建てたのです。それが明治のはじめころです。そのあといくつかの建物は、二代め、三代めと建て替えられて、現在の町並みが形成されました。

私たちはこうした歴史的な重層性をていねいに読み解き、島民のみなさんにもその情報を公開しました。そのうえで、みなさんと相談しながら、それぞれのエリアの成りたちや歴史的な特徴をいかした保全計画をつくりあげました。

守るべきはいつの時代?

奈良県ではいま、「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」を世界遺産に登録しようと、取り組んでいます。

飛鳥寺は日本初の本格的な仏教寺院で、朝鮮半島から伝わった建築技術を導入して596年に完成しました。この写真は、飛鳥川をはさんで甘樫丘の高台から明日香村一帯を撮影したものです。飛鳥寺の伽藍も写っています。(図7)

明日香村の風景

図7 明日香村の風景
写真の中央付近の右側の大きな屋根の建物が現在の飛鳥寺本堂。(提供:明日香村 写真コンクール実行委員会)

世界遺産の構成資産の一つとして登録申請を考えているのは、創建時の中心伽藍の範囲(赤線)で、水色で示しているのはその伽藍配置です。(図8)境内の北側は飛鳥坐神社の参道(黄線)に接しています。平安時代の火災で伽藍は焼失し、跡地は畑地となり、神社参道にそって集落が形成されました。

飛鳥寺の遺構配置図

図8 飛鳥寺の遺構配置図

飛鳥寺の価値を担保するのが飛鳥時代の伽藍跡だとすれば、参道から北側の古い町並みは価値のないものになってしまいます。写真を見ればわかるように、明日香村の家屋はすべて瓦屋根です。「明日香法」という独自の法律をもうけ、全村域を対象に厳しい景観規制をかけているからです。飛鳥時代以降の歴史的な経過や、こうした地域をあげての取り組みがあるからこそ、多くの遺跡やこの景観が残っているのだと私たちは主張していますが、それをユネスコに理解してもらえるかが鍵です。

また、私たちが「明日香村らしい景観」だと評価しているのは、飛鳥時代そのままの風景ではなく、高度成長期前の日本の村落を感じさせる原風景にすぎないという指摘もあります。これは、景観保存を検討するときによく話題になることです。地元での懇談の場でも、「研究者のみなさんは、明日香村の景観がだいじだというが、それはたかだか数十年前の心象風景を懐かしがっているだけではないか」と批判されることがあります。

でも私には、「それがなぜ悪いのか」という思いがあります。明日香村には、遺跡と高度成長期直前の風景が美しく共存している。そうした集落の姿を残すこともだいじだと考えているからです。

景観の重層性をレイヤーで考える

歴史的市街地の景観の重層性をどのようにとらえるのか、その考え方を模式図にしました。レイヤーはそれぞれにべつの時代を表わしていて、下から上に時系列で積みあがっています。上にゆくほど時代は新しい。文化的重層性はこうはゆきません。文化の評価はさまざまで、順位づけすることがむずかしいからです。

歴史的市街地の景観の重層性のとらえ方

図9 歴史的市街地の景観の重層性のとらえ方
歴史的市街地の分析方法は視点の取り方によって、復原的(9-1)にも編年的(9-2)にもなる。景観分析(9-3)は現在に視点をおく。

ある時代の建物を復元するには遺跡調査が必要です。その場合には、このうちの一つのレイヤーだけを引き出して、「この時代には、ここにこんな建物が建っていた」と説明するのが遺跡の復元検討の考え方です。

さまざまな時代のレイヤーを通史的に眺めることもあります。横からの視点ですね。9‐2AとB、BとCのレイヤーの関係性やそのあいだの変化をとらえるのです。これは、試掘調査に似ています。本格的な発掘調査の前に縦孔を深く掘り、各地層の深さや厚みを確認するのです。歴史の流れを重視する視点で、考古学だけでなく、文献史学にも有効な見方です。

では、私たちが町並み保全計画などをつくるときには、どこから見るかというと、重なったレイヤーを真上、つまり現在から見て、上のレイヤーごしに下のレイヤーものぞこうとします。9‐3レイヤーは半透明のフィルムのようなもので、その透明度によって、下のレイヤーの見え方が変わります。まったく見えないこともあるし、いちばん下のレイヤーまで透けて見えることもあります。

たとえば、かつての水路が暗渠に変わっただけなら、その痕跡は残りますが、完全に埋めもどして、その上に建物がつくられたら、まったく見えなくなります。あるいは、出羽島での調査のように、いちばん上のレイヤーだけでは見えなかったことも、古い時代の文献や絵図を丹念に調べることで、下のレイヤーがすこしずつ浮かびあがってくることもあります。

層のつながりから価値を浮かびあがらせる

私たちのしごとは、現在の町並みに見え隠れする過去の痕跡を探しだし、それがどのレイヤーのどこと関係するのかを調べることからはじまります。それだけで終われば、「ブラタモリ」と同じですが、だいじなのはそのあとです。

景観は重層的に積み重なっているのですから、一枚のレイヤーだけを抜き出して語ることはできません。たとえば、1976年に重要伝統的建造物群保存地区に選定された京都市東山区の産寧坂は、「道にそって立ち並ぶ江戸末期から大正時代にかけて整備された伝統的な京町家群が一帯となって、すぐれた歴史的景観を形成している」ことが評価されています。でも、沿道の建物の多くは、時代の様式を反映して建てられてはいますが、昭和初期や保存地区になったあとに手をくわえた家屋がほとんどです。歴史的な重層性を無視して、江戸時代末期や大正時代の様式をまねて、そのまま復原すればよいかというと、それでは現代の生活から切り離された「死んだまち」になってしまいます。

私たちのしごとは、いちばん上にさらにもう一枚のレイヤーを重ねて、そこに過去と現代とをつなぐ補助線を引くことなのかもしれません。さまざまな時代の建物を調査し、絵図や古写真などと見くらべながら、現代の景観との関係のなかでその価値を考える。それが私たちの重層的なものの見方です。新しいレイヤーになにを描くのかが私たちの課題なのです。

みなさんの地元の見慣れた町並みも、重層的な視点でとらえなおしてみると、いろいろな発見があるはずです。目に見える重層性だけでなく、見えない重層性にも思いをはせてください。新しいまちの魅力が見つかるかもしれません。

「ふくはら」と「ふくもと」

建物の保存には、「復原」と「復元」の二つの方法があります。文化財の保全などに関わる私たちは、「ふくはら」、「ふくもと」とつかいわけています。大阪城天守閣や平城宮大極殿は「ふくもと」、東京駅舎は「ふくはら」です。このちがいがわかりますか。

「復元」は遺跡で発掘される建物の遺構から、いろいろな史料をつかって上部構造を考えることを意味します。これに対して「復原」は、文化財建造物の修理のさいにもちいる言葉です。多くの場合、建物は長い年月のあいだに増改築や改造がくり返されています。「復原」は建物の改造の痕跡をもとに、改造前の姿を考えることを意味します。

「ふくはら」と「ふくもと」

授業計画。取りあげた授業は「景勝地・景観地の保存・活用」

ますい・まさや
1955年に生まれる。1985年に京都大学大学院工学研究科後期課程建築学を修了。京都大学工学部助手、奈良女子大学教授をへて、2015年から現職。専門は歴史遺産の保存と活用・マネジメント、都市史や集落史、保存修景計画など。「町づくり、村づくりに役立つ歴史的研究」がモットー。

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